第六十二話 歩み出す者 2/3

「ル=キリアご一行様には毒耐性があるって事については例のシェリルの一件でわかってたさかいな」

「そうだったな。いや、そんなことより、それは実にありがたい。丸薬と聞いてそこがちょっと気になっていたんだ」

 ファルケンハインはエルデがシェリルの名前を口にしたとたん、少し目を伏せたのを見逃さなかった。だから普段よりも声の調子を少し高めてそう答えた。

「本当にありがたい。私も心から感謝するぞ」

 そう言って思わず近衛軍式の敬礼をしたティアナの肩に、ファルケンハインがポンっと手を置いた。

「だまされてはだめだ、ティアナ。あいつは『これを飲んだら疲れないから、夜も昼も馬車馬のように働け』と俺たちの尻を鞭で叩いたようなものなんだぞ?」

「そうなのか?」

「人聞き悪いな。ティアナに早く帰ってきて欲しいからに決まってるやん」

「そ、そうなのか?」

 エルデを睨んだティアナは、しかしすぐに懐柔されて照れたようなとまどったような表情を見せた。

「まあ、ティアナはできるだけ長い間帰ってきとうないんかも知れへんけどな」

「な、何を言いだすのだ?」

「そろそろ出発した方がいいですよ、ティアナ」

 顔を真っ赤にしてエルデをにらみ据えたティアナに、アプリリアージェがそう告げた。これではエルネスティーネを眠らせていた意味がない。

 それを受けて、ファルケンハインもそっとティアナの肩に手を置いた。

「くれぐれも、頼みましたよ」

 ファルケンハインはそういうアプリリアージェとその横に立つラシフに向かって一礼した。

 ティアナは慌てて自分ももう一度普通の礼をした。

「では行って参ります」

「任務は任務で重要ですけど、二人にとっても重要な……ではなくて楽しい旅になるといいですね」

 アプリリアージェはそういうと、ティアナに向かって意味ありげに思い切りにっこりと微笑んでみせた。ティアナはどうしていいか分からず、きょろきょろと周りを見渡したが、結局真っ赤な顔でうつむくしかなかった。

 だが、何かを思い出したかのようにすぐに顔をあげた。しかし、ティアナが口を切るよりも早くアプリリアージェはそれに答えて見せた。

「ネスティの事は心配ありません。この里は安全です。それにあなたがいない間は、何かあっても私が命を張って守り抜いて見せますよ」

 ティアナは開きかけた唇を閉じると、上気した顔のままで大きくうなずいた。

「この場にふさわしい言葉が思い浮かばんが、そち達に再びまみえることを心から願っておる。くれぐれも無事で帰ってきて欲しい」

 アプリリアージェに続いてラシフがはなむけの言葉を口にした。

 ラシフ自身は事の詳細を聞かされていたわけではなかったが、ジャミールの里の住民すべてをシルフィードのファルンガに移住させるための手はず全般を整えるために目の前の二人のアルヴが強行軍を行う事は当然ながら知っていた。だからこそできるだけの感謝の意を表したかったのだが、彼女はそれを素直に伝える表現が思いつかず、そしてそんな自分がどうにも歯がゆかった。


 二人組のアルヴはラシフに改めて一礼すると、すぐに踵を返し、そのままあっさりと歩き出した。ラシフは何かもう一言声をかけようと二人の背中に向かって思わず手を伸ばしかけたが、誰かの手がラシフの肩にそっと置かれ、それを止めた。

 ラシフは挙げかけた手を下ろして横を向いた。

 そこには予想通りアプリリアージェが微笑んで二人の背中を見送っていた。

「大丈夫です」

「え?」

「無理に言葉を見つける必要はありません」

「だが」

「それに、ご覧になったでしょう? どちらにしろ、あの二人も不器用な表現しかできませんから」

「その通りやな」

 気付くとアプリリアージェと反対側にエルデがラシフと並ぶように立っていた。

「隠れ里の族長と言えば一国の主みたいなもんやろ? その人がこんな早朝に、わざわざ見送りに来てくれたんや。それも一人だけで。あまつさえ黄色のシャンとした服を着て、な。それ、正装なんやろ?」

