第五十八話 認証文 7/7
「わかった。どちらにしろ……決断しろということだな?」
エルデはラシフに注いでいた視線をアプリリアージェに移した。アプリリアージェはエルデの視線を受けて微笑んだままで小さくうなずいた。
エルデはそれを見て同じようにうなずくとラシフに向き直った。
「そもそも話を聞いてたら、族長のところの一族は一つの宗教というよりも、族長の持つルーンの力に対する尊敬によってまとめられてるような集団やろ?」
エルデの言葉に、ラシフは眉をひそめた。いや、いきなり話の方向性が変わった事に驚いたと言った方が正解だろう。
「だが、シルフィードではそれでも弾圧されたと伝え聞く」
「アトル」
エルデはラシフを見つめたままで傍らに控えるアトラックに声をかけた。
「なんだ?」
「シルフィードの現行法でこの形態の部族を取り締まるようなものがあるんか?」
「そうだな……」
アトラックは腕組みをして少し考えた後、こう答えた。
「個人が唯一神マーリンを信じて崇拝すること自体はシルフィードでも禁じてはいない。というか、個人の信条など黙っていればわからないんだし、取り締まりの対象にできるはずもない。問題は崇拝行為を第三者に見せる為にそれを行事化したり、複数の人間が集まって崇拝の儀式を行うなどを禁じているだけだ。人に強要したり勧誘するのももちろん御法度だな」
エルデはラシフを見つめたままで、アトラックの回答にうなずいた。
「この一族はマーリンの力というよりも火山を神格化してそれを制御するルーン、いやそのルーンを使うルーナーを自分たちの指導者とする習慣があるだけやと見たけど?」
アトラックはエルデの問いに答える前にアプリリアージェの方を見やった。視線を感じたアプリリアージェはアトラックと視線を交えるとゆっくりと、しかしはっきりうなずいて見せた。アトラックはそれに小さくうなずき返すと口を開いた。
「同感だな。この集落がシルフィードにあったとして、今言った御法度を遵守し、かつ属する地区の法律やシルフィードの法律に則った暮らしをしていれば特に取り締まれる法律は存在しないと思う。あとは……そうだな、ここの場合は外から入ってくる旅行者やよそから入って来て問題のない手順を踏んで定住したいと言う者を自分たちの非認定法、つまり「掟」とかいうもので排除する事をしなければ何ら問題はないだろう。残る問題、つまり今行っている神事や行事を当たり障りのない物、つまり創立記念祭や収穫祭などに置き換えればそちらも解決する。事実、そうやってシルフィードに残っている集団は多いんだ」
「それに、スカルモールドを来客にけしかけるんも無しで頼むわ」
「それは、もう謝った」
「謝って済む問題かいな……普通の人間やったらイチコロで死んでるで」
「いや、スカルモールドを普通に剣で倒せるお前はともかく、ファーンが来るのがあと少し遅かったら俺達の方はどうなっていたかわからないがな」
「それはウチやのうてエイルの特殊な能力やな。今みたいに俺一人やったらエアの中ではどうしようもなかったやろな。ある意味真っ先にやられてたかもしれへんわ」
「いや、エイルには驚いたぞ、だいたいあいつは」
「俺一人?」
エルデとアトラックの会話に割り込もうとしたラシフの質問を遮るように、アプリリアージェが口を開いた。
「族長という名前を捨てて、里人に選ばれた村長という立場になればいいのではないですか?そしてその土地を国王から預かって統治している領主がその村長の立場を認めれば、その集落は緩やかな自治を存続できます。それにアトラックが言ったようにあからさまな宗教色のある行事でなければ、収穫祭などはそれこそ各地が自由におこなっていますし、村長がそれを積極的にとりまとめていくようにすれば一族の文化はある程度継承できると思います」
エルデがそれに続けた。
