第六十一話 招かれざる者 4/6

「はい。むろん我々も中佐殿のおっしゃるようにルーンで壁を張って制止させ、それ以上こちらに入ってくるようならはじき飛ばしてやろうと思っておりました。しかし……」

「できなかったと言うのだな?」

 サミュエルの問いにアルヴィンの士官は唇を噛みながら頷いた。その様子は端から見てもいかにも悔しそうで、さすがにカテナも士官をそれ以上責める気は起きなかった。それよりもそこまでの力をもつその「面会者」が問題だとようやく悟ると、父の様子を見た。

 サミュエルはいつの間にか報告に来た士官の前に仁王立ちになっており、その顔はいつになく青ざめているように見えた。

「お前達のルーンが何も通じなかったのじゃな?」

「はい」

「だいたいわかった。その者は名乗ったか?」

 下士官は再びうなずいた。

「面会者に名を問うたところ、本人はこう名乗っております。『《蒼穹の台》』と」

「なんだと?」

 カテナは思わずそう言ったが、それ以上声が出なかった。いや、瞬間的に思考が停止したような状態だった。およそ想像もしていない人物の名前が告げられたのだ。

 士官はサミュエルが何も言ってこないので、おそるおそる続けた。

「私も冗談が過ぎると思いましたが、本人は至って真面目な顔で、こちらの再度の問いかけにも同じ名を返したのみです。おそらく頭がおかしいのでしょうが」

「どんな奴だ?」

「は。種族はアルヴィン。薄い金髪と緑色の目を持つ成人の男子です。袖と裾に金の縫い取りがある濃紺のローヴを身に纏い、青白い石で出来たような長い精杖を手にしておりました。そして、胸には一応正教会のクレストが縫い取られておりました」


「カテナ」

 サミュエルは士官ではなく、先に棒立ちになっている我が息子に声をかけた。

「この件は近衛軍、いやワシの受け持ちじゃ。お前は急ぎ特命に着け。一刻の猶予もならん」

「しかし……」

「急ぐのじゃ!ヴェリーユへ迎え。堂頭(どうとう)の元へ」

 何かを言おうとしたカテナを、大元帥が一喝した。部屋を揺らすかと思える怒気を含んだその大音声はカテナのみならず、その場で膝をついて報告に来た近衛軍の下士官をも震え上がらせるほどだった。

「しかし、父上は?」

「ワシのことは案ずるな。こういう時が来る事も想定内じゃ」

「では」

「行け。吉報を待っておる」

 カテナは律儀に陸軍式の最敬礼をした後で、小走りに部屋を出て行った。

「面会人の件はあいわかった。それでもう一つの報告とはなんじゃ?」

「はっ。実はこちらの方が先の要件だったのですが……」

「前置きはいい。簡潔に申せ」

「は。面会人が来る少し前にユリスカラント通りで火事がございました」

「火事だと?」

 サミュエルは眉をつり上げた。たとえ王宮から数キロの距離とはいえ、火事程度をいちいち最重要事項として大元帥に報告に来る訳がない。

 案の定、士官はすぐに話を続けた。

「それが普通の火事ではないようなので、私の一存で閣下にご報告申し上げる事にいたしました。

「申せ」

「おかしな火事です。出火元はユリスカラント通りの中程にあるリリスの雑貨などを商う小さな商店との事ですが……」

 士官がそこまで言うと、サミュエルの顔が一瞬で青ざめた。だが報告に来た士官には大元帥の動揺は悟られることはなかった。

「一瞬で炎上し、店は全焼に近い状態だったらしいのですが、両隣はじめ延焼が全くないまま、消化隊が到着する頃には嘘のように鎮火してしまったとの事です」

「そうか」

「呪法か、あるいはルーンによるものではないかと」

「それで、店の人間はどうなったのだ?」

「それが第一報では遺体のような物が二体発見されたとだけ。損傷がひどく人種も男女の別も不明とのことです」

 報告を聞いたサミュエルは自らを落ち着かせるかのように大きく息を吸い込んだ。

「わかった。確かに特殊な火事のようだな。そちらの方は調査班に報告して事にあたらせよ。私がそうしろと言った旨、申し添えてかまわぬ」

「かしこまりました。しかして三聖を騙る者の処遇についてはいかがいたしましょう」

「三聖殿は今どちらにおられるのだ?」

「それは」

 士官はサミュエルに答えるべくそこまで言ったところで言葉を切った。

 その後の沈黙が妙に長い事に不審を感じたサミュエルが、いぶかしげに士官を見下ろした時、片膝をついていたアルヴィンの士官はゆっくりとその場に崩れ落ちるように倒れ込んだ。

