第五十九話 帰還 2/4
それから少し沈黙があった。
次にエルデが口を開いた時の彼の表情からはアプリリアージェは何も読み取れなかった。
「俺はしばらくの間、意識を消す」
アプリリアージェはそれには答えなかった。エルデはそれを待たずに話を続けた。
「つまり、しばらくの間ここに逗留してもらう事になるんやけど」
これにはアプリリアージェは即座に答えた。
「それは好都合です」
エルデはある程度その答えを予期していたのであろう。うなずくと尋ねた。
「例の件、本気なんやな?」
「ええ、もちろんです。先行して動いておきますよ。明日の朝にでもファルケンハインとティアナに走ってもらおうと考えています」
「そっか。なら甘えさせてもらうわ」
アプリリアージェはいつもの微笑を浮かべたまま目の前に立つピクシィの少年の黒い瞳をじっと見つめると、思い出したように尋ねた。
「その目と髪、もういいんですか? あなたの姿を見たアモウルさんが口をあんぐり開けて驚いていましたけど」
「あ、ああ」
エルデは自分の前髪をちょっと引っ張って色を確認するような仕草をした。
「発作で元に戻った後、かけ直すのをすっかり忘れてたわ。ヴェリーユに入る前まではもうええやろ。エイルはこっちの色の方が好きみたいやしな」
「なるほど。……それで、しばらくと言いましたが、それははっきりとした時間がわからないという事ですね?」
「エイルが起きるまで、やな」
「明快な答えですね。了解しました」
それだけ言うと、アプリリアージェはスッと立ち上がった。
ル=キリアと出会った当初、エイルとエルデはアプリリアージェが今のように音もなく自然に立ったり座ったりが出来るのは風のフェアリーの能力だろうと思っていた。だがそれはアプリリアージェとテンリーゼンだけが持っている能力だと言うことはしばらく経ってからわかったことだった。
ファルケンハインにせよアトラックにせよ武人とは思えないその立ち居振る舞いの優雅さは並のものではなかったが、アプリリアージェやテンリーゼンのように無音という訳ではなかった。
では、風のフェアリーの能力を持つ、もともと身が軽いダーク・アルヴやアルヴィンの持つ特性なのかとも考えたが、風のエレメンタルであるアルヴィンのエルネスティーネと出会って、それも違うという事を認識した。そしてそれは個人の能力だという結論に達していたのだ。
エルネスティーネは王宮仕込みのきわめて優雅で美しい立ち居振る舞いを見せてくれたが、それは動作の形における洗練であって、まるで体重がそこに存在しないかのようなアプリリアージェ達の動きとは全く違うものだった。
そよ風に舞い上がる水鳥の羽毛のような軽やかさで立ち上がったアプリリアージェに、エルデは声をかけた。
「理由は聞かへんのか?」
「ええ」
アプリリアージェはそう答えてにっこり笑った。
「イブロドが来ました。私はそろそろ覚悟を決めてアトラックに助け船を出しに行くことにします」
エルデはそれには答えず、苦笑を浮かべて見せた。
「失礼します」
アプリリアージェの言う通り、部屋の入り口でイブロドの声がした。その後ろには結構な荷物を抱えたティアナが控えていた。
その声を合図にアプリリアージェはその部屋を後にした。
イブロドは会釈するアプリリアージェの為に道をあけると、深く頭を下げた。
そしてその後ろ姿を少しの間見送っていたが、エルデに促されて我に返った。
「どうした? 遠慮せずに入ったらええで」
「これは……失礼しました」
「リリア姉さんがどうかしたか?」
礼をして部屋に上がりながらも、さらに一度アプリリアージェを振り向いたイブロドにエルデは怪訝な顔でそう声をかけた。
「いえ、あの方は高名な軍人だとうかがっていたのですが」
エルデはニヤリとした。
「族長がそう言ってたんか?」
「はい」
「そうは見えへんやろ?」
