第六十一話 招かれざる者 3/6

「ル=キリアはワシの配下ではないし、ユグセル中将とは大した面識もない。従って感傷などない。ただ……」

「ただ?」

「そうじゃな。ワシは少々怖じ気づいておるのやもしれんな」

「父上ともあろう人が怖じ気づくなどと、お戯れを」

『ミドオーバ中佐』はそう言うと肩をすくめた。

 だが、彼の父は首を横に振った。

「お前は何も感じぬのか、カテナよ」

「これは異な事を」

 カテナと呼ばれた青年将校の軍服は、シルフィード王国陸軍のものだった。中佐と呼ばれたことからも、見た目の年齢に似合わずかなりの戦果を上げた強者であることは間違いない。シルフィード軍では大元帥の息子という肩書きだけでは出世などできない。実力のみが全てである。つまり中佐という階級を彼は実力で勝ち取っていたのである。

 従ってカテナが自らの実力を自負していたとしても、おそらくそれを誰も否定することなど出来ようがないだろう。もちろん彼の若さもあるのだろうが、父親に対する彼の言葉からは怖いものなどこの世に存在しないとでも言いたげな絶大な自信がうかがえた。

 カテナは計画通りに事を運んでいる父親がここへ来て「怖じ気づく」という弱気な言葉を使った事が気に入らないようであった。

「直接手にかける事が困難な、言わば障害物であったル=キリアをこちらの駒を一切減らすことなく、きわめて安全な方法で排除できたのですぞ? これで我らは次の計画に移ることが出来ると言うもの」

「そうじゃな」

 そう言って彼の言葉を肯定した父親の声が、しかし沈んだままなのがカテナは気に入らなかった。

「父上がおっしゃっていたのですぞ。内輪でもっとも警戒すべき相手はユグセル公だと。その相手が消えたのです。後はあのスズメバチのみ。士気が高まりこそすれ怖じ気づくなどあり得ません」

「そうではない」

 強い調子で自分をなじるカテナに、サミュエルは苦しそうな顔で再び小さく首を横に振った。そして再び視線を窓の外に向けた。

「ではどうなさったのです?」

「ユグセル公も我らも、全てはこのファランドールという舞台で寸劇を演じる役者に過ぎん。そんな役者が即興で物語を勝手に進める事はどこまで許されるのだろうな」

「即興は真に力のある役者にこそ許される技能。それに我らが目指すものは寸劇などではありません」

「悠久の物語の中では、我らのやっている事はどう考えても寸劇であろうな」

「父上」

 カテナは改まったように声色を変えた。

「もとよりこの舞台、筋書きなどありましょうや?」

「そうじゃな」

 サミュエルは素直にうなずいた。

「歴史を塗り変えてしまうかもしれぬ事態に本当に自分自身が荷担してしまった事に対して怖れでも感じたのであろうな。まあ、それを感傷というならばワシは今、感傷に浸っておるのかも知れん」

「今度は歴史ですか」

「そうだ。カテナ、お前も間違えてはならんぞ。我々がやろうとしていることは決して正義などではない。ただ『ファランドールの未来かくあれかし』と願ってのもの。その意志にブレはない」

「御意」

「だがこうして実際に歴史書の頁をめくる役を与えられた今になると戸惑いがある。ワシが開こうとしている頁には一体どれほど過酷な出来事が書き込まれるのであろうかと、な」

 サミュエルの言葉に、カテナは鼻を鳴らして抗議した。

「炎に続き二人目のエレメンタルをも抹消しようとなさっている方が今更怖がるなど笑止千万。さらに父上がこの次にめくる頁に記されるであろう事を考えれば、そのようなつまらぬ怖れは早々に捨て置かれますよう注進いたします」

