第五十九話 帰還 4/4

 アプリリアージェは続けた。

「彼自身は大丈夫だと言ってます。だから大丈夫ですよ」

「そうですね」

 エルネスティーネはそう言ったが、その声は寂しそうだった。

「話がしたいですか?」

 エルネスティーネは、アプリリアージェの問いに素直に首を縦に振って答えた。

 メリドをダシにエルネスティーネを遠ざけたエルデの戦術は単純なだけに効果覿面で、アプリリアージェはその効き目に思わず苦笑した。そして目の前に寂しそうに佇む、まるで普通の娘にしか見えない「ネスティ」が自らが忠誠を誓う国の王女であることを「思い出す」自分が何とも言えず滑稽に感じられた。


 世が世であれば出会うことなどないはずだった一国の王女と不思議な旅のルーナーが出会い、離れがたい存在として今ここにこうやっている事には、何か大きな意味があるのではないかと言う事に、アプリリアージェはこの時初めて思い至った。

 少なくともアプリリアージェには、二つの月を背負うようにしてこちらを見上げる金髪の少女にとって、エルデ……いや、エイル・エイミイという存在が予想以上に大きなものになっている事を強く認識していた。

 それを止めるべきなのか、ただ見守るべきなのか。あるいは積極的に応援すべきなのか……。アプリリアージェは運命という時の流れが持つ力が、自分にどれを選択させようとしているのかをまだはかりかねていた。

 少なくとも彼女が与えられた使命にそのような項目はない。エイル・エイミイとエルデ・ヴァイスがエルネスティーネの敵でない限り排除する理由は存在しなかった。つまり、アプリリアージェにとって、現状ではそれが手持ちの要素のすべてだった。


「手が離せるかどうか聞いてきましょう。でも、すっかり元気になったエイル君とゆっくり話す方がいいのではないですか? お話をしている相手が眠そうな顔だとネスティもつまらないでしょう?」

「……それはそうですけど」

 見るからに不満そうに口をとがらせるお姫様を見て、アプリリアージェはただでさえ下がっている目尻をさらに下げた。

「『もう子供ではないのですから』とティアナなら言うでしょうね」

 アプリリアージェは軽くからかったつもりだったが、ティアナの名前を持ちだした効果は予想以上だった。エルネスティーネは思い切り頬を膨らませると、恨めしそうにアプリリアージェを睨み「わかってます」と小さく文句を言ってきびすを返した。


(エルデには相当の感謝をしてもらわないと割に合わないわね)

 アプリリアージェはクスクス笑いながらその場を後にした。

 その背中に、アキラが吹く笛の音が朗々と響き渡り、思わずアプリリアージェは立ち止まった。

 族長には許可をもらってあった。一行の疲れた気持ちを癒やせるなら、とアプリリアージェが進言し、その旨アキラに伝えておいたのだ。

 良い音色だ、と改めて歩き出したアプリリアージェは思った。その音色を聞いていると、安心感に満たされたような気分になり、ともすればアキラがもう長い間旅を共にしている大切な仲間のように思えてくるのだった。


 その笛の音を、アプリリアージェ以上の安心感をもって聞き入っている者がいた。それは一人ではない。二つの人影だった。

 彼らは糸杉の大木のかなり上部にある手頃な枝に腰掛け、白い月アイスが作る光から姿を隠して笛の音のする方を見つめていた。


「本当に良かった」

 つぶやく一つの影にもう一つの影が応えた。

「何度もそう申し上げたではありませんか」

「うるさい、黙れ。部下が上官の心配をして何が悪い」

 小さくそう叱りつけたミヤルデ・ブライトリング大尉の声に、しかし怒気はなかった。アキラの腹心の一人であるセージ・リョウガ・エリギュラス中尉は笛の音が聞こえる前、つまりつい今し方まで五分と間を開けずに「どうなさったのだろう」「何かあったのだろうか」と落ち着かずにあたりを行ったり来たりしていた上官の姿を思い出して笑いをこらえるのに苦労をしていたのだ。

 それがバレた時の上官の逆上ぶりを想像してなんとか笑いをこらえると、セージは話題を変えた。

「しかし、いつもながら見事に仲間になりきりますね、大佐は」

「まったく困ったものだ」

 ミヤルデは安心した反動からか、いつになく上司に対して毒舌を使った。

「楽士の方が天職だとおっしゃっていたが、ここまで見事に風来坊を演じられると、もはや冗談には聞こえぬな」

 セージはまたも苦笑を隠すのをこらえる困難に直面していた。

「ともかく、だ」

 セージがうつむいて苦笑しているのに気づいたのだろう。ミヤルデは少し声を大きくして同じ腹心の一人である相棒に言った。

「指示通り、我々はこれよりヴェリーユへ向かう」

「ヴェリーユですか。船旅になりそうですね」

「それにあそこは内陸だ。本格的な冬支度が必要だな」

「そろそろ双朔月(ならびさくづき)です。この辺にはもう冬が来ますからね」

 セージの言葉を聞いて、ミヤルデは葉陰から顔をだして二つの月を仰ぎ見た。月齢が進み、アイスもデヴァイスも、もうかなり細くなっていた。このあたりでは秋の双朔月が過ぎると降る雪が根雪となり、本格的な冬が到来すると言われていた。

「そうと決まれば善は急げです。早々にこの忌々しい森を出ましょう」

 ミヤルデはうなずいた。

 妙な結界が敷かれているせいで、方向感覚が全くきかない状態が続いていた。ごく近くにいるセージすら見失うことも度々であった。だからこそぷっつりと連絡が途絶えた上官の安否を気遣っていたのだが、風が運んできたゆったりとした笛の音を聞いて安心したとたん、徹夜続きの疲れが急に両肩にのしかかってきた。セージの言う通り、とりあえず森から出て、適当な場所で早く休みたかった。

 そんなミヤルデの気持ちを察したのかどうかはわからないが、セージが魅力的な提案をした。

「実に月が美しいですね。申し訳ありませんがあの月を堪能したいので、今夜は私にずっと見張り役をさせてもらえませんか?」

「――る」

「え?」

 聞き取れないほど小さな声でミヤルデが何かを言った。それを聞き直そうとしたセージはミヤルデに怒鳴られた。

「それで良いと言ったのだ。何度も言わせるな!」

「す、すみません」

 セージはしかし、怒鳴られてもニヤニヤ笑いが止まらなかった。なぜなら、彼にはちゃんと届いていたのだ。

 最初にミヤルデが言った「助かる」という声が。

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