「もちろん、外部からの血は入ってくるやろ。ダーク・アルヴ純血というわけにはいかんようになるやろな。反対に集落から出ていくやつもきっと出てくる。それを掟とかで縛って止めることもできへんわけやから、血の濃さを求めるのならムリやろうけど、同族ばかりで婚姻を続ける弊害は……知ってるな?」
ラシフはうなずいた。
「我々は血族であることや純血のダーク・アルヴであることを第一義としているわけではない。シルフィードの法に村ごとただ追い出されただけなのだ」
「たぶん、デマと誤解でこういう悲劇は国中で起こったんやないのか?」
エルデはアプリリアージェを見やった。アプリリアージェはエイルとは目を合わせずラシフに声をかけた。
「昔の話を我々がどうこう言う立場にはありません。ですから私達があなた方に対して謝る事も何か違うと考えます」
「我々も今更お前達に謝って貰おうなどとは思っていない」
「そう言っていただけるとこれからの話がしやすいです」
「これからの話?」
アプリリアージェはうなずくと首をかしげ、にっこりと笑って見せた。それはいつもの微笑ではなく明らかに笑顔であり、その邪気のない美しい表情にラシフは思わずハッとした。
アプリリアージェは表情を崩さずにはっきりとした声でこう言ったのだ。
「シルフィードにお帰りになりませんか?」
アプリリアージェ・ユグセルがこの時ラシフ・ジャミールに対して告げた言葉は短い言葉だったが、ジャミールの一族にとっては歴史の一頁を綴るほど……いや、新たに一冊の本を編纂する程、重く大きな言葉だった。
アプリリアージェは声を失っているラシフにゆっくりと歩み寄ると、その小さな手に握られたままの白い面……アプリリアージェの二つ名の由来となったあの面を受け取るべく手を差し出した。
ラシフは無言のまま素直に差し出された手に白い面を返した。
アプリリアージェはエルデの方に顔を向けると白面を持った腕を差し出した。
「燃やしてくれませんか?」
「ええのか?」
「よく考えたら、『白面の悪魔』はアロゲリクの渓で死んでました」
エルデはさらに何かを言おうとして少し口を開きかけたが、それをすぐに閉じると精杖ノルンを持ち上げ、頭頂部を差し出された白面にそっと当てると小さい声で短いルーンを唱えた。
「ウェルカ」
何も起きない。
だがエルデはそのまま表情を変えず、続けてもう一つのルーンを唱えた。
「エリフ」
唱えると同時に今度は白面から炎が立ち上がった。白面はあっという間に灰に変わり、アプリリアージェの手からこぼれ、風に乗って崖の向こうへ消えていった。
「白状しますけど、使う事があるかもしれないと思っていたんです」
「ウチも白状するけど、使われると嫌やなって思ってた」
「使う必要なんて、とっくになかった事を思い出したんですよ」
「俺が意識失うてる時に何かあったな?」
エルデはそう言うとアトラックとラシフを交互に睨んだ。
アトラックはあからさまにあらぬ方向を向き、ラシフは怪訝な顔でエルデを見返した。
アプリリアージェは反芻したのだ。ラシフに対して語ったエイルとエルデの話は、実は自らにも言い聞かせる言葉だった。
白面の役割が終わった事。いや、終わっていた事を、ラシフに語りながら自覚したのである。
燃えた灰が風で運ばれた方角を目で追いながらアプリリアージェは思った。
最後に使ったのが、戦闘の為でなくて良かった、と。
しばらくその場を支配していた静寂を破ったのは、一行の声ではなかった。
「ラシフ様ー!」
その声は崖に続く森の中から聞こえてきた。ラシフがすぐに反応した。
「ヒノリのようだな」
その言葉を証明するように副兵士長の筆頭であるヒノリが、姿を現した。
彼は一行からある程度の距離まで近づくと片膝をついて短剣を地面にそっと下ろして頭を下げた。
「どうした?」
族長に促され、ヒノリは頭を上げて一行にとって重要な情報を告げた。
「精霊殿の修復がほぼ完了いたしました」
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