第六十話 もう一つの帰還 1/4

「そろそろお返事をいただきたいのですが」

 一同が車座になってそれぞれの席に着くと、間を開けずにアプリリアージェが切り出した。

 前振りも何もなくちょうど真向かいに座っているラシフに向かって挨拶をするような何気ない口調でそう声をかけた。


 両者の会合場所はラシフの希望もあり、「族長の屋敷」と呼ばれる私邸の客間で行われていた。

 ラシフにしてみれば客人の宿舎である迎賓殿ではなく私邸に彼らを招き入れた理由は、警備の都合ではなく会合に参加する人数を制限したかったからのようだった。それはその日の会食の後、ラシフ自身の口からアプリリアージェに対し「部屋は広くないから全員を入れることは出来ない」と釘を刺していたことからも容易に察することが出来た。

 アプリリアージェはエルデと相談の上、会合に出席する人数を五名とした。すなわちアプリリアージェ、エルデ、ファルケンハイン、ティアナ、そしてアキラだった。

 ファルケンハインとティアナにはアプリリアージェからの特命があり、会合に出席する必要があった。アキラを敢えて会合に加えることについてもエルデとアプリリアージェでは意見の対立はまったくなかった。

 エルデはアプリリアージェの提案に頷くと

「必要最低限かつ最良の人選やと思う」

 そう言っただけだった。

 エルネスティーネは主にエイルと一緒に居られるという理由からもちろん参加したがったが、アプリリアージェがたしなめる前に「今夜はゆっくり休め」とエルデにたしなめられた。

 さらにエルデは「よく眠れるまじないだ」と言って、緩やかな睡眠導入の効力があるルーンをかけたものだから、エルネスティーネにはそれ以上まぶたの重さに逆らえる力は残っていなかった。


 ジャミール側の参加者はラシフを除くと次期族長がすでに決定しているルーチェ、族長補佐役である「四人組」から次席のシスカ、そして筆頭副兵士長であるヒノリの三名を加えた総勢四名が出席していた。

 四人組筆頭であるイブロドがラシフの命でメリドの看病に当たっている為に、次席であるシスカが、同様にメリドの代わりにヒノリが兵士代表として出席した格好だった。

 エルデは出席した面々を見渡し、それがラシフの型にはまった性格を表しているように思えた。

(四角四面やねえ)

 そう思ってアプリリアージェの方を見た。

 彼女は何も言わなかったが相手が誰だろうと話す内容は同じだという風にいつもの微笑をたたえていた。


「詳しい話は後で、という事だったはずだ」

 いきなり核心である返答を要求され、不意を突かれた格好のラシフはしばしの沈黙の後、そう言った。

「あら。私は返答は後でいいですよ、と言ったのです。詳しい話も何も私の申し出を断るか受けるか、きわめて単純なお話のはずです」

 エルデはラシフの左右に座っているジャミール側の面々を観察していた。そして今の二人の受け答えを聞いたルーチェの戸惑った表情を見て確信した。

 どうやらラシフは仲間にはまだ何の説明もしていない様子だった。おそらくこの場で改めてアプリリアージェ側から正式な要請と詳細説明がなされると思っていたのだろう。それはすなわちラシフがまだ結論を決めかねている事に他ならなかった。


 エルデは頭をかくとさも嫌そうに口を挟んだ。

「面倒やから最初から話をした方がええかもしれへんな」

 アプリリアージェは頷いた。

「そうですね。さっさと決めて後の面倒な事はファルに任せて久しぶりに心ゆくまで飲もうと思っていたんですが」

 そう言うとアプリリアージェは再度一同を見渡すとゆっくりとした口調で告げた。

「改めて説明しましょう。私ことアプリリアージェ・ユグセルは、我が名に於いてジャミール一族の族長ラシフ・ジャミールに対しシルフィード王国への里人全員の帰還を要請しました」

