第六十一話 招かれざる者 1/6

 石畳が敷き詰められた街の中心部に向かう大通りの一つには巨大な屋根があった。通りを挟んだ両側の建物は石造りの三階建てで、町の条例によりその高さはきれいに揃っていた。その建物の屋根に当たる部分から木製の庇が大きく張り出していて、その庇同士をつなぐように帆布が渡されている。いわゆるアーケードである。

 アーケードは約四キロメートルにも渡って伸びており、当時のファランドールでは最も長いアーケードだったという者もいる。

 通りの一方は馬車の為に用意された広大な車止めの為の広場に続き、もう片方はその街の中心にある広場へと抜けていた。街の中心部の半径にあたるほどの長さを持つそのアーケードは簡単に言えば商店街で、十二頭立ての馬車がゆったり四台は並んで走れるほど広い通りの両側には、様々な商店が軒を並べていた。

 シルフィード王国の首都エッダの中央広場には、四つの大通りがつながっている。すなわち「ヴェルディエ通り」「ヘカテラーグエ通り」「ツェルダーチェス通り」「ユリスカラント通り」である。その中でも最も広い通りが、王宮の正面から伸びる「ユリスカラント通り」であり、アーケードのあるその通りの名であった。昼間は四つの大通りの中でも一番賑やかな場所になる。

 ユリスカラントとはもともとエッダのあるこの地域を支配していた一族の名である。

 シルフィード王国は五百年に一度遷都を行うことで知られている。シルフィード王国の建国の際に尽力した五つの有力諸侯に敬意を表し、順番にその領地に都を置く事にしたのが起源だとされるが、実際に遷都法が定められたのは建国から千年以上経ってからである。

 遷都が行われるのはいわゆる五都、すなわち五つの都市と定められており、首都が置かれた順番に、スッダ、メッダ、エッダ、ノッダ、ヴェッダである。その為首都候補であるそれぞれの都市は王家直轄領とされているが、それは便宜上であり実際はその土地を治める貴族が管理・運営を行っている。

 遷都は五つの都市を順番に巡る為、遷都法が制定されてからエッダが首都として機能するのは当時で二回目であり、それはまた二度首都となった初めての都市でもあった。

 星歴四〇二六年当時のエッダは遷都五百年を三年後に控え、来るノッダへの遷都の為の準備が緩やかに行われていた。各大通りを抜けたところに馬車のための広大な車止め広場が作られたのもその一環である。もちろん遷都準備で流通が頻繁に行われるようになった為であった。もちろんユリスカラント通りを抜けたところに整備された車止め広場も同様で、こちらは主に人を運ぶ大型幌馬車の乗降基地になっていた。


 その車止め広場を背に、一人のアルヴィンの少年がアーケードのあるユリスカラント通りを中央広場に向かってゆっくりと歩いていた。

 薄い色の短めの金髪に緑の瞳。種族がアルヴィンなのでアルヴ族よりさらに見た目では年齢がわかりづらい。成人しているのは間違いないが、それが十代後半なのか百歳を超えているのかは不明だった。

 ただ、その服装と持ち物で少年の素性はある程度推し量る事は可能だった。

 少年の手には彼の身長を遙かに超える長さの青白い色の石で出来た精杖が握られている。

 精杖はすなわちルーナーであることを示す制服のようなものである。精杖が無くとも当然ルーンは使えるが、多くの場合は精杖を手にしてルーンを唱える。精杖が精霊波をより多く捕らえ、放つルーン自体も増幅する力を持つからだが、より積極的な使用理由は使うルーンの制御がやりやすくなるからだと言われている。

 杖自体の形状や材質はルーナーの好みや得意な属性などによりまちまちだが、例外なくスフィアが埋め込まれている。スフィアは精杖の核のようなもので、精霊波……エーテルと呼ばれるファランドールの大気に満ちる力はそのスフィアを通る事でルーナーの制御を受けやすくなるのだ。従ってルーナーの多くは一つあるいは複数のスフィアが頭頂部に埋め込まれた精杖を平素から肌身離さず持っている事が普通であった。もちろんルーナーであることを隠す必要がある者は、通りをゆったりと歩くそのアルヴィンのように目立つような精杖は持たず、懐に入る小さな精杖を利用する。

