第五十五話 祈るな!願え!! 6/6

「賢者の修行が始まるのを待っていると言ったが、その日は決まっているのか?」

 ティアナが、エルネスティーネの頭を撫でながらそう訪ねてきた。メリドはそれに首を振って答えた。

「お預けしようと思っている賢者様がしばらく顔をお見せにならないのだ」

「そうだったか」

「師として、これ以上は望めないほどの方なのだが」

 メリドの答えを聞いて、ファルケンハインはもしや、と思った。今までのメリドの話をつなぎ合わせると、様々な点が有機的につながってくるような気がした。

「その賢者だが、ひょっとすると《真赭の頤》(まそほのおとがい)という名前ではないのか?」

 メリドは息をのんだ。

「そう、なのだな?」

「どうして、それを?」

「忘れたのか?」

 驚愕を隠しきれないといった風のメリドに、ファルケンハインは苦笑をして見せた。

「さっき、俺たちはシェリルを知っていると言ったな?」

「ああ」

 メリドはうなずいた。

「そうだった」

「つまり」

 ファルケンハインは大きく息を吸うと、低い声で断定するように言い放った。

「俺たちは全員、運命的な何かで繋がれているんだ」

「なんだと?」

「我々の一行にいるという賢者だが」

「うむ?」

「《真赭の頤》の弟子だ」

「え?」


 メリドが思わず立ち上がろうとした時、その声はまるでその空間全体から聞こえてくるような響きで彼らの耳に届いた。

「おしゃべりが過ぎるようだな、メリドよ」

 メリドには聞き覚えがある声だった。

「ラシフ様!」

 メリドの呼びかけに応えるように、空間の頭上に一人のダーク・アルヴの姿が浮かび上がった。黄色いゆったりとした服をまとったダーク・アルヴの少女。足下に届くかと思われるほどの薄茶色の長い髪は、その先端部分を四色の紐で束ねられていた。

 まさしく族長ラシフ・ジャミールの姿が、一行の前にぼんやりとではあるが浮かんでいた。

「お主、その怪我はどうした?まさか……」

 メリドの首から吊られた右腕を見ると、ラシフは一歩前に足を出し、少しうろたえたような声でそう訪ねた。

「いえ、ご懸念なさいますな。ここへ落下する際に打ち所が悪かったのです。しかし大事はございません」

「そうか」

 ラシフは安心したようにそう言うと小さく深呼吸をしてあらためて一同を見渡すようにした。

「あなたが族長のラシフ・ジャミールですか?」

 ラシフが口を開く前にアキラが問いかけた。

「我らはあなたたちの敵ではございません。どうか我々をここよりお出し下さい。メリドの傷はたいしたことはないとはいえ骨折です。応急処置はしてありますが、発熱もあります。できるだけ早く医師に診せ、しかるべき処置をされた方が良いと思われます」

 ラシフはうさんくさそうにアキラを見やると、アキラの問いかけには応えず代わりに質問をしてきた。

「お前達には怪我はないのか?」

 アキラはティアナに抱きかかえられている格好のエルネスティーネの方をチラリと見ると、

「一名、具合の悪い者がおります。どうか」

 そう言った。だが、その具合の悪い者は

「私は大丈夫です。それよりメリドさんの手当をしっかりしないと駄目です。お願いです。メリドさんだけでも早くここから出してあげて下さい」

 アキラは思わず舌打ちをしかけたが、それはすぐに苦笑に変わった。エルネスティーネを見くびってはいけないのだった。高潔な精神を持つ少女をつまらないダシに使おうとした自分がまるで小物に思えた。

「先ほどの地震で精霊殿が破壊された」

 ラシフはメリドに向かうとそう言った。メリドはそれを聞くと身を乗り出した。

「里は?皆は無事ですか?」

「案ずるな。けが人が何人かは出たが大事ない。それよりそう言うことでお前には申し訳ないが、今しばらくここで待っていてもらうことになる」

「曖昧だな。しばらくとは、実際にはどれくらいなのだ?」

 これはティアナだった。

 ティアナとすればできるだけ早くエルネスティーネをここから出してやりたかったのだ。向こうの都合でそれを無期延期などされてたまるかといった気分だった。そしてそれがいつもの事ながら、言葉の調子に素直に出てしまった。


 ラシフはあからさまに不快な表情をティアナに向けた。

「全くお前達は揃いも揃って初対面の、それも年長者に対する礼儀というものを知らぬようだな」

 この言葉にアキラの眉がピクリと動いた。

「すると、我々の仲間はそちらに?」

 ラシフはうなずいた。

「案ずるな。皆無事だ。お前達が無事だという事は伝えておこう」

「いや」

 アキラは食い下がった。

「状況を伝えるより現物を持って行った方がいいのではないか?それともこの里は賢者の従者をそういう風に扱うのか?」

 ラシフはアキラに、忌々しく……かつ苦々しいことこの上なく、まるでこの世で一番嫌なものを見たというような顔をしてみせた。

「できるのならばとっくにそうしている。できないからできるように準備をしておる。むろん急がせてはいる。だが少なくともあと一日ほどかかる。それだけの話だ」

「あと一日も?そんなにかかるのか?」

「水などはメリドに頼め。やつはルーナーじゃ。こうやって思念をこちらに持ってくるのが今は精一杯で食料の面倒は難しいが、ここから出れば馳走でもてなしてやるから一日くらいは我慢してもらおう。何せ『あの』賢者の従者達だからのう。それからメリドよ」

