第五十六話 キュアの本 5/6

「「エア」を作り出すルーンストーン……精霊石の力はたいしたもんやと思うけど、万能やないっちゅう事を知っとく方がええ」

 ラシフは精霊石による「エア」が意味をなさない相手がいるという事実に動揺を隠せないでいた。エルデは顔色にそれが出たのを見て少し声色を和らげた。

「まあ、それでも有効や。「エア」で普通に詠唱が通るルーナーはそうそう居るわけやないからな」

「はあ」

「と言うわけや。俺はお前の知ってる《真赭の頤》の弟子で、さらにお前の孫にあたるユートと一緒に修行した事もある。その旧知の里に挨拶でもしよかな、って思うて何が悪い?」

「いえ、それは」

「それに、今ルーチェに話してた事や。聞いてたんやろ?俺でできる事があれば手助けをしてやろうかな、っちゅう気まぐれも込みや」

「その件ですが、さすがにそれを賢者様にお願いするのは申し訳がございません」

 エルデは目を細めてラシフを見た。

「ユートはただ『里を救うための高位ルーン』と言うような事しか言うてへんかった。でもさっきの地震でわかった。活火山の麓の里で頻発する地震。それを抑えるルーン、それも相当高位のものがあるっちゅう事やな?」

 エルデの問いかけに、ラシフはうなずいた。

「その通りです。しかし、それは里人にしか伝えてはならぬと言われている禁術でございます」

「だがお前にはその術は使えへん。そやろ?」

 ラシフはまたもやうなずいた。

「恥ずかしながら」

「それも解っている。そやからそのルーンを使える可能性があったユートを修行に出したっちゅう訳やな。そやけど里人限定とかに拘らずに《真赭の頤》になぜ頼まへんかった?」

「それは」

「答えにくかったら俺から言うたろか?マーリン正教会の人間に里を救ってもろうたら族長としての沽券にかかわるからやろ?おおかた族長しか唱えたらあかんっちゅうような但し書きが付けられて里の秘宝みたいに扱われてるんやろな。で、それがあまりに強力なルーンやから、その秘密を知った誰かに奪われるんを恐れてる、と。で、それが俺らやないかと怪しんでる。ちゃうか?」

 ラシフには返す言葉がなかった。エルデの推理はすべて当たっていたのだ。沽券云々はともかく、たとえ大賢者と言えど、里人以外の人間に依頼するという事は族長の立場としては簡単にできるものではなかった。

「で、どうすんねん?さっきの地震の具合からするとそうそう時間がないんとちゃうんか?ルーチェは自分が《真赭の頤》の弟子になる予定や言うてたけど、今から修行して間に合うと思てるんか?」

「……」

「さらに言えば、や。たとえばルーチェが十年修行したとして、そのルーンを詠唱できる高位ルーナーになれるという保証はあるんか?」

「ルーチェは、ルーナーとしての能力は里で一番ある」

「ユート以上の、か?」

 ラシフはエルデの指摘に言葉を失った。

「聞きとうないかも知れへんけど、敢えて言うとく」

 エルデはそんなラシフの様子を見て続けた。

「ルーチェは確かに素性のええルーナーやと思う。けどな、《真赭の頤》に師事してたとえ今から二十年修行したとしても、ユートを超える事はまず出来へんで」

 エルデがそうピシャリと言うと、ラシフは端から見ても解るほどがっくりと肩を落とした。

 アトラックはエルデのある意味容赦のないルーチェ評を聞いて、思わずそばにいる本人の顔色をうかがったが、当のルーチェはそんなアトラックの気持ちに気付いたのか、少し寂しげな顔でにっこり笑い返しただけだった。

 つまりエルデが指摘した事はルーチェ自身も、そしてラシフにもわかっていた事なのだ。現在の里人の中では飛び抜けて潜在能力が高いとは言っても、ルーチェには兄であるユートほどの力はないということを。

 そしてその事が何を意味するのかも、もちろんわかっていた。

 しかし、だからこそラシフはある決心を胸に「賢者様」の前に現れたのだ。


「猊下にはすべてお見通しのようですね」

 ラシフは少しの沈黙の後、本題を切り出した。エルデは「やっとか」という顔でラシフの次の言葉を待った。

「勝手とは存じますが、その件についてお願いがございます」

 エルデはうなずいた。

大賢者真赭の頤さまにお取り次ぎ下さい」

 ラシフはそう言うと指先を綺麗に揃えて両手をつき、額が床につくほど頭を低く下げた。長い薄茶色の豊かな髪が小さな両肩から滝のように流れ落ちると、それはまるで扇のような形を描いて床に広がった。

