第五十六話 キュアの本 6/6

「まだそんな事を言うてんのか?」

 ラシフはエルデの剣幕に気圧されて、再び頭を下げた。

「一応言うとくけど、俺はお前が知ってる大賢者真赭の頤よりルーナーとしての力は上なんやで。こう言う事で賢者は嘘は付かれへんっちゅう事くらい三聖や賢者と付き合いがあるんやったら知ってるやろ?」

「それは――存じております」

「そやったら、俺で不足は無いはずや。そもそもこれはそっちから頼まれてる事やのうて、こっちがやりたいって言うてる事やろ?俺とルーチェのやりとりを聞いてたんやったら解ってるはずや。俺はお前のためとか里のためにやりたいんやない。ユートの為にやりたいって言うてんねん。それともお前は里がこのまま滅んだらええと思てるんか?」

 エルデはそこまで強い調子で一気にまくし立てると息を継いで声の調子を落とし、もう一言付け加えた。

「お前はもう十分生きたから自分はいつ死んでもええと思てるんやろ?」

 ラシフはさすがにこの一言には反応した。

「そんな事はありません!」

 思わず激してそう言うとラシフは顔を上げた。だが、ラシフの予想に反して目の前の賢者は優しい顔で激高した小さなダーク・アルヴを見つめていた。

「――申し訳ありません」

 ラシフは慌てて頭を下げて謝った。言葉の真意を考えず、単純に感情をあらわにした事を後悔していた。

(これではどっちが年長者なのかわからんではないか)

 ラシフは床を見つめながら唇を噛んだ。

 初対面が最悪の状況だった事もあり、ラシフは賢者エルデに対していい印象が持てずにいた。まだ若く、賢者になって日が浅いにもかかわらず必要以上に見せる尊大な態度は彼女の常識ではおよそ二流の小物がとる態度であった。大賢者と言われる《真赭の頤》でさえ族長であるラシフに対して敬意を表す事はあっても上から見下すような態度をとった事は一度もなかった。だがその弟子を名乗る『若造』は、およそ賢者が使うとも思えない汚い言葉でラシフを罵り、まるで「ちんぴら」がやるような下品な威嚇まで行って見せた。

 ラシフにしてみればそんな相手を心から信頼しろという方が無理な相談だった。

 だが、その鼻持ちならない若造が見せた今の表情は優しさに満ちていた。それもまた、《真赭の頤》からは一度も感じた事のないものだった。

 その二つの対比はラシフの中に混乱を生んでいた。

(この賢者は何かがおかしい)

 その混乱を収めるためにラシフがひねり出した結論がそれだった。

 エルデが言っている事はラシフとしても信じたい。いや、賢者の持つ力にすがりたいのが本音だった。本来ならば門外不出の古代ルーンを大賢者であろうが委ねる事など族長としては許してはならない事だが、いよいよもって里の存亡にかかわるところまで来てしまった現在、自分の独断で《真赭の頤》の力を借りるべきなのだという決心をしたばかりだった。

 だがその道も閉ざされた。そして新たに彼女に提示されたものは得体の知れない賢者に委ねるかどうかという選択肢だった。

「迷う事はないやろ?そもそもそっちには何の不利益もないはずや。成功したらもちろん万々歳、万が一失敗しても割を食うのは詠唱者である俺一人だけ。ダメやったらダメで族長であるお前はまた次を考える事が出来る」


 エルデの言うことはもっともだとラシフにもわかっていた。そしてそれくらいの計算はすでにやっていた事だ。だが、ラシフにとっての問題は「エルデが本当に賢者なのかどうかが一切わからない」事だったのだ。ラシフはあの第三の目を見てもなおそう思わせるだけの「違和感」をエルデに対して抱いていたのである。

 ラシフが感じた違和感の種。それは同じ賢者であるラウ・ラ=レイが感じたものとはまた違うものであった。

 彼女が感じた違和感は、エルデがまったく「賢者らしくない」という事だった。


「ほんならこうしよか」

 沈黙するラシフに対してエルデは出口へ続く一つの道筋を提案した。ラシフのそういう態度もエルデにとっては予測の範囲だったのかもしれない。その証拠にエルデの態度にいらだちや怒りといったものは感じられなかった。

