第六十四話 初めての料理 2/5

【火ぃついたんかいっ! と言うかやな、エイルに対する積極性が五割増しくらいになってへんか、このお姫様?】

『積極性って、どういう意味だよ』

【わからんヤツには教えへん】

『わからないから聞いてるんだろうが』

【絶対に言わへん!】


「もう、目を覚まさないかもしれないって、くじけかけるところでした」

 そう言って背中に回した腕にいっそう力をいれた。エイルは目の前にある金髪の頭に顔を埋める格好になっていた。

(きっとネスティは日だまりのような匂いがするんだろうな)

 エイルはそう思ったが、彼の臭覚にそれを確かめる力はない。ただ、エルネスティーネにこれほどの態度をとらせてしまうくらい自分が心配をかけていたのだという思いに胸が詰まった。

 確かに一週間は待つものとしては長い時間だったろう。エイルはそれを自分と妹マーヤに置き換えて想像して改めてぞっとすると、思わず自分もエルネスティーネの背中に腕を回し、ぎゅっと抱きしめた。

「あっ」

 エルネスティーネがエイルに抱きしめられて思わず小さく声を上げると、エイルは我に返った。

「あ。ごめん」

 とっさに腕の中の少女から離れようとしたが、エルネスティーネはそれを嫌がるように強く抱きついてきた。

「あ、あのさ」

 いつまでもこのままでいるわけにはいかないと焦りだしたエイルは、話題を探した。彼にしてみれば、この状態をティアナに見られたらと思うと気が気ではなかったのだ。

「何?」

「えっと……そうだ。何か食べるものはないかな? 腹が減ってて」

 その時、本当にいいタイミングでエイルの腹の虫が音を立てた。

 それを聞いたエルネスティーネは顔を上げるとエイルと目を合わせ、エイルを拘束していた力が緩められた。

 二人はどちらからともなく声を出して笑い合った。


「あらあら」

「賢者さま!」

 背後で二人の声がした。

 振り返ると、そこには次期族長とその母親が驚いた顔で立っていた。

「丁度良かったです。イブロドさんにお願いが」

 エルネスティーネはそういうと、ルーチェの母親の手を取った。

「エイルに何か食べさせてあげたいんですけど」

「かしこまりました。急いで支度をいたしましょう」

 イブロドはにっこり笑うと踵を返そうとしたが、エルネスティーネはそれを呼び止めた。

「あ、違うんです。作るのは私です」

「ネスティ様が?」

「はい。ですから、その、私に作り方を教えていただけないかと……」

 そういうエルネスティーネの語尾が弱々しく消えていった。イブロドはいぶかしげにネスティの顔をじっと見た。目の前の金髪のアルヴィンは、耳まで赤く染めていた。

「母上」

 ルーチェがイブロドの袖を引っ張った。

「あ、ああ、そうね」

 イブロドは我に返ると、できるだけ普通の笑顔を作った。

「ええ、もちろん喜んでお引き受けします」

 イブロドの返事に、エルネスティーネは赤く染まった顔を上げた。

「お忙しいのでしょう? 本当によいのですか?」

「ええ、でもこれからご一緒に作ると言っても」

 イブロドは腕を組んで少し考えた後、ルーチェに材料をいくつか告げて自宅から持ってくるように命じた。

「猊下は空腹のご様子だから、急いでね」

「まかせて頂戴」

 ルーチェはうなずくと鉄砲玉よろしく部屋を飛び出していった。目を細めてその後ろ姿を見送ると、イブロドはエルネスティーネを振り返り、改めてにっこり微笑んだ。今度はごく自然な、イブロドらしい優しい笑顔で。

「さあ、では我々はルーチェを待つ間、厨(くりや)で準備をしておきましょう」

 エイルに深々と礼をすると、イブロドはエルネスティーネを引き連れて居間を出て行った。


『えっと……』

【いや、何も言わんでええ】

『オレたちが眠っている間、特に何事もなさそうだったと言うことはよくわかったよ』

【何よりやんか】

『ファル達は帰ってきてるのかな』

【一週間か。リリア姉さんの啖呵が嘘や無いんやったら、そろそろやろな】

 エイルは食事が用意されるまで外の様子を見ようと居間に続く板張りの露天舞台のような場所に出た。

 

