第五十七話 古代ルーン 2/3

『どうだ?』

 手渡された、見るからに古そうなルーン書をぱらぱらとめくるエルデに心の中でエイルが尋ねた。

【見たところかなり古いものやな。まさに古代ルーンや。グラムコールも派生グラムコールのジャミールやのうて、ルートのキュアそのものやからルーンとしての純度は極めて高いやろな。それにざっと見たところ文法にも誤りはないし、どうやら本そのものにルーンがかけられてるし、写しとは思われへん。結論としてはホンマもんやろうな】

『そうか』

 

 翌朝であった。

 朝食の後、一行は里から歩いて小一時間ほどのところにある切り立った崖の上に立っていた。もちろんラシフ・ジャミールが案内した場所だ。

 ラシフの先導でしばらく歩いた後に落葉広葉樹がうっそうと茂った森を抜けたと思ったら、眼前には噴煙を上げるレイジノ山がそびえ、その向こう側には幾重にも重なる険しいノーム山脈に連なる峰峰が競うように天を目指していた。

 崖の上はちょっとした眺望台と言ってもいい程の広さがあり、そこから見える景色はまさに雄大の一言に尽きた。

 壮大な風景に見とれているエイルに、ラシフは無言で一冊の小さな本を差し出した。それこそが「古代ルーン」が記された里の秘宝そのものだったのだ。


「ルートのグラムコールで書かれた契約文を見るのは久しぶりやな。それもキュアとは珍しいな」

 エイルと入れ替わったエルデは、すぐには本に手を伸ばさず、まず族長にその本を開くように頼んだ。ラシフはエルデの言葉通り本を開き、一頁目をエルデに示した。

 それを見て、エルデは感心したようにそうつぶやいたのだ。


「見ただけでキュアだとわかるのですか?」

 エルデはラシフに、自分に対して敬語など使う必要はないと告げていたのだが、 エルデに対するラシフの態度は変わらず堅かった。

「俺をバカにしたらあかんで。枝葉末節の劣化グラムコールは知らんけど、文法がまともなグラムコールは全部ここに入ってる」

 そう言うとエイルは右手を挙げて自分のこめかみを人差し指で押すようにして見せた。

「というか、ルートのグラムコールはルーナーとしての基本やろ? ジャミールがキュアの派生やっちゅう事も知ってるで。ジャミールのグラムコールはよう出来てるからさすがにペダンやとは言わへんけど、ルーナーたるもの独自のグラムコールしか知らんのはどうかと思う」

 エルデがニヤリと笑って小馬鹿にしたような口調で答えたものだから、ラシフの口調もあっという間に変化した。

「どちらにしろ、これを一目、それも一瞬見ただけで純粋なルートで書かれたものだとわかる奴がそうそういるものか」

「ここにおるやん」

「――」

 素の感情はかしこまった言葉からは出ない。エルデはラシフに対してはそう思っていた。族長らしい普段の言葉遣いをした方がラシフも言いたい事が言いやすいだろうと考えていた。だからその日の朝、敬語は使うなと告げていたのだ。

 そしてそれをも拒否しようとしているラシフのつまらない壁を崩すべく、エルデはさっそく仕掛け、ラシフはまんまと乗せられた格好だった。


 さらに何かを言おうとしたラシフを無視して、エルデは今度は真顔で尋ねた。

「念のために聞いとく。もちろん完本なんやろうな?」

「疑うなら詠まなければ良かろう」

 ラシフは開き直ったように、憤然とした顔でそう答えた。

 エルデはそれを聞くと満足そうにうなずいた。

 完本とは、契約文と認証文が分けられておらず、両方とも記載されたルーン書の事である。

 ただし完本と呼ばれるルーン書にかかれているルーンの場合、認証文は契約文をすべて完全詠唱した後でなければ出現しない仕組みになっていることがほとんどだった。それがルートと呼ばれるグラムコールで書かれた古代ルーン書の常なのだ。

 認証文が書かれた本や封じ込まれている本……つまり完本に対して契約文だけが書かれたものは「写し」または「半本」と呼ばれ区別されている。


「詠まへんかったらジャミールの里は終わりやって何回言わせんねん」

「率直に言おう。私はお前を信用しているわけではない」

「賢者をお前呼ばわりするお前に信用されても嬉しないけどな」

「こやつ」

「ま、バアさんがどうなろうと知ったこっちゃないけど、ルーチェが体を張ってもこの里を守りたい言うてんねんから俺はあの子の願いを受けてその古代ルーンを詠唱するだけや」

