第五十八話 認証文 4/7

「知りたい、ですよね?」

「そこまで話しておいて、今更何を言う。覚悟は出来ている」

 アプリリアージェは今度は何も反応せずに話を続けた。

「結論から言いましょう。ユート君が起こしたその事故は、その場にいた《真赭の頤》の弟子をすべて死に追いやりました」

「何だと?」

「ただし、例外がありました。二人だけがその事故から生還したそうです。もちろん一人はエイル君です。そしてもう一人は、その事故の時にエイル君の後ろにいた弟子で、彼女はエイル君のとっさの判断で奇跡的に助かったのだそうです」

「もう一人……とは?」

「私にこの話をしてくれた人物です。すでに賢者となり《二藍の旋律》と名乗っていました。昨日のことです。我々と一緒にジャミール入りはせず、急ぎの用があるということで別れました」

「生き残った二人は、ともに賢者になれたということか」

「そうですね」

 アプリリアージェは相づちを打った。

「エイル君も、その生き残った弟子の一人である賢者二藍の旋律も口を揃えて『生きていたならば、ユート・ジャミールは間違いなく賢者になっていた』と言っていましたよ」

「そうか。それでユートは、その時?」

 アプリリアージェはうなずいた。

「エイル君はあまり詳しい話をしませんでしたが、あの時は自分と自分の後ろの人間を守るだけで精一杯だったのでしょう。何しろ彼がたったの八歳くらいの時の話だそうですからね。でも、そのたった八歳のエイル君はその時唯一知っていた初歩の炎のルーンを使い、比べものにならないほど高位のルーンで生み出された炎の暴走を押し戻したということです。部屋全体が溶鉱炉と化す前に、ね」

「その話が本当ならば、あやつはなんと言う……」

「エイル君がいた場所がユート君に近ければ、助かった人はもっと多かったのでしょう。すべては一瞬の事でしょうから、迷っている時間などありはしなかったにちがいありません。彼はその時、彼ができる最良の選択をしたのだと私は思います。私も話を聞いただけですが、普通に考えて本来誰一人生き残ってなどいない事故だろうな、と思いました」

「そんなことがあったのか」

 そう言ってうなだれるラシフをアプリリアージェは少しの間見つめていたが、両手を腰にあてて強い調子でラシフに言った。

「わかっていますか?全部あなたのせいなのですよ」

「え?」

 思ってもいなかったアプリリアージェの突然の批難にラシフは思わず顔を上げた。そこにはいつもと変わらぬ微笑みをたたえた黒髪のダークアルヴが立っていた。

「ユート君をそこまで焦らせたのはあなたのせいではないですか?過度の期待は簡単に人を殺せるんです。それは相手に才能があればあるほど」

「私がユートを追い詰めていたというのか?」

「あなたにそんなつもりがなくとも、ね」

「……」

「ユート君はこのルーナーの里でもその血筋がら、才能もあり、事実きわめて優秀なルーナーだったのでしょう?」

 ラシフはうなずいた。

「だからこそ期待した。何百年かぶりに代々伝わる古代ルーンを使えるルーナーになってくれるに違いないと。そしてユート君もその期待に応えようとした」

「そうだな」

「それだけの事なんです。簡単な事。でも、その因果として、今エイル君がそこで倒れているんですよ。あなたはそこまで理解すべき立場にいる人間なのです」

「あ……」

「《二藍の旋律》もそうでしたし、もちろんエイル君もユート・ジャミールを責めるつもりなどないのでしょう。むしろ彼がやろうとしていたこと、なぜ焦っていたのかをここに来て初めて知り、思いを果たせずに散った彼の意志を継ぎたいと純粋に思った……。そうは、思いませんか?」