「人質を解放する事を条件に俺が古代ルーンを唱えるっちゅうのはどうや?」

「は?」

 思わず声を出して自分を見たラシフに、エルデはニヤリと笑って見せた。

「方便や」

「方便?」

「あんまりガタガタ抜かすようならジャミールの族長にそう脅迫された言うて賢者会に報告するぞっちゅう事や。もちろん賢者がそんな脅しに屈することはない」

「脅迫をされたという脅迫をするわけですか?」

「不名誉やろ?一族は滅亡するわ族長は何にもしてへん賢者の従者を問答無用で人質に取るわ、あまつさえそれを盾に賢者を脅したと来た日には」

 ラシフは怒ると言うよりあきれたような目でエルデをみていた。

「あまりにむちゃくちゃな論理ではありませんか?」

「そやな」

 エルデは悪びれずにそう言うと、今度は真顔になって一歩膝をラシフの方へにじり寄せた。

「そやからそろそろ最後の交渉に入ろか?」

「最後の、交渉?」

 エルデはうなずくと顔を上げて視線をラシフの後方、アトラックの横にいる少女に向けた。

「まずはルーチェに尋ねたい」

「は、はい」

 ルーチェはまさか自分にいきなりお鉢が回ってくるとは思っていなかったのだろう。うろたえたような声で返事をすると賢者に向かって深く頭を下げた。

 エルデは目を細めてその様子を見ていた。

「俺の質問は単純や。『はい』か『いいえ』で答えてくれたらええ」

「あ、えっと……はい」

 ルーチェの返事に満足そうにうなずいたエルデは何か言いかけたラシフに手を挙げ、いったん制して話を続けた。

「この里が火山の噴火で壊滅するのは嫌やろ?」

「はい」

 最初の問いにルーチェは即座に答えた。

「ジャミールの里人が滅亡するのは嫌やろ?」

「はい」

「ではお前はこのジャミールの里を救えるんか?今すぐに」

 この質問に対してはルーチェは即答を避けた。顔を上げて目の前にあるラシフの背中をじっと見つめたあと、視線をエルデに向けた。

「いいえ」

「よし」

 エルデはルーチェに大きくうなずいて見せた。

「お前はまだまだ若いけど賢明な族長になるやろ。俺が保証するわ」

「賢者さま」

 さすがに我慢がならないという風にラシフが声を上げたが、

「もう少し黙っといてくれ」

 と即座にエルデに遮られた。

「そこで俺からルーチェに一つ提案がある。これも『はい』か『いいえ』で答えたらええ」

「はい」

「俺ならここの里人を救える。何でかと言うと俺は大賢者真赭の頤よりも強い力を持つ大ルーナーやからや。この里に伝えられているっちゅう古代ルーンを使うことくらい、はっきり言うて何の造作もない。ここまではええか?」

「はい」

「そこで問題や。お前も今見た通り族長ラシフは俺を信用でけへんからその古代ルーンを教えてくれようとはせえへん。このままやとはっきり言うてジャミール一族が滅亡するのは時間の問題や。そこでラシフ族長が俺にどうしても古代ルーンを教えたくなるようにする必要があるんやけど、それにはルーチェの助けが必要なんや」

「わ、私に出来ることでしたら何でもやります」

 エルデの話をそこまで聞いたルーチェは思わず身を乗り出してそう言った。

「ばばさまは頑固すぎます。私たちは賢者さまのお力を借りるべきだと思います」

 これはラシフに向けての言葉だった。

 エルデは手を上げて「そこまで」とルーチェの言葉を止めた。

「『はい』か『いいえ』でええんや、ルーチェ」

 ルーチェはエルデのその言葉に頭を下げた。

「申し訳ありま……はい」

「よっしゃ。ほんなら本当にこれが最後の提案や。ラシフ族長が俺にどうしても古代ルーンを教えなあかん理由を作ろうと思う。ルーチェ、お前、俺の人質にならへんか?」

「え?」

 思わずそう声を出したルーチェに、エルデはいたずらっぽく笑って見せた。

「『はい』か『いいえ』や。ええか?俺がルーチェを人質に取る。そしてラシフにこう言う。『ルーチェの命が惜しかったら古代ルーンを教えろ』ってな。そこでルーチェは続けてこう叫ぶ。『ばばさま、助けてー』するとラシフは『どうか孫の命だけは助けて下さい』っちゅうて古代ルーンを教えてくれるという筋書きや。どや、完璧やろ?」

「待て」

 ラシフは今度こそたまらずに声を上げた。

「賢者が人質をとるなど許されるものか」

「いやいや。別に俺が直接人質に取る必要はないやろ。俺の代わりにそこにおる雷姉さんが人質に取ったら賢者が人質を取った事にはならへんわけやし」

 あっけらかんと当たり前のようにそう答えるエルデに、ラシフは思わず歯ぎしりをした。

「私が、それでも断ったらどうするおつもりか?」

 そう言うラシフの必死の形相にもエルデはニヤリとしてみせた。

「そんなん決まってるやん。ルーチェ一人であかんのやったらこの里全体を人質に取ったらええだけのことやろ?」

「そんなことが」

「出来るんか?って言うんか?」

「そ、そうだ」

「アホやな。最初に会った時に見たやろ?この里全体に雷の雨を降らすなんて簡単な事や。俺らをここに入れた時点で里人全体が人質になったようなもんや」

「――そんなことが」

「賢者を舐めんなっ!」

 エルデは怒鳴ると立ち上がった。ラシフが見上げるエルデの額には、再びあの赤い第三の目が開かれていた。


『なあ?』

【なんや?】

『お前、なんでそんなに積極的なんだ?こう言っちゃアレだけど『他人とかかわるな』って言ってるお前とは別人みたいだぞ』

【うるさい。もう関わってしもたんや。それに俺はやるって一回決めたら、何があっても絶対やるんや】

『ふーん、なるほど』

【なんやねん、その微妙な反応は?馬鹿にしてるんか?】

『いや、逆だ』

【逆?】

『今のお前は嫌いじゃない』

【な、何やねん、突然】

『それにオレ、このラシフっていう族長も嫌いになれないんだよな』

【そうか】

『そう言うことならオレに出来ることがあれば協力させてくれって言ってるんだよ。たとえ悪人だろうが人を裁いたりする仕事よりよほどいい』

【エイル……】

『それに、どう考えても今のお前の方が賢者っぽくてカッコいいぜ』

【あ、アホっ。何言うてんねん】

『照れるなって』

【て、照れてへんわ!】


 沈黙が続く中、一同の視線はラシフに注がれていた。

 ラシフはじっとしたまましばらく熟考していたようだったが、決心がついたのか顔を上げてエルデを見つめた。その目は挑むように鋭く、エルデとしてもとても友好的な態度だとは思えなかったが、ラシフはそのまま頭を下げた。

「明日の朝、お迎えに参ります」

 エルデはうなずいた。

「絶対期待は裏切らへん。それから悪いけど、明朝は族長一人だけで来てもらおか」

 ラシフはしかしエルデの言葉には何も応えず、立ち上がると再度一礼をしてその場を後にした。

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