 ラシフはエルデの挑発ともとれる台詞に顔色を変えて素直に反応した。

「くそっ。私がこの本を読めさえすればこんな奴に」

「ああ、無理無理。『詠む』だけなら多少古代文字を勉強さえしたら誰でも出来るけど、ここまで高位のルーンをきっちり『使える』奴はそうそうおらへんって。マーリンの賢者でも間違いなく一握りや。お前さんやとそもそも発動の「ハの字」にもいかへんやろな」

 エルデはラシフが震えるまで力いっぱい両の拳を握りしめて怒りを抑えているのをちらりとみやると、笑いをこらえるのに苦労しながらそう軽口を叩いた。

「吠えておれ。それよりもこれで本当に火山活動が止まるのだろうな?」

「噴火活動が活発になる度に、ルーナーがこれを詠んで止めてたんやろ?」

「そう聞いている」

「他のルーナーが出来てたことを俺がでけへん道理はない」

 エルデはそう言うと真顔に戻ってラシフの視線をまっすぐに受けた。ラシフはその視線を真正面から受け止めると睨むように眉間にしわを寄せて吐き捨てるように言った。

「口では何とでも言える」

「ほんならグダグダ言っとらんとしっかり見とけ」

「言われなくてもそうさせて貰う」

 エルデは「ふん」と鼻を鳴らすと、ラシフから預かったルーン書をアプリリアージェに持つように頼み、無造作に一頁目を開いた。

 続いて口の中で小さくつぶやくと、精杖ノルンを取り出した。

「ほな、行くで」

 契約文が書かれた最初のページをエルデが注視して、まさに詠唱を開始しようとした時、遠慮がちにアプリリアージェが声をかけた。

「あのう」

「ん?」

 呼びかけに反応して本から顔を上げたエルデに、アプリリアージェは微笑んだまま首をかしげて尋ねた。金色の耳飾りがゆらりと視界に入る。

「私はこうやってただぼーっと突っ立って本を持っていたらいいのですか?」

「退屈やろけどリリア姉さんは重要な書見台役やから、そうやってもらわなアカンな。他の連中は……そうやな、そしたら俺が詠唱している間、そのオバハンが変なちょっかい出さんように見張っててもらえるか? このルーンの詠唱はちょっと骨が折れるし、詠唱時間自体も結構長いんや」

「ええっと」

 キョトンとしているアプリリアージェに、エルデは説明を追加した。

「キュアの本は三つのルートの中でも特に凝った作りになってて、契約文を一頁目から順番に読んでいけばいいっちゅう訳やないんや。まずは一頁目の契約文が書かれているページを広げて、きちんと唱え終わると真の二頁目が案内されるっちゅう仕組みや。本そのものがパズルっいう感じやな。そやから一頁目から順番に頁を読んでも契約文にはなってないっちゅう、結構イケズな本やねん。つまり間違い一つなく最後までたどり着くには結構な集中力が必要になってる仕組みなんや。もちろんそれぞれの頁に書かれている文章自体はさっき見て覚えたんやけど、その順番まではわからへん。ご丁寧に頁毎に文章として意味が完結してて、さすがの俺でもこの一冊を組み上げるパズルを完成させることはでけへん」

「なるほど。次の頁を案内する合図も見逃せないし、詠唱済みのルーンへの集中力も残しておかないといけないし、精神的にいろいろ忙しいというわけですか」

 アプリリアージェは合点が言ったという風にうなずいて見せた。

「いつものようにささっと認証文だけを唱えて終わると思っていたので書見台役なんて言われて戸惑いました。さすがに古代ルーンというのは複雑なものなのですね」

 エルデはうなずいた。

「そうやな。そやからたとえこれがその辺の高位ルーナーに盗まれたとしても、そのルーンを反応させるだけの力がないと正しい順番で頁が開く事がでけへん。認証文に辿り着くどころか二頁目を呼び出せる奴すらまずおらへんやろな。全くもって結構な隠蔽工作や」

「――私は今、自分がルーナーでなくて良かったとつくづく思っています」

 アプリリアージェの言葉にエルデは思わず苦笑した。

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