「わかった」

「そのエイル君を、あなたは殺そうとしたんですよ」

「わかった。もういい」

 ラシフは声を荒らげたが、アプリリアージェはかまわず続けた。

「私があなたを殺したいと思った事もわかっていただけましたか?」

 アプリリアージェの言葉には直接答えず、ラシフは首を横に大きく振ると独り言のようにつぶやいた。

「愚かなのだな、私という存在は。ユートを送り出した時も、そして今も」

「これが普通の馬鹿な親ならまだ話もわかりますが、一族を率いる立場にある者がそこまで愚かだと、これはもう万死に値しますね。でも、そんなあなたにエイル君は身を挺してもう一度機会を与えてくれたのですよ」

 ラシフは地面を見つめたまま、しかしもう何も反論はしなかった。

「エイル君は自信たっぷりに自己礼賛する通りの天才的なルーナーですけど、それ以上に天才的なあの口の悪さですから、あなたが好意を抱けないのも理解できます。かくいう私もオバハンと言われていったい何度悲しい気持ちになったことか」

 アプリリアージェはそこまで言うと、ため息をついた。


(もっともらしいことを長々としゃべってましたけど、結局司令は最後のあの愚痴を族長に聞いて欲しかっただけなんじゃないですかね?)

(……)

 アトラックは隣にいるテンリーゼンの耳元に小声で話しかけた。だが、もちろんテンリーゼンは全くの無反応だった。とはいえそんなことはアトラックとて百も承知なので話に乗ってこなくてもがっかりなどはしなかった。

 残念ながらこの場にはこう言うときの彼のよき話し相手であるファルケンハインもエルネスティーネもいなかった。背に腹は代えられないという事なのだろうが、返事はなくとも誰かに話すことがアトラックにとっては重要のようだった。

(なんというか、ああなるともはや手の込んだ嫌がらせのようなものですよね)

(……)

(よっぽどオバハン呼ばわりが頭にきてるんでしょうね)

(……)

(どこで間違いが起こるかわかりませんし、俺、絶対に口にしてはいけない言葉として、未来永劫「オバハン」は封印することにしますよ)

(……)

 テンリーゼンは微動だにしなかったが、その肩に乗った「マナちゃん」は首をかしげ、不思議な物を見るような目でアトラックをじっと見つめていた。

 

「ヴォリトス・エル・デア・キキルナ・セロ」

 少しの沈黙のあと、顔を上げたラシフはいきなり意味不明の言葉を口にした。

「ヴォリトス・エル・デア・キキルナ・セロ」

 小さいが、はっきりとした声で、ラシフはもう一度そう声に出した。

「ヴォリトス・エル・デア・キキルナ・セロ」

 アプリリアージェはその言葉を復唱して見せた。

 それが、認証文だった。

「アトル、念のために覚えておいて下さい」

「もう覚えましたよ」

 アトラックがすかさずそう言うと、アプリリアージェは彼を振り返ってニッコリと微笑んで見せた。

「そうそう。嫌がらせだなんて人聞きが悪いですよ。私はこの里を救いたい一心で心を鬼にしてお話ししたのですから」

 アトラックの顔から一瞬で血の気が失せた。

「嫌がらせ?」

 アプリリアージェがアトラックにかけた言葉に対して怪訝な顔でラシフが尋ねたが、ダーク・アルヴはいつもの微笑で

「いえいえ、こっちの話です」

 そう言って軽く受け流した。

 

「さて、どうしたものでしょう……」

 アプリリアージェがそうつぶやいた時、アトラックの腕に抱かれたままだったエイルが小さいうめき声を上げて、目を覚ました。

「エイル、大丈夫か?」

 アトラックは真っ先に声をかけた。

 目を覚ましたのはエルデのようだった。

 強く握ったままだった白い精杖を持ち直すと、頭を上げて辺りを見回した。

 自分がどういう状態なのかを把握するのに数秒を要したが、アトラックに介抱されている事を認識すると、

「大丈夫や。スマンな」

 そう声をかけて自分の体で立とうとしてみせた。アトラックは何も言わずにそれを手伝ってやった。

「気分はどうですか?体はなんともありませんか?」

「ああ、一応は大丈夫みたいやな」

 アプリリアージェにそう答えると、エルデは何とか二つの脚で自立し、大きく深呼吸をした。

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