第五十九話 帰還 3/4
アプリリアージェは一応部下達を目で牽制した上で話し始めた。口を挟むな、という意味だが、もちろんエルネスティーネとティアナには通用しないであろう事は想定済みだった。
「お急ぎの旅ではないという事でしたので、少し甘えさせていただきたいのですが……」
改まった口調でそう言うアプリリアージェに、アキラは顔から微笑を消した。
「首領らしくもない。単刀直入に願いたい」
アプリリアージェはいつもの微笑のままでうなずいた。
「お言葉に甘えます。このジャミールの地に短期逗留をしたいのです」
「ほう」
アキラは良いとも悪いとも言わず、アプリリアージェの次の言葉を待った。アトラックとファルケンハインは顔を見合わせた。
「我らがルーナーにしばらく休養が必要なのです」
その言葉に、案の定アキラよりも先にエルネスティーネが反応した。
「エイルがどうかしたのですか?やはりはぐれていた間に大変なことがあったのですね。一見元気そうでしたが私にろくに声もかけなかったのは調子がたいそう悪いのを隠すためだったのでしょうか?」
目を大きく見開き、もう少しでべそをかきそうなほど顔を崩したエルネスティーネが一気にそうまくし立てるのを見ると、アプリリアージェは気の毒になった。そして「彼は実は興奮して連発される難解なことわざ攻撃を避けるためにエルネスティーネに近寄らなかっただけだ」とは口が裂けても言ってはならないと改めて決心した。
「まあ、いろいろありましたが大丈夫です。ただ、古代ルーンの精霊逆行(リバウンド)回避とメリドの骨折治療でかなり消耗してしまったようで、その消耗回復の間、特殊な睡眠を取る必要があるそうなのです」
アプリリアージェはそう説明した。
もちろんエルデと打ち合わせをした訳ではない。だが、彼女はその辺の一切をエルデから頼まれたと解釈していた。で、あればアプリリアージェ風にそれすら利用させてもらおうと考えての説明だった。
「メリド殿については、命に別状はないとの話だったはずだが」
アキラがそう言うとアプリリアージェはうなずいた。
「ええ。ですがエイル君は彼の骨折をもう完全に治してしまったんですよ。骨折により内部に入った細菌などの免疫作用である熱については敢えて冷まさず、本来の治癒能力を嵩上げする措置をとったそうなので今夜一晩熱が出ますが、それも明日の朝には収まって、メリドさんはまったく元通り元気になるそうです」
「なんと、折れた骨を瞬時に修復することが出来るのか?」
アキラは驚きを隠さない顔で感嘆した。そこには演技臭などはない。少なくともアプリリアージェはアキラの驚きを素直なものと感じた。
「賢者という事もあり、その名こそ知られてはいませんが、おそらく彼はファランドール屈指のハイレーンでしょう」
「なるほど」
アキラはアプリリアージェの説明に納得したようだったが、即答はせずに腕を組んで考え込んだ。
「ご都合でも?」
「いや」
アプリリアージェの問いにそう答えたアキラだが、その顔を上げると、アプリリアージェではなくそこから見える里の外に広がる深い森に視線を向けた。彼らが座っている部屋続きの板敷きの露天舞台のような場所は森に近く、その森の上にはそれぞれアイスとデヴァイスという名を持つ二つの月が輝いていた。
「もとより急ぎの旅でもない」
「では」
「ただ、このあたりの土地が醸し出す独特の雰囲気があまり私には馴染めぬので気乗りがしないのですよ」
アプリリアージェは早とちりを自省するように目を伏せるとうなずいた。
「我らがルーナーによれば、このあたりの土地全体に方向感覚を狂わせるような仕掛けが施されているそうです。それも相当強力なもののようで、感受性が高い人ほど違和感を覚える期間が長いのだそうです」
「結界か」
「しばらくすると慣れるそうですよ。でも、もしお気に召さないのであれば、もちろんアモウルさんを優先します。ただ、賢者の世話係として私ともう一人ほどここに残る事はご承知いただきたいのですが」
「いやいや、それには及びません」
アキラは手を上げてアプリリアージェを制した。
「私としたことが先に繰り言が出てしまった。許していただきたい」
「と、言うと?」
アキラはうなずいた。
「私としてはこれ以上この旅の道連れが減るのは寂しい限り。アトラック殿の推薦口上のとおりここは清潔で快適な寝床もあるし、逗留する間は朝食のベーコンの薄さに落胆する事もなさそうだ。この館にはなんと温泉もあるそうだし、こちらもルーナー殿が回復するまでのんびりする事についてやぶさかではありませんよ」
アキラはそう言うとアプリリアージェに微笑んで見せた。アプリリアージェはそれを受けてゆっくりと頭を下げた。両側の髪が顔にかかり、耳に付けた金色のスフィアがころんと揺れ、白い月「アイス」の光を反射して小さく光った。
「いや、ベーコンについてはこの里が良識派であれば俺のと変わらない厚さだと思いますよ」
交渉は成立したと判断したのかベーコンの話題に黙っていられなくなったのかは不明だが、アトラックが話に割って入った。
彼としてはこれ以上朝食ベーコンにおける「厚切り派」の増長を許すことは出来なかったのだろう。
「で、あれば、俺はこの里が良識派でないことを祈ろう」
同様にアトラックの反論に釣られたのかどうかは定かではないが、ファルケンハインがいつものようにベーコンの厚さについては断固とした異論を唱えた。
そのやりとりを見ていたアプリリアージェは、微笑したままでアトラックにこう言った。
「安心していいですよ、アトル。この里では朝食にベーコンは出ませんから」
「あの……」
その場を再び立ち去ろうとするアプリリアージェの背中にエルネスティーネが声をかけた。アプリリアージェはかすかな緊張を背中に走らせたが、すぐに振り向いた。
「エイルは、その……本当に大丈夫なのですか?」
エルネスティーネのその問いに、アプリリアージェは微妙な緊張を解いた。不思議な「ことわざ」を投げつけられるのかと思って身構えていたのだ。
考えてみればエルネスティーネが「エルデ」ではなく「エイル」の心配をするのは至極自然な事だった。だが、アプリリアージェはその言葉の意図を無視することにした。
いや、彼女は正確なことを答えられる立場になかったのだ。
だから、不確実な真実ではなく、認知している事実を告げた。
「少なくとも口の方は達者ですね」
アプリリアージェの言葉にエルネスティーネはほっとしたようにため息をついた。
「よかった。でも、話を聞くとハイレーンは高位になるほど消耗が激しくなるということなのでしょうか」
「そうですね。今まで我々は彼のここまで高位の治癒ルーンを目の当たりにした訳ではありませんからなんとも言えませんね。傷口の治癒と違って骨折を瞬時に治してしまう程のルーンになると、負担は桁違いなのかもしれませんね」
アプリリアージェはこの場で事情をつまびらかにする気は毛頭なかった。ル=キリアやエルネスティーネに対して隠す必要はもはやなかったのだが、アキラにはまだエイルとエルデの秘密は話してはいない。もともと彼に秘密を告げることを避けたのはエルデなのだから、彼らの口から話すまでは秘密にしなければいけないことだった。それにまだラシフに説明する段階でもないと思っていた。
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