「そうだが……別に私は」

「わかってる。でも多分、彼らは思うたやろな。『こんな名誉な事はない』って。そやから、充分伝わってるって」

「しかし」

「相変わらずめんどくさいやっちゃな! 二人とも絶対に感動してるって。特にティアナは一見強面(こわもて)やけど、実はとんでもない感激屋やからなあ。感動しすぎて出発前に変に泣かれたら困ると思ってチャチャ入れたんやけど」

「それでか。貴様という奴はまったく……」

「よし分かった。言い方を変えるわ。少なくとも俺がそんな事されたらめっちゃ感激する。それは嘘やない」

 エルデの言葉にラシフは口をつぐんだ。


「さあて」

 二人の姿が見えなくなり、うっすらと明けてきた空に残る星を見上げながら、エルデはつぶやいた。

「ラシフ様には賢者の威光は必要ないっちゅう事やし、里人の事は任せて、俺はそろそろ眠るわ。リリア姉さん、後は頼んだで」

「あらあら、ネスティがとても話をしたがっていましたよ。せめて朝食まで待てませんか?」

「ネスティが話をしたがってるのは俺やないやろ? 俺自身は別にネスティとあんまり話しとうないしな」

「なるほど」

 目をそらすエルデを見て、アプリリアージェはクスリと笑うとうなずいた。

「わかりました。では後は我々に任せて、安心して眠ってください」

「おおきに」

「くれぐれも、エイル君を頼みます」

 アプリリアージェは最後の一言をエルデにだけ聞こえるように小さくささやいた。エルデはそれに応えるように軽く手を挙げると、一人で迎賓殿に向かってゆっくり歩き出した。


「いくらメリドが主寝室を使っているからといっても、よりによってあいつはなぜあんな倉庫に寝床を作らせたのだ? なんなら私の屋敷の客間でも良かったものを」

 エルデの後ろ姿をしばらく見送っていたラシフがアプリリアージェにそう声をかけた。

「賢者様はいろいろあってお疲れなのでしょう。少し長く眠るのだそうです。奥の夜具部屋であれば日中もまず光は差し込みませんし、何より居間から遠くて静かです。部屋の体裁よりその方がいろいろと都合がいいとの事で」

「納得が行くような行かぬような……万事において風変わりなヤツじゃ」

 ラシフはあきれたような声でそういうとため息をついた。

「こっちはそれに、いいように振り回される」

「お察しします。でも」

「ん?」

 笑い声が混じったアプリリアージェの声に、ラシフは反応してそのやわらかい笑顔を見つめた。

「それについては一つ質問があります」

「唐突に何じゃ?」

「ラシフ様はこの里で長く族長の立場にいらっしゃるわけですが、昨日今日ほど怒鳴り散らした事がおありですか?」

 思ってもいなかったアプリリアージェの質問に、ラシフは思考が一時停止した。

「いや、それは」

「我々ダーク・アルヴはアルヴ族の一員です。だからその気質もあるのでしょう。里の人々は族長を本当に尊敬している。それはこの里に入る時に見た、子供達の態度で実感しました」

「あ、あれは本当に済まぬ事をしたと思っておる」

「いえ。あの時にエイル君はあなたを、いえこの里を守ろうと決めたのではないでしょうか?」

「そんな……」

「族長は私の見立てでも、厳しいようでいて、実のところ相当にお優しい。あの子供達を引き合いに出すまでもなく、側近である四人組の皆さんの雰囲気を見ていてもそれはわかります」

「私は里人や側近には恵まれておる。それだけだ」

「たとえそうであっても、それに応える器がないと族長など決して務まりません。私もこう見えて、一応提督と呼ばれる立場なので、少しではありますがラシフ様のお立場がわかるような気がします」

「何か持って回ったような口ぶりだな? 何が言いたい?」

「それでは質問をもう一つ。口げんかをするのは何年振りですか?」

「え……」

 そう言われて改めて思い返してみるが、もとよりラシフにはそんな記憶はすでに無かった。

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