第五十八話 認証文 3/7
「私たちが全力を出せばあの程度の規模の村なら、本当に数分で動いているものはいなくなるでしょう。ついでですからきれいさっぱり焼き尽くしてあげますよ」
「なんだと?」
「もちろん、私達にも情けはあります。あなた同様、出来るだけ苦しまないようには最善をつくしますので安心して先に逝かれてけっこうです」
ラシフは怒りと恐怖で絶句した。
「悪魔」と呼ばれるこの人物は、間違いなく言った事をその通りやってのけるだろう。
そう確信した。
ラシフはアプリリアージェの通り名を二つとも知っていた。
そして思った。
(「白面の悪魔」の素顔はまさに「笑う死に神」か。敵も味方も、この女の事を端的にうまく表現したものだ)
「そう言うことで、エイル君が起きる前に済ませましょう。これが最後です。認証文を」
「わかった」
ラシフは手を上げてアプリリアージェの言葉を遮った。観念したのだ。
「認証文を教えよう」
「そうですか。それは残念です」
「え?」
「いえいえ。面倒だからもう教えて下さらなくてもいいと思っていたんですが……」
サラリとそう言ってのけるアプリリアージェの優しい笑顔が、ラシフにはこの世のものとも思えない恐ろしいものに見えた。長く生きていたラシフだが、その時初めて、本当に背筋が凍るような感触というものを味わったと思った。
「私の命など今更惜しくはないが、里の人間を皆殺しにされてたまるものか。それに、この里は我々の先祖がずっと守ってきた場所なのだ。本当に鎮めてもらえるのなら、この命一つくらいは先ほどの代償としてくれてやる。この言葉に偽りはない」
アプリリアージェはラシフの言葉に頷いた。それを見て、ラシフは続けた。
「さっき教えなかったのは賢者だろうが口ばかり達者な少年、それもハイレーンと聞いて強大な古代ルーンが使えるとはとうてい思えなくなったからだ。たいしたことのないルーナーに用はないのだ」
アプリリアージェは首を横に振って見せた。
「だから言ったではないですか」
「何?」
「あなたは賢者エイミイ……いや、エイル君を信用しなかったのだと。エイル君はあなたを信用したのに、です。いったいどこの誰が履行出来もしないルーンの詠唱を進んでするんです?」
「うう……」
「失敗したら無事ではすまないんですよ?」
「――」
「あなたは、あなたを信じて命をかけて戦っている相手の顔にツバを吐きかけたも同然です。エイル君の口癖ではないですが、恥を知れ、と言いたいですね」
「――」
「正直に言いましょう。あなたが契約文を言わなかった為に賢者エイミイの唱えるルーンが途中放棄で失敗した時、その場であなたを殺したい衝動を抑えるのにずいぶん苦労しました。たぶん、あの話を聞いていなかったらそうしていたでしょうね」
「あの話?」
「あなたのお孫さんの事です。《真赭の頤》の下にルーン修行に出したという」
「ユートがどうしたというのだ?」
「エイル君はそのユート君の兄弟弟子だったんですよ」
「それは、聞いた」
「人の話は最後まで聞いた方がいいですね。狭い村に長くいると本当に人間の価値観は小さく狭くなっていくのですね」
アプリリアージェは挑発とも言える言葉を投げつけたが、ラシフは唇を噛んでこらえた。ここで癇癪を起こしては取り返しのつかないことになるような気がしたからだ。同時にアプリリアージェの言葉からは今までのエイルの憎まれ口とは全く違う種類の……本当の敵意のようなものをひしひしと感じていた。とろけるような微笑を向けたまま落ち着いた口調で話すアプリリアージェに比べると、目をつり上げて声を荒らげて口汚く罵るエルデの方が、よほど友好的だったと、まるでおかしな事を考えていた。つまり、それほどの恐怖を喚起させるものをアプリリアージェは纏っていた。
まるでそれが本来のル=キリアの司令としてのアプリリアージェの姿であるかのように。