「は」

「こやつらの言うとおり、里にお出でのその賢者様は大賢者真赭の頤様のお弟子だそうだ」

「そうでしたか」

「お付きの者達に対して、粗相のないようにな」

「はい」


 そこまで言ったところで、ラシフの姿が薄くなった。ただでさえぼんやりとした姿だったものだから、表情などがもうわからなくなっていた。

「そろそろ限界じゃ。頼むぞ」

 メリドが頭を深く下げたところで、ラシフの姿が消えた。

「どういう事だ?」

 アキラの問いかけに、顔を上げてメリドは応えた。

「ルーンで飲み水は作り出せるから安心しろ」

「そうか。簡単な保存食はある。一日くらいは大丈夫だろう。それはいいとして」

「通路結界だが、ラシフ様が精霊殿が壊れたとおっしゃっていた」

「その精霊殿とやらが壊れるとまずいということか?」

「ラシフ様はあれがないと通路結界を繋ぐルーンが唱えられないのだ」

「やれやれ」

 アキラはそう言うと仰向けになった。

「結局待つしかない、か。じゃあ、とりあえず水を一杯くれないか?」

「そのことだが」

 ファルケンハインが二人の会話に割って入った。

 アキラが顔を向けると、ファルケンハインはすまなそうに小さく頭を下げていた。

「すまん。だが、あのときは仕方がなかったのだ」

 なぜかファルケンハインの横でティアナがそう言って本当にすまなさそうに小さくペコリと頭を下げて見せた。

 アキラとメリドにはそれがどういう意味なのかがわからず、思わず二人で顔を見合わせた。

「お前のルーンは……当分使えない」

「なんだと?しかしファル殿、さっき確かエアは終わっているとかなんとか」

「違うんだ」


 そう、ティアナはすでにメリドに触れていた。

「無のフェアリー」と言われるティアナのキャンセラ能力。ティアナに触れられたルーナーは一定時間、ルーンが使えなくなってしまう。

 つまりティアナはファルケンハインの指示で、すでにメリドの体に触り、彼のルーンを封じていたのだ。


「嘘だと思うなら試してみたらいい」

 メリドにはアキラと違い、キャンセラに対する知識がなかった。だから当然試してみた。短いルーンを唱え、何も発動しないのを確認した。

「まさか、本当にそんな能力の人間がいるというのか」

 メリドは生まれて初めてその存在を学習することになった。自分の体で。

「どのくらいだ?」

 メリドはティアナに尋ねた。

 ルーナーにとってルーンが使えない事ほど恐ろしいことはない。それはまるで裸で猛獣が闊歩する森に放り出されるようなものだった。これが戦場ならば、おそらくどんなルーナーでも恐ろしさと心細さで冷静では居られなくなるだろう。メリドにとって幸運だったのはそこがもはや戦場ではない事と、地震の揺れがかなり収束してきたこと、そして何より一緒にいる人間が敵ではないことだった。


「それは、私とお前との相対的な力関係で変わるから、一概には言えない」

「因みに言っておくと」

 ファルケンハインはティアナの言葉を継ぐように言った。

「我らの賢者様は三分程だった」

「そうか」

 メリドはホッとした。ならばそれほど長時間ではあるまいと思ったからだが、続くティアナの言葉がその安堵を無残に打ち砕いた。

「我がシルフィード王国が誇るバードの一人は一週間ほど使えなかったがな」

「なんだと?」

 メリドは思わず激昂して立ち上がりかけた。それほど驚いたのだ。

 ティアナが冗談を言っているのではないことは、短いが、今までの会話を聞いていてもわかる。だからこその驚愕だった。

 バードとは国家の持つ最上位のルーンを受け継ぐ職であり、要するに国が管轄する範囲においては最も能力が高いルーナー達である。

 それが一週間も能力不全になるということは……。


「キャンセラの事は噂には聞いたことがあるが、全くもってすさまじい能力だな。なるほどそれなら」

 アキラは感想を素直に口に出し、しかしそれを途中でやめた。

「それなら?」

「いや、失敬。なんでもない」

 それなら戦時中にかり集められて利用した後は抹殺されたという理由も理解できる。アキラはそう言おうとして口をつぐんだのだ。

 キャンセラという特殊な力を持つ者は、もはや絶滅しているとは聞いていた。


(これでまた)

 アキラはしかし、もう考えないことにした。

(ミリアのあっけにとられた顔を思いっきり拝ませてもらわねば割に合わんな)

 そう心の中で嘆息するしかなかった。

 一気に黄昏れたアキラとメリドを一瞥すると、ティアナは視線をエルネスティーネに戻し、のんびりした声でこういった。

「それにしても、お父上がそのような名前の鳥を飼っていたとは初めて聞きました。良いお話ですね」

「え?」

 今度はエルネスティーネとファルケンハインがティアナの言葉でアキラ達と同じように小さく肩を落とすことになった。

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