イブロドはうなずいた。ラシフの実の娘だけあって、近くで見ると族長によく似た愛くるしい顔立ちだとエルデは思った。ラシフの顔をさらに柔らかく優しく手直しするとこうなるのではないかと思われる伏し目がちの眼差しが、イブロドの特徴と言えた。
「この方はわかりやすいエーテルを纏っておいでですが」
イブロドは後ろのティアナを見上げた。
「ああ、やっぱりな」
「やっぱりとは何だ、やっぱりとは」
ティアナは二人のやりとりにムッとして文句を言った。
イブロドはクスッと笑うと
「でも、あの方には全く殺気のようなものがなく、穏やかというか、複雑ですが静かなエーテルに包まれています。ですから軍人と言うよりも、巫女だと紹介された方がまだ納得できます」
エルデはイブロドの表現に思わず苦笑した。
「その直感はある意味的を射てるな」
「え?」
「俺が思うに、あの人は自分の守るべきものに帰依した存在や」
「守るべきもの、ですか?」
それが何かをイブロドは問うたのだろうが、エルデはそれには答えず、アプリリアージェが去った方に改めて視線を向けた。
イブロドもそれをなぞるように再び振り返った。
「『遠くの珍説より近くの仮説』という言葉をしみじみと感じました……あ、リリアさん」
エルネスティーネは部屋に入ってきたアプリリアージェをめざとく見つけると、頭に「マナちゃん」を載せたまま飛びついてきた。反動で「マナちゃん」がアプリリアージェの顔に張り付いた。
「アモウル様には本当に助けられました。その話を今アトラックにしていたところです」
アプリリアージェは顔に張り付いたマナちゃんをゆっくりと引きはがすと、エルネスティーネの頭の上にそっと載せなおし、微笑んだままアトラックに視線を移した。
憔悴しきった部下の向こうにはアキラとファルケンハイン、そして仕事が無くなった為、いったんイブロドの助手をお払い箱になったティアナが今まさに加わり、三人が車座を形成して座っているのが見えた。
アキラが何とも言えない妙な表情でいるのが可笑しくて、アプリリアージェはたまらずクスっと笑いを漏らした。だが幸い、それは彼らには気づかれなかったようだった。
アキラの向かいにいるファルケンハインも、彼にしては珍しく苦笑を浮かべている。おそらくはエルネスティーネの不思議ことわざ攻撃に面食らっているアキラの戸惑いをどうやって納得させたものかと困っているところなのだろうとアプリリアージェは察した。
「みんな無事だったのですから、良しとしましょう」
アプリリアージェはエルネスティーネの短い金髪を撫でながらそう言った。エルネスティーネは仲間と無事に再会できた興奮がさめやらず、まだしゃべり足りないようだったが、その言葉には素直にうなずいた。
「本当にそう思います」
「そうだな。特に今回はネスティの機転があればこそ、みんな無事に帰ってこられた」
ファルケンハインは自分の上官に軽く黙礼をすると、ようやくおとなしくなったエルネスティーネをそう言って持ち上げた。
「聞きました。私はシルフィードの人間としてネスティを誇りに思います」
アプリリアージェはそう言うと改めてエルネスティーネの頭を優しく撫でてやった。エルネスティーネはくすぐったそうに目を細めて見せたが、すぐに思い出したように訪ねた。
「メリドさんとエイルは?」
アプリリアージェはその問いにはすぐに答えず、エルネスティーネの頭に手を置いたままでアキラに声をかけた。
「そのことで我らが雇い主様に相談があります」
「改まって私に相談、ですか?」
アキラは思いも寄らないお鉢が回ってきたと言いたげに、わかりやすく体全体を使って『さも驚いた』ような態度をして見せた。
こういう芝居がかったところが芸術家らしいとアプリリアージェは思った。だが、決してそれを疎ましいとは思わなかった。アキラがそうすることは自然な事だと思えたのだ。それだけアキラの立ち居振る舞いと纏う雰囲気が彼らに受け入れられていたということなのだろう。
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