第六十四話 初めての料理 5/5
一通りの近況報告が終わった一行は、迎賓殿にある浴場でそれぞれ汗を流した後、服を作業用ではなく少し格式のあるものに着替えてラシフの屋敷に向かった。ルーチェの説明によると、その深緑の衣装は黄色と並んで本来は族長だけが身につけることの出来る色なのだという。
「族長は黒の月には黄色の服を、白の月には深緑の服を着るのです」
今は黒の六月。ラシフは黄色の服を身につけていた。
【黄色と緑か。やっぱりな】
『やっぱりって、何が?』
【どっちも同じ原料を染料として使うんや】
『それが、何なんだ?』
【いや、こっちの話や】
『変なやつ』
アプリリアージェがルーチェの説明に補足した。
「誰かが族長の家に上がり込んで同じ食事の卓を囲むというのはジャミールではあり得ない風習らしいのです。そこでラシフ様が一計を案じたという訳です」
「ふーん、なるほど」
「ちなみに、この服は全てラシフ様自らが織った布で仕立てられたものだそうです」
「へえ」
エイルは改めて自分の来ている深緑色の綺麗な服を見渡した。素人目にもしっかりとした布地を丁寧に縫製されたものだというのがわかった。
「メリド殿やヒノリ殿に言わせると、族長はジャミールの歴史に残る名織手だそうだ。少し意外だったがな」
「いや、確かに意外だよ」
【織り手の件は意外やけど、一緒の食事の件については、なるほど、やな】
『そうだな』
エイルは合点した。
ラシフはルーチェをダシにしてアプリリアージェ達と一緒に食事がしたいのだろう。
今の話でそれは簡単に想像できた。おそらくラシフはいままでずっと食事は一人でとっていたに違いなかった。ルーチェが居なくて寂しいのではなく、きっと一人になるのが寂しいのだ。
自分が織った布を使った服、それも本来族長しか着ることが出来ないものを与えたとなれば、これはもう国賓扱いだ。館に招き入れる口実としては完璧だと思われた。ただし、その口実はラシフが思っているような里人に対して有効なのではなく自分自身に対してであろうが……。
「これを機に」
アプリリアージェは少し間を置いてそう続けた。
「彼女はそういうつまらない風習も変えていきたいと思っているのかもしれませんね」
エイルはその時、ラシフと出会った時の事を思い出していた。
エルデがラシフの態度を見て「昔の自分のようだ」と言った事を。
『なあ、エルデ』
【ん?】
『お前はこうなることを予想していたのか?』
【何の話や?】
『いや、いいんだ』
族長の館へ続く道は、二つの月明かりで白く浮かびあがっていた。
ファルケンハインとティアナがジャミールに戻ったのは、翌日の昼頃だった。
エイルとエルデはジャミールにいる主立ったハイレーンを集めて、薬草蔵の中で粉まみれになって奮闘していた。帰還の報はその時に知らされた。
「良い報告と悪い報告があります」
エイルが族長の屋敷に顔を見せると、即座に旅の報告が始まった。どうやら彼が最後のようだった。
旅装も解かずにいる、二人のアルヴの表情はエイルが今まで見た事もないほど硬いものだった。それは良い情報よりも悪い情報の方がより重要だと言うことを意味していた。
「人払いが必要ですか?」
アプリリアージェは一応、ファルケンハインにそう尋ねた。
その場にいたのはアキラを含むエイル達一行とラシフ、そしてイブロドをはじめとする四人組だった。
アプリリアージェの言葉に反応してラシフはすぐに立ち上がったが、アプリリアージェはそれを制した。
「何にせよ族長様にはこの場にいていただきましょう」
少し迷った様子を見せたが、ラシフはうなずくとイブロド達に目配せをした。四人組はそれを見て一礼すると、速やかにその場を辞した。
彼女たちも今では、族長が一人だけで異邦人と一緒に居ることに対して抵抗を感じなくなっていたのだ。
イブロド達が出て行くのを見送ったファルケンハインはチラリとティアナを見やった。
「出来れば」
ティアナは顔を上げるとアプリリアージェに懇願するように言った。
「まずはリリアお嬢様にだけ報告をしたいのですが」
アプリリアージェはティアナの言葉に珍しく眉間に皺を寄せた。微笑はしているが、困惑した表情は隠せなかった。
『どうしたんだろう』
【ただ事やないっちゅうのはわかる。まさかもう戦争が始まったんか?】
『オレ達、出て行った方がいいのかな』
【いや、結構離れた薬草倉におった俺らを、わざわざ呼びに来たくらいや。それはないやろ】
『それもそうだよな』
【どちらにしろここはひとまずリリア姉さんの指示待ちやな】
『了解』
アプリリアージェの逡巡は長く続かなかった。表情をいつものおだやかな微笑にもどすと、ティアナをじっと見つめて首を横に振った。
「今ここにいる全員の前で報告してください」
ティアナはそう言われてエルネスティーネの方に視線を投げた。もちろんアプリリアージェは目ざとくそれを見ていた。
「ネスティ」
「は、はい」
「何があっても取り乱さない覚悟はありますか?」
「え?」
「もしその覚悟がないなら、私が呼ぶまでこの部屋から出ていなさい」
いつもよりやや堅い調子の声がエルネスティーネの耳に刺さった。だが、彼女はきっぱりと言い切った。
「何が起ころうと、もとより覚悟は出来ています」
アプリリアージェはティアナを見つめたままでうなずいた。
「聞きましたね、ティアナ」
「はい……」
ティアナはそう答えたが、すぐに顔を伏せた。その伏せた顔先にある床の上に、小さな染みが一つ、出来た。
アプリリアージェはティアナのその様子を見ると、強く目を閉じてそう言った。
「ファル、お願いします。まずは悪い情報から」
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