第六十一話 招かれざる者 5/6

 シルフィード王国近衛軍の最高司令官である大元帥の部屋は三日月型をした王宮エッダ城の西翼、中央部分に位置し、比較的ゆったりとした広さが確保されてあった。

 部屋の大半は書棚によって占領されており、彼の執務空間は部屋全体の五分の一程度の広さでしかなかった。その他の王宮の部屋と同じように部屋の天井と壁は白い漆喰で覆われており、床から丁度イオスの身長程の高さまでがよく磨かれて艶を放っている腰板で覆われていた。

 そしてサミュエルがさりげなく注意を払っている床は濃淡二色の茶色い木製タイルが市松模様に敷き詰められている。それは垂直と水平を基調にした書架の雰囲気と相まって訪れた者に幾何学的な規律のような空気を感じさせる一因となっていた。

 書架のない部分の一角には両袖付きの古めかしい紫檀の机があり、その前方に来客用のこれまた紫檀の骨組みにビロードのクッションをしつらえた大振りの二人掛の長椅子が二つ、向かい合わせに置かれていた。長椅子はその部屋の唯一の出入り口である扉からアルヴィンの歩幅で十歩程度のところにあり、サミュエルの視線はイオスの立っている位置からソファまでの距離を床のタイルの数で測っているかのようであった。


「何か大きな誤解があるようですな。詳しいお話を伺いましょう。すぐに冷たい飲み物でもご用意します」

 当初よりは幾分落ち着いてきた鼓動だが、血流により体が熱を持ってきているのをサミュエルは実感していた。冷たい飲み物はむしろ彼に必要なもののようだった。

 イオスはしかし無表情のままでそれを無視した。

「まさかシルフィード王国が君のような獅子身中の虫を飼っていたとはな」

「一体何のお話でしょう? 先ほどから申し上げておりますが、どうも猊下は何か大きな勘違いをされているご様子」

 サミュエルは平静を装い、努めてゆったりとした動作で自分の大机を離れた。対面した二つのソファのうち自分は一方のソファの横に立つと片手を広げて見せ、イオスにもう一つのソファを指した。

「エレメンタルにちょっかいを出しているのも君の差し金だね?」

「エレメンタル? 我が姫君の事ですかな?」

「あくまでもとぼけるつもりかい?」

 イオスはそう言いながらもサミュエルの勧めに従い大振りなビロード張りのソファまで歩むと、その中央にスッと腰を下ろした。それはアルヴィンらしく体重を感じさせぬかのような軽やかな動きだった。

「猊下が一体どこから何を知って自らエッダまでお越しになったかが私には解せませぬ。しかもお供すらつけず……ですな?」

 イオスがソファに座るのを見届けるとサミュエルは恭しく一礼して自分もソファにゆっくり腰掛けた。


「一年ほど前、サラマンダ中央にあるアクラムの森でル=キリアを使って発現前の炎のエレメンタルを葬ったのは君だろう? 複数の海軍特務部隊の補給作戦をわざわざ中央山岳地帯で行っていた事は調べがついてる」

「ドライアド側に要らぬ勘ぐりをされては面倒ですからな。補給と部隊同士の連絡をあのような山中で行うのは珍しいことではありません」

「海軍が、か?」

 サミュエルは相手がごまかしのきかない相手であることを重々承知していた。だから最初から知らぬ存ぜぬという戦術を使うことは考えなかった。相手が話を切り出した以上、それ相応の情報を持っているのは間違いのないことなのだから。

「しかも念の入ったことにル=キリアの中隊を先行させて配備した上で、合流部隊を些細な理由で別の場所で足止めまでしている」

「あの時は確かル=キリアの小隊同士の合流を主目的とした補給作戦だったのではないですかな。他部隊が合流に遅れたのはル=キリアとの連絡に重きが置かれていなかったからでしょう。どちらにしろ私は近衛軍の担当。王国軍の作戦については最高司令官であるキャンタビレイ大元帥が統べております故、作戦の詳細については私の関与するところではございません」

「よく言う」

「猊下は一体どこの誰からその妙な話を吹き込まれたのですか?」

 イオスはしかしサミュエルの質問を無視した。

「王国軍の要所要所に君の息がかかった人間をあらかじめ配備していたであろうことくらい、三つ子でも思いつく。たぶん、実に単純な計略だったのだろうね。発現前の炎のエレメンタルがサラマンダの反政府ゲリラの部隊にいる事を知った君もしくは君の息がかかった人間が、そのゲリラの部隊にニセの情報を流した。情報はこうだ。『ドライアドの小部隊が補給作業の為に無防備に野営をしている。武器などの物資は豊富だ。しかも合流前で相手は少人数』。そして彼らはその情報に飛びついた。念の為に斥候を操って『情報に間違いなし』と言わせれば普通は疑わないだろう。敵の人数も少ないし楽な急襲作戦だと思わせておいて、実はファランドールでも指折りの実戦部隊にゲリラをけしかけた」