 その言葉はアキラを除く全員に一瞬の静寂を、そしてアキラには大きな動揺をもたらした。アキラはアプリリアージェに声をかけようとしたが、それはジャミール側の混乱で無視される格好になった。しかし、アプリリアージェはそんなアキラの様子をしっかりと視界におさめていた。

「シルフィードへ帰れだと?」

 静寂を破る大きな声。これはヒノリだった。

「ええ」

 ヒノリの方に顔を向けると、大声に全く動じた様子もなくアプリリアージェは微笑んだままそう答えた。

「我々を故国で処刑するおつもりなのでしょうか」

 おどおどしたシスカの問いには

「まさか、そんな面倒な事はしません。処刑をするならここでやりますよ」

 平然とそう言って、さらににっこりと笑いかけた。

「お前が言うと冗談に聞こえんからやめてくれ」

 苦々しげな表情でラシフがアプリリアージェをなじった。

「冗談ではありませんよ。今朝方も言いましたが私は面倒な事が嫌いなんです」

 アプリリアージェはにっこりと笑ったままラシフに向き直るとこう続けた。

「もちろんシルフィードに帰りましょうというお話の方も冗談ではありません」

 簡単に説明を受けていたファルケンハインとティアナとは違い、アキラにしてもこの話はまさに寝耳に水だった。礼儀正しく手を上げて発言をしようとするアキラをめざとく見つけたエルデが、小さく手を上げ、目を伏せて左右に首を振った。後にしろ、という意味だったが、アキラはそれに素直に従った。

「冗談ではないという言葉を信じた上で尋ねる」

 ラシフもエルデと同様に身内に一瞥をくれると発言を制し、一同を代弁するかのような質問を始めた。

「帰れと言うが、今更どこへ帰れと言うのだ? 我々の土地など、千年も前に奪われ、今はもうないのだぞ? 仮にその土地の利権を主張してもそれが『はいそうですか』と認められると思っているほど私はバカではない」

 アプリリアージェは首を横に振った。

「そんなことは問題ではありません。族長がジャミール一族をシルフィードに帰還させたいのか、この集落の皆さんがシルフィードに帰る事に同意するのかどうかだけが問題です」

「なんだと?」

「皆さんの新しい里はこの私が用意します」

 事も無げにそう言ってにこやかに微笑むアプリリアージェを、ラシフは真顔で見つめた。

「シルフィード軍の提督には、そこまでの力があるとでも言うのか?」

 ラシフの言葉に今度もアキラは反応して、一同を値踏みするように見渡した。

 アプリリアージェは視界の端でアキラのその様子を押さえつつも、すぐに視線をラシフに戻した。その太い特徴的な眉の後端を下げ、少し困ったような笑顔を作って。

「さすがにいち提督にはそんな権限はありません」

「ではなぜさも簡単そうに請けあうのだ?」

 怪訝な表情を崩さず食い下がるラシフと、相変わらず腹が読めない笑顔のアプリリアージェのやりとりにそわそわと落ち着かない様子だったアキラだが、たまりかねたように割って入った。

「ちょ、ちょっと待ってほしい」

 ラシフは忌々しそうな顔をアキラに向けた。

「何だ、お主は?」

「いや、一応自己紹介はしたはずですが」

「そんなことを言っておるのではない。一介の楽士がなぜこのような場に連なっているのかを聞いておる」

「私も今彼女にあなたと同じ質問をしようと思っていたところですよ、族長さま」

「なんだと?」

 そう言ってラシフの次の言葉を詰まらせたアキラは改めてアプリリアージェに向かうと堅い口調で問いかけた。

「首領は今、族長さまに『シルフィードの提督』と呼ばれていた気がするのだが」

 その言葉にアプリリアージェは困ったような顔を作って首をかしげて見せた。

「さらに、先ほど確かに『ユグセル』と族名を名乗っておいでだ」

「ばれてしまいましたね」

 そう言うとダーク・アルヴの娘は黒髪を揺らしてにっこりと笑った。

「そうか」

 アキラはそうつぶやくと目をしっかりと閉じた。

「最初に出会ったあの時に、気づくべきだったのだな」

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