「まさに、そうじゃな」

 サミュエルは曖昧にうなずくと窓の外から視線を外して、自分の机に戻った。

「おまえの方はそろそろ動くのであろうな?」

 サミュエルは両肘を机に突くと、その上に顎を乗せて息子を見た。

「偽物の件ですな?」

「あれは偽物ではないのだがな」

「今は偽物です」

「まあ、よい。手はず通りだ。そっちは任せる」

「ヴェリーユにはすでに手を回しています。そう遅くないうちに始末出来るでしょう」

「くれぐれも遺体はあまり損なわぬようにするのだぞ。特にお顔はな。最悪の場合は首だけでもよい」

「委細承知しております。死体とはいえ……いえ、死体になったエリー様だからこそできる重要なお仕事がございますからな」

「エリー様には罪はない。強いて言えば風のエレメンタルなどになられたことが罪のようなものか」

「発現していないとはいえ、エリー様はエレメンタルです。もしもの事を想定して私が手駒としているバードを五名ほど使いますが、よろしいですかな? 父上の術を信用しないわけではありません。まあ、保険のようなものです」

「バードは貴重な人材。無駄に五名も無くすのは惜しいが、事が終われば掃除はきちんとしておけ」

「了解しておりますとも」

 カテナは陸軍式の敬礼をすると部屋を出て行こうとしたが、サミュエルがその背中に声をかけた。

「せめてもの情けじゃ。出来れば二人とも楽に死なせてやってくれ」

 カテナは振り返るとニヤリと笑った。

「計画通りであれば、本人には何が起こったかわからぬ内にお付きのキャンセラの女が事を済ませるでしょう。その女には労を労う意味でも、同様に何が起こったのかわからぬうちに事を済ますようにくれぐれもバード達には含めておきましょう」

 サミュエルは息子の答えに小さく頷いた。


 カテナは改めて大元帥の部屋の扉の取っ手に手をかけようとしたが、今度は扉越しに足音が聞こえたために伸ばした手を止めた。ただの足音ではなく、こちらに向かって走ってくる靴音だったからだ。

 宮廷内、しかも大元帥の間に続く廊下を走る事など平時では許されない行為である。つまりそれは、異変の先触れと言えた。

 カテナのその直感は当たった。走ってきた者は、迷うことなく大元帥の部屋の前で止まると同時に扉を大きく五回叩いた。

 その音に反応したのはサミュエルだった。彼は立ち上がると扉の向こうに声をかけた。それも大きな声だった。

「かまわん、入れ」

 その声にカテナはさっと身を引いて扉の脇に移動した。それと同時に扉が開いた。そこには近衛隊の士官の制服を着たアルヴィンが敬礼をして立っていた。

「最重要事項です」

 アルヴィンの士官はそう言ってサミュエルの様子をうかがった。

 最重要事項、すなわちきわめて重要な事柄を伝えに来たという事だ。それを今しゃべっていいのかどうかを問い合わせたのだ。

「入れ」

 サミュエルはそう言って伝令に来たアルヴィンの士官を招き入れた。そしてすぐ横にいたカテナを気にする彼に向かって続けた。

「かまわんでいい。いったい何事だ?」

「二つございます」

「早く申せ」

「はい。一つ目は大元帥閣下に謁見したいという者が来ております」

「なんだと?」

 カテナが士官の言葉に反応した。だがサミュエルは手を挙げてそれを制した。

「面会者が来たことが最重要事項なのか?」

「いえ、そうではありません」

「では特別な面会人ということか」

 アルヴィンの下士官はうなずくとチラリとカテナを見やったが、すぐにサミュエルに向き合い、こう答えた。

「はじめ衛兵は、おおかた胡散臭い『はぐれルーナー』が閣下のお名前を聞き及び、職でも無心しに来たのだろうと相手にもせず、すぐに追い返そうとしたようなのですが、彼の者はこちらの言うことには耳を貸さず『バード長に取り次げ』の一点張りのようで」

「お前達近衛軍の衛兵は下士官の中でも選りすぐりのルーナーなのであろう? そんな者の言うことなどに取り合わず問答無用で追い払えばよいではないか」

 カテナはバカにしたような言い方で士官をなじった。だがサミュエルは不機嫌に息子を制した。

「おまえは少し黙っておれ」

 そしてアルヴィンの下士官に続きを話すように促した。

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