 サミュエルは両手を広げて心外だ、という表情を示した。

「猊下はあの時の反政府ゲリラに炎のエレメンタルが居たとおっしゃるのですか?」

 イオスはうなずいた。

「いたさ。未確認と思われていた炎のエレメンタルは《深紅の綺羅》に保護され、あのゲリラの指導者の下で暮らしていた」

「ほう、それはそれは」

「まさかゲリラにそんな大事な人間がいるなんて誰も思わないだろうね。でも、『戦略・戦術の知識と剣の技術の無いものは指導者たり得ない』と言うのが口癖の《深紅の綺羅》らしい隠し場所だね。もっとも僕はその炎のエレメンタルがピクシィだったと言う事実にちょっと驚いたけどね」

「ふむ。それもまた興味深いお話ですな」

「風のエレメンタルはもはや君の手の内にある。それ以外のエレメンタルは君にとって邪魔者以外の何者でもない。所在がわかった炎のエレメンタルは発現前だけに潰しやすかったろう?」

「……」

「まず一人目のエレメンタル抹殺に成功した君は次に地固めに入った。自分の意に沿う可能性がきわめて低く、その強大な戦闘力故に事が起こった場合には大きな障害として立ちふさがりそうな存在。ましてや直属ではない為に利用さえ難しいル=キリア、いや具体的にはユグセル中将が次の標的になった。とはいえル=キリアは司令官に忠誠を誓う誇り高き精鋭。下手に恨みを買えば、たとえ一人きりであってもその戦闘力が脅威になる。そこで君は巧妙な餌を使って部隊を四散させ、バード長という立場を最大限に活用した罠を張り、そして計画通りことごとく屠ってみせた」

「おやおや。そんな都合の良い餌などあるのですかな?」

「《真赭の頤》を騙った文書はいい餌だと思うよ。しかもシルフィードだけでなく各国に送りつけた。巧妙なのはここだね。怪しいとわかっていても他国が動くかもしれないのなら、自国も動かざるを得ない。さらに言えば《真赭の頤》が既に死んでいる事を、なぜか君は知っていたからこそあんな文書を作れたことも間違いがない」

大賢者真赭の頤が?」

 とぼけるサミュエルを、しかしイオスは無視して話を続けた。

「君がでっち上げた「庵」の探索に、ドライアドは間違いなく精鋭のスプリガンを使うだろう。となれば対抗上シルフィードはル=キリアを使わざるを得ない。出来るだけ多くを出動させ、しかもそれを分散させる為、目標物を多めに置いた」

 そこまで言うとイオスは言葉を句切り、今度は射るような目をサミュエルに向けた。

「違うかい?」

 サミュエルは苦笑して見せた。

「三文芝居のような台本ですな」

「従わせる自信がないル=キリア……いや、幼少の頃にはその圧倒的なフェアリーの能力により風のエレメンタルではないかとまで噂されていた人物。そしてその人物と行動を同じくするきわめて強力な力を持つもう一人の風のフェアリー。たぶん君はル=キリアにいるその二人を恐れていた。これからやろうとしている事を成就させる為には最大の脅威となると判断したからだ。つまり君にとってはキャンタビレイ卿に匹敵するやっかいな存在だと言うことなのだろう。それに、調べてみると奇しくも二人はキャンタビレイ卿の屋敷で直接薫陶を受けた者達だそうだね。だから君は二人の提督の暗殺を謀った。君をしてあのような『手の込んだ子供だまし』をでっち上げなければならないほどの人物だと知ると、彼女達には僕も少し興味がわく」

「それはユグセル中将とクラルヴァイン少将の事ですかな?」

「二人は『雷鳴の回廊』で航海中、死んだ事になっているようだけど、なぜかユグセル公爵領であるファルンガには未だに次の相続者が現れていない」

「あれは陛下がなぜか棚上げにされていらっしゃるご様子でしてな。内政大臣がいつもこぼしておられる」

 サミュエルの言葉にイオスは初めてフンっと鼻を鳴らした。無表情ではあるが、その仕草にはある程度の苛立ちが感じられた。

「そうやって表面上は君の思惑通りにつじつまが合った暗殺劇が演じられている訳だけど、そろそろ次の犠牲者が出そうだね」

 イオスはそう言うと右手に持った精杖の頭をサミュエルに向けた。

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