アプリリアージェはラシフが唇を噛んで出かかった言葉を飲み込んだのを確認すると話を続けた。
「ユート君はルーナーとしては才能があり、実に優秀だったようですね。けれど、彼は焦りすぎていた」
「――」
「ルーナーとして早く一人前になりたい一心だった彼は、ある日、身の丈に合わない高位のルーンを師匠の許可無く使ってしまった」
「知っているのか……ユートの事を?」
ラシフがそう訪ねた。
だが、アプリリアージェは首を横に振った。
「いえ、直接賢者エイミイから聞いた話は違うものでした。ですが、それはどうやらユート君をかばう為に彼がでっちあげた嘘の話だったようです。でも今お話ししたのはユート君と同じ時期にエイル君と共に《真赭の頤》の弟子だった、もう一人の賢者から聞いた話です。おそらくこちらの方が真実だろうと思っています」
ラシフは目を閉じた。
「我々は《真赭の頤》から、修行途中の事故で命を失ったとだけ知らされた。知っていたら教えてくれ。ユートはなぜ死んだのだ?」
「彼の身内の方にとっては辛い話になりますが、覚悟はいいですか」
ラシフは当然だという風にうなずいた。
「かまわない」
「ではお教えしましょう。ただし、私が言ったことはエイル君には内緒です。ただでさえ今でもオバハン呼ばわりされているのに、それに加えておしゃべりババアだなどと悪態をつかれるのは避けたいですからね」
ラシフは眉根を寄せるともう一度うなずいた。
「本当に口が悪い奴なのだな。あきれたものだ」
アプリリアージェはクスリと笑った。
「そりゃもう、ルーンの才能よりもそっちの方が天才的なんじゃないかと思えるくらいですから」
「わかった。口は堅い方だ。そちから聞いたことは言わぬ。約束しよう」
微笑んだままアプリリアージェはゆっくりとうなずいた。
「それは不幸な事故だったそうです。当時の大賢者の弟子は全員がその場に居て、弟子の筆頭格であるユート君が唱える新しいルーンが一体どういうものなのかを見守っていた……」
そこまで話すと、アプリリアージェは視線をラシフから外して、アトラックの腕の中で目を閉じているエイルの方をじっと見た。
「ユート君が唱えたのは炎の精霊の力を借りる高位の攻撃ルーンでした。詠唱は問題なく進んでいるように見えました。そしてユート君が認証文までをすべて詠唱し終わった時、ルーンが発動し炎が出現しました。けれどそれは詠唱者の制御を全く受け付けようとはせず、なすすべもないままにあっという間に部屋全体を覆ってしまったという話です。まあ、想像すると平和な普通の部屋が、一瞬にして溶鉱炉に変わってしまったようなものなのでしょうね」
「な、なんだと?」
にわかに険しい表情になったラシフが一歩踏み出したのを見て、アプリリアージェは手を上げてそれを制した。
「《真赭の頤》の弟子達……いや、ユート・ジャミールにとって不幸中の幸いだったのは、その場にエイル・エイミイというルーナーが居合わせた事です」
まるでその場を見ていたかのように冷静に語るアプリリアージェが手を上げて制したことで、ラシフの興奮はさっと冷めた。アプリリアージェが語っているのは昔の話なのだと言うことを思い返す事ができたようだった。
ラシフの肩から力が消えたのを確認すると、アプリリアージェは続けた。
「けれども、弟子とは言えまだ幼く、かつエクセラーとしての訓練や修行を全くさせてもらえていなかったかったハイレーンであるエイル君がその時に使えたルーンは、同じ炎のルーンでも初歩の初歩のもの。ルーナーであれば誰でも使うことの出来るイロハのイのような取るに足らない攻撃ルーンだったそうです。でも彼はとっさにそのルーンを詠唱しました。結果……」
「どう……なったのだ?」
ラシフはゴクリとつばを飲み込んだ。
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