 エルデはしかしあからさまに不機嫌な声色で答えた。

「おいおい、お願いって言うのはそっちか?」


『想定外?』

【うーん】

『よっぽど嫌われたみたいだな。まあ、族長の気持ちは痛いほどわかる』

【言うとれ】

『こうやって頭下げるのもものすごい屈辱だって思ってるんだろうな。なんかオレ、申し訳なくなってきた』

【にしても、や。あくまでも我々は信用でけへん、っちゅう事やな。頑ななこって】

『もちろん助けてやるんだろ?』

【そのつもりなんやけど、な】


 ラシフは頭を下げた姿を崩さずに、続けた。

「ご推察の通り、レイジノ山の大噴火は明日にも起こるやも知れません。さらには猊下のご指摘の通り、おそらく我々にはルーチェが賢者の力をつけるまで待つ猶予などないのでしょう」

「そやから大賢者の力を借りたい、っちゅうことやな。目の前の駆け出しの賢者ではお話にならんわ、と言うわけか?」

 エルデの怒気を含んだ言葉にラシフは体を硬くした。

「決してそう言うわけではございません。ただこの里の事をよくご存じの大賢者様におすがりしようと考えたのです」

「この期に及んでまだそういう詭弁を使う余裕があるんやな。ご立派な事や。でもな、その願いを聞き届けるわけにはいかへんな。理由は……」

 ラシフはエルデの言葉に一瞬体を強ばらせたが、沈黙を守った。

 エルデはいったん言葉を切るとラシフのその様子を見て目を閉じ、小さく深呼吸をして話を続けた。

大賢者真赭の頤は死んだ」

 さすがにその言葉はラシフの顔を上げさせるのに充分だった。視線の先に自分を見つめるピクシィの少年の苦しげな顔があった。その表情で、今の言葉が冗談ではないという事がラシフにはわかった。

 喉元まで出かかった言葉を飲み込むと、族長は強くまぶたを閉じた。


 《二藍の旋律》ラウ・ラ=レイにそう聞かされたばかりのエルデにとって師の他界を違う人間に事実として伝える事にはさすがに抵抗があったのだろう。だからエルデは出来ればその事は言わずにいたかったのかもしれない。頭では事実だと理解していてもそれを納得できないでいる状態で第三者に《真赭の頤》シグ・ザルカバードが死んだと伝える事……それは自分自身の中でそれを事実として定着させる事にもなる。だから自らの目でそれを確かめるまでは保留にしておきたかったのだ。

 だが、エルデは目の前にいる頑なな族長を説得させる材料の一つとして《真赭の頤》の死を利用する事を選んだ。

 エルデはラシフを決心させる為には選択肢を狭めてやる以外に方法はないと判断していたのであろう。


「確かや。俺も人づての話やから詳しい事は解らへんけど、どうやら師匠は賢者の法に触れたらしい。だから報いを受けた、という話や」

「まさか、法に触れたとおっしゃいましたか?」

「それは部外者が口を挟むべき問題やない。そやろ?」

 ラシフの言葉を途中で遮るとエルデはそう言って追求を拒絶した。

「納得してもらう為にもう少しだけ付け加えると、師匠は三聖の一人蒼穹の台に処刑されたそうや」

 ラシフは一度あげた顔が下がっていくのを感じた。三聖は唯一賢者を裁く事が出来る存在だということはラシフも知っていた。

(いくら待っても来ないはずだ)

 これで《真赭の頤》がもう何年も里に姿を見せない事の説明がついてしまった。賢者がそう簡単に死ぬはずがないという思い込みをしていた自分が愚かで滑稽だった。

(しかし、これでは)

「ラシフ・ジャミール」

 がっくりと頭を垂れたラシフに、エルデが改まった声で呼びかけた。ラシフは慌てて顔を上げた。

「はい」

「お前には――いや、ジャミール一族に今ある選択肢は二つや」

 エルデはラシフとルーチェを見比べると言葉を続けた。

「俺にその古代ルーンを委ねるか、もしくはこのまま火山の爆発に巻き込まれて全滅するか、や」

「しかし」

 エルデの言葉を予想していたのだろう。ラシフはすぐに反応した。

「恐れながら猊下の力を我々は存じません。あの古代ルーンは……」

 エルデは黙れ、という風に手のひらをラシフの方へ突き出した。

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