『あ』

【族長やな】


 露天舞台からは、里の通りが一部見渡せた。

 二人が言う通り、通りには薄茶色の長い髪を優雅に揺らしながら歩くラシフの姿があった。ラシフは両手で大きなカゴのようなものを抱えてゆっくりと通りを歩いていた。カゴの中身は遠目でよくわからなかったが、形から布のようなものが大量に入っているように見えた。小柄なラシフが大きなカゴを抱えて歩いている様は思わず手伝いを申し出たくなるような図ではあったが、足取りはしっかりしていて、その必要はなさそうだった。

 だが、よく見ると数人の子供達がラシフにまとわりつくようにして、その大きなカゴを持ち上げていたのだ。その子供達の中にはエイルとエルデが知っている顔もあった。

 ラシフはそんな子供達に優しい笑顔を向けながら、うなずいたり、話しかけたりしながら遠ざかっていった。

 エイルは次第に小さくなって行くラシフの後ろ姿をしばらく見つめていた。

 心の中ではエルデは何も言わなかった。

 そして、エイルも何も言わず、ただ後ろ姿を見送った。

 ラシフの姿が消えると、エイルはその場でどっかりとあぐらをかいて空を見上げた。まだ陽は高く、風のないその場所は晩秋にもかかわらず暖かかった。


『なんか、落ち着くな』

 空を見上げたままで、エイルはようやく心の中に話しかけた。

【何事もなければ、この里は本当に快適なんやろうな】

『うん。それもあるけど』

【ん?】

『オレ達、今までこんなにぽっかり……って言うかゆったりした時間を過ごしたことがあったっけ』

【そうやな……】

『こうしてるとさ。右目が利かないし、いろいろ不自由だけどここでしばらく暮らすのもいいかな、って気になった』

【おい、エイル! 俺たちは】

『わかってるって。心配すんな』

【だいたい、お前は妹の為にやな】

『だからわかってるって言ってるだろ。それに、オレをここに引き戻してくれたのはそのマーヤだしな』

【そう……か】

『ああ。ちょっと言ってみただけだ。こんなこと言えるのもお前にだけだしな』

【……まったくもう】

『なんだよ?』

【お前さん、なんや時々ツボを突いて来るなあ】

『ツボ?』

【こっちの話や。それよりこれから先はまた俺達二人だけの旅になりそうやで】

『え、なぜ?』

【シグの爺さんが死んでたって事がわかったんや】

『え?』

【つまりはそういう事やろ?】

『ああ、そうか』

 エイルは思い出した。

 ル=キリアの目的は、いわゆるザルカバード文書と言われる怪しげな書簡を送ってきたと思われる賢者真赭の頤ことシグ・ザルカバードに会うことだったのだ。庵の探索はル=キリアにとっては「手法」であって「目的」ではなかった。《二藍の旋律》ことラウ・ラ=レイの情報が正しければ、つまり、ル=キリアは「目的」を失ったのだ。

『いや、待てよ。それはオレ達も一緒じゃないのか?』

【ちゃうちゃう。俺達の目的は『宝鍵』を完成させる事や】

『え? 話が違うだろ? シグ・ザルカバードに会って呪法を解いてもらうって話だったろ?』

【『食らいの呪法』の解呪だけやったら『宝鍵』が完成すれば、別にシグの爺さんは必要ない。これが宿題の答えなんやからな。師匠に会おうとしたのはそっちの方が手っ取り早いと考えたからや】

『その欠けたプリズムが完成すれば、本当に呪法が解けるんだな?』

【解ける】

『わかった。信用してやるよ。って言っても、もともとオレに選択肢なんか無いんだしな』


 エイルとエルデが人には聞こえないそんな会話をしているうちに、エルネスティーネが食事を載せた盆を持って現れた。

 イブロドと一緒に厨に消えてから、それほど経っていないはずだった。エルネスティーネの手際が相当にいいのか、イブロドの教え方が超人的なのか、そもそも即席で作れる食事なのか……。

 エイルは三番目だろうと当たりをつけると、ゆっくりと立ち上がった。

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