「これは」

 その様子を見てサミュエルが絶句した時だった。

 すぐ側で聞き慣れない声がした。

「この城の人間は、遠路遙々やってきた客人に、茶の一つも出さないように行儀良くしつけられているみたいだね」

 サミュエルが顔を上げると、扉の内側にいつの間にか濃い紺色のローブを纏ったアルヴィンが青白い精杖を手に立っていた。

「蒼穹の……台!」

 サミュエルは何とかそれだけをのどの奥から絞り出すと、ゴクリと音を立ててつばを飲み込んだ。

「久しぶりだね、バード長。いや、大元帥かな? まあ、どっちでもいいよね。とにかく元気そうで何よりだ。でも、以前会った時よりは老けたようだね」

 サミュエルは無言でゆっくり後ずさると自分の机の後ろにまわった。

「大丈夫だよ。彼は眠っているだけだ」

 無表情なまま、《蒼穹の台》ことイオス・オシュティーフェは足下に倒れ込んだアルヴィンの士官を見ようともせずそう言った。その声にも抑揚はなく、それが逆に三聖の力を知るサミュエルをぞっとさせた。

「はるばるエッダまでお越しになるとは。先触れを下されば粗相無くお迎えできたものを」

 サミュエルは自分の椅子の横に立つと、机の上に置かれていた黒い木製の精杖を手に取りそう言った。イオスはサミュエルが手にしたその精杖の頭頂部にある優雅な彫刻に目を留めた。

「『星を呑む獅子』か。確か『彼』から譲り受けたものだったね」

「御意。我が命より重き精杖でございます」

「最近、彼とは会ったのかい?」

 サミュエルは大きく首を横に振った。

「これを頂戴したのが最後でございます」

 そう言うと、サミュエルは頭頂の飾りを見つめた。イオスはその様子を無表情なまま目で追いながら話を続けた。

「正教会の公式な訪問行事なら君たちに恥をかかせない為にも、もちろん先触れと鳴り物を用意したろうね。でも今日は古い友人の顔を見たくて気まぐれに寄っただけだよ」

「それにしましてもこのようなむさ苦しいところにお越しいただくのは心苦しゅうございます」

「いや、それよりもこの王宮は警備が少し手薄なのではないか?」

「過度の警備は陛下がお嫌いでしてな。しかし猊下の助言とあらば再考なさるでしょう」

「案ずるな。僕はアルヴの王になど用はない」

「ではマーリンの座の番人とも呼ばれる《蒼穹の台》様が一体このジジイめに何事でしょう?」

 サミュエルは精杖を握りしめて全身に緊張を漂わせたまま努めて穏やかな声を繕いつつそう言った。だがその心臓は本人の意志に反して先ほどから早鐘のように打ち続けていた。それはまさに「警鐘」のように。

「君も知っている通り僕は、いや僕らは君たちの政治には興味がない」

 イオスの方には何の緊張も見られない。端からは無表情で体の力を抜いてただ立っているだけのように見えた。

「存じております」

「だから君たちのような政治的な駆け引きとやらにも縁がない」

「御意」

「単刀直入に用件を言う」

「何なりと」

「《深紅の綺羅》を迎えに来た」

 イオスの声は、大した抑揚もなく淡々と響いたが、もう一人の三聖の名を告げられたサミュエルの鼓動は極限まで跳ね上がった。

「知っているとは思うけど、ムダだよ、バード長」

 イオスはそう釘を刺した。もちろんそれが「神の空間」の事を指しているのだと言うことはイオスと「旧知」であるシルフィードの近衛軍大元帥にはわかっていた。

 三聖蒼穹の台の持つ特殊な能力、「神の空間」 イオスのそれは自身の周りに「エア」を作る術である。精杖を手にしようが何をしようがサミュエルにルーンが使えるようになるわけではない。さらにイオスの「神の空間」では空間の主(あるじ)であるイオスの言葉に誰も逆らえなくなる。まさに「神」の名にふさわしい能力だと言えた。

「たとえ「エア」などなくとも、私程度の力では猊下の眉一つ動かすこともかなわぬ事などもとより承知しております。それにしても《深紅の綺羅》様を迎えに来られたとはまた妙なお話ですな」

 精杖を握りしめたままそう言いながら、サミュエルはイオスに気取られぬよう彼の足もとに注意を払った。

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