 またルーナーは複数の精杖を適宜選ぶという使い方はまずしない。それというのも精杖はルーンを使えば使うほど持ち主であるルーナーとの一体感を増してくるからだ。ルーン増幅器、制御器としての使いやすさは使い込むほど高まり、比例するように他のルーナーのルーンを受け付けなくなってくる。つまりルーナーの精杖とは持ち主専用品と言っていい。従ってほとんどのルーナーは気に入った一つの精杖を生涯大事にする。

 材質は様々だと書いたが、少年の精杖のような石づくりのものはきわめて珍しい。理由はもちろん重くなるからだが、その青白い石の精杖の持ち主である少年は、腕力のないアルヴィンであるにも関わらず、何の苦もない様子で、きわめて普通に精杖を握っていた。


 ルーナーであるそのアルヴィンの身分を、さらに特定させているのが着衣だった。

 まず、もともと一年中温暖な気候のエッダにあってローブ、それも厚手のものを纏っていること自体が奇異だった。さらにその深い紺色のローブには袖と裾に金糸で細かい刺繍がなされていて、一見して高級な物だとわかる。そしてそのローブの形と金糸の縁取りの模様から、マーリン正教会の関係者であるということも見て取れる。

 さらに決定的なのは胸に大きく施されたマーリン正教会のクレストの刺繍である。


 《蒼穹の台》(そうきゅうのうてな)。

 アルヴィンの少年は、マーリン正教会でそう呼ばれる人物だった。

 三聖という教会最上位の立場にある人間が、宗教活動を一切禁じているシルフィード王国にこうして居るということ自体が普通ではない状況だが、見たところ《蒼穹の台》は一人だけでゆっくりと大通りを歩いており共がいる気配がまったくない。

 だが、ユリスカラント通りを行き来する大勢の人々は、目立つ格好をしたその、シルフィード王国とすれば間違いなく国賓扱いになる人物に誰も関心を示さなかった。

 ――いや、関心を示さないのではない。よく見ると全く視界に入っていないようであった。その証拠に、今も歩きながら大声でやりとりをしている二人連れのアルヴの商売人が、対向から歩いてくる《蒼穹の台》イオス・オシュティーフェに目もとめず、危うくぶつかりそうになっても何の反応もしていない。幸い、イオスの方が軽やかな身のこなしで道を空けて事なきを得ていたのだが、よく様子を見ているとイオスは自分に全くかまわず向かってくる人々を縫うようにするりするりと通りをジグザグに歩いていた。

 つまり、人々にはイオスの姿は見えていないという事である。だから彼の姿を見て誰も歩みを止めたり奇異な物を見るような目で見つめたりすることはない。

 イオスはそういうルーンを自分にかけていたと考えていいだろう。


「十年振りか」

 人混みを縫うようにして歩いていたイオスは一件の店の前で立ち止まると、通りに向かって掲示されている看板を見上げて独り言をつぶやいた。

「リリス全般」

 看板には丁寧な文字で素っ気なくそれだけが書かれていた。多くの商店は看板には店の名前とそこが何の店かがわかるような絵……アイコンを並べて掲げているものだが、その店にはそれが無かった。

 一見では一体何の店なのかがわかりにくい。展示窓らしいものもなく、ガラスの窓越しに見える店内には十分な明かりすら無い状態で、そこに置かれている物もよく見えないようなありさまだった。

 イオスは樫で出来たさほど大きくない扉の取っ手に手をかけると、無造作に店内に入った。

 扉が開く音で顔を上げて出入り口を見た店の主らしき老デュナンはそこに誰かが立っているような気配は感じたが、ぼんやりと透けて見える扉の前に立つ小柄な人物らしき「もの」の正体はさっぱりわからなかった。

 異常事態を感じた店主が懐に手をやろうとした時、ぼんやりとした影は短い言葉をつぶやいた。するとその場に忽然と、紺色のローブを纏ったアルヴィンが現れた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る