第五十八話 認証文 6/7
「うん。終わりや」
アトラックの問いかけが合図だったかのようにエルデは水平に構えていた黒い精杖をゆっくりと下ろすと振り向いた。
「成功なのか?」
アトラックはエルデに向かって続けてそう問いかけながら、しかし視線はラシフに向けていた。エルデはアトラックの視線を追うようにしてラシフの方を見た。
「ご意見は?」
だが、先にラシフに声をかけたのはアプリリアージェだった。
ラシフは首を横に振った。
「手応えは術者にしかわかるまい?」
「フン。おっつけ煙も消えるやろ。でも、ちょっとええか?」
エルデは目が見える左側からチラリと背後の火山を振り返るとそうラシフに声をかけた。
「何だ?」
「心配せんでええ。ルーンは問題なく発動してる。けどな」
「けど?」
「――どちらにしろこの里は捨てた方がええな」
「何だと?」
ラシフは思わず一歩身を踏み出した。そのあまりの剣幕にエルデは思わず一歩後ずさると、話を続けた。
「最後まで唱えて確信したけど、このルーンは一種の冷却ルーンや。それもある一定以上の温度の物体にしか反応せえへん特殊な冷却術やな。まさに火山のマグマをさますのにぴったりや」
「で、あるならなぜ里を捨てろと?まさかルーンの発動が不十分だったのか?ハイレーンだからか?」
「なんや?またハイレーン叩きか?」
「いや、しかし」
「ルーンはもちろん大成功や」
「ではなぜ里を捨てろと言うのだ?」
「冷やしすぎた」
「は?」
黒い瞳のルーナーは珍しく卑屈な笑いを浮かべると、バツが悪そうに頭をかいた。
「最初やから加減したつもりやったんやけど、手応えからすると、どうもちょっと冷やしすぎてもうたみたいやねん」
エルデのその言葉にアトラックとラシフはお互いに顔を見合わせた。一歩下がったところに立っていたアプリリアージェは腕を組んで片手を頬にあて、考え中と言った風に首をかしげていた。
「たぶん、今までの術者の力で発動させていたこのルーンは、この火山の直下の一部分だけを冷やして膨張を押さえていたんやと思う」
「うむ」
「つまり、その下のマグマだまりまでは固体化せず、体積が減ったことでマグマの通り道も確保されてて、それはこの次大きな膨張が起こったときでも一応誘導路として働いてこの火山付近が噴火するような形になるわけや」
「なるほど」
アプリリアージェはそこでポンと手を打った。
「エイルの言ってる事がわかったんですか?」
アトラックの問いにアプリリアージェはうなずいた。
「実際にそうなるかどうかは事が起こらないとわかりませんが、エイル君はかなり広範囲に、しかもかなり深くまでマグマだまりを冷やして固体化してしまった……つまりあの火山への溶岩の誘導路を含めて全部塞がってしまったと言う事ですね?」
「おお。ご名答」
エルデはそう言って手を叩いて見せた。
「それよりも問題は固体化による体積の収縮で、このあたり一帯の地下に広大な空洞が出来てしまったという事なのでしょう?要するにこのあたりの地下は今現在、スカスカ状態と言うことですね」
エルデはうなずいた。
「マグマの勢力がある程度回復して、塞がった通路が使えずにむずがる地下のマグマ活動に誘発された大小さまざまな地震が発生したら、このあたりの地盤は一帯どうなる事やら」
「なんだと?」
「そりゃもう地割れなんかも簡単にできるやろうし、そうなると今まではあのレイジノ山の火口でガス抜きしてた誘導路がなくなってる訳やから、新たな隙間……噴火口候補なんてその辺に無数に生まれちゃうかも〜やな」
エイルはそう言うと舌を出して肩をすくめて見せた。
「貴様、なんと言うことをしてくれたのだ!」
ラシフは目をつり上げてエイルに詰め寄った。だが、それをアプリリアージェがやんわりと制した。
「落ち着いて下さい、族長」
ラシフは立ち止まって振り向き、制したアプリリアージェをにらみつけた。
「これが落ち着いていられるかっ」
「大丈夫です。そう言うことが起こるのはもう少し後でしょう。エイル君はかなり冷やしてしまったそうですから、地表にマグマの勢力が及ぶまで回復するにはそれなりの間隔があくということではないでしょうか?」
「少なくとも、上っ面を冷やした程度で次を待つ……つまり、今までよりは長いこと安定してるやろ」
「そ、それを早く言え」
ラシフは肩を落とすと大きなため息をついた。
「お前達と話をしていると冗談抜きで寿命が縮む」
アプリリアージェはラシフの言葉を受けてクスッと笑った
「さっきは尽きかけていましたね、寿命」
「何の話や?」
「こっちの話ですよ」
エルデににっこり笑いかけると、アプリリアージェは珍しく小さくチロリと舌を出して見せた。
エルデはそれを見て気の毒そうな顔をラシフに向けた。身も凍るような脅しをかけられたに違いないことを直感したのだ。およそ交渉術に長けているとは思えないラシフである。アプリリアージェにかかっては赤子も同然にしてやられたに違いなかった。
エルデは認証文をラシフが口にした経緯を何となく想像して、族長に対して気の毒に思う気持ちが沸いてくるのを止められなかったのである。
「まあでも、安心ばかりもしてられへんで。広範囲にマグマが冷えたことで別の問題も出る」
「たとえば?」
「たとえば、このあたり一帯に湧き出していた温泉が枯れる可能性がある。温泉だけやのうて、湧き水自体が地表に出る前に新たに生まれた空洞に飲み込まれてしまう事は簡単に予想できるやろ?空洞に水が飲み込まれまくると池や湖なんかもなくなるかもしれへん。つまり、飲み水の問題がまずある」
「そうなのか」
エルデは腕組みをして少しうつむくと続けた。
「あとは植生やな。昨日からこの付近の様子を見てて思たんやけど、このあたりは高地やのにそれほど寒うないし、存外作物がよく育ってるんやないか?それにこの標高にしては不自然に広葉樹、それも落葉灌木が多い。察するにこれは全部地熱のせいやな」
ラシフはエルデに言われてがけの縁まで進み寄ると、辺りをゆっくりと見渡した。
「場所にもよるが、確かに冬でも雪がつもらない地域もけっこうある。そこでは長く作物も作れる」
「そう言う場所が熱を失う。それはもう今すぐに、や」
「――」
「もう少し大きな話をするなら、地熱が関係しているこの付近一帯の気温自体が変化する可能性も高い。いや、間違いないやろな。この地の上昇気流が無くなると、この地域の気流自体が変わる。つまり気候が激変する。ちゅうことは、や。間違いなくこの冬は今までにない厳しさに見舞われるやろ」
エルデはそこまで話すと言葉を切り、里に続く森を見下ろすラシフの背中をじっと見守った。
ラシフは眼下に広がる山肌を眺めていた。秋も深まり様々な色に染まった山肌はもう何年も見慣れた光景で、そしてそれはラシフにとってこの先もずっと続くものとして信じて疑わない人生の背景のようなものだったのだ。
(不自然に大きなルーンを使い続けたツケが今頃になって回ってきたという事か)
ラシフはそう心の中で自問すると、ゆっくりとエルデを振り返った。
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