第五十五話 祈るな!願え!! 5/6

 エルネスティーネがどういうつもりでそんな作り話をしたのかはファルケンハインにはわからなかった。もちろんティアナにも。

 二人は複雑な表情でお互いに顔を見合わせた。


 もともとエルネスティーネとは豊穣の祭りを司る精霊の名前だと言われ、シルフィード王国では古代より良妻賢母を願って与えられているものだった。

 もちろんエルネスティーネという本名を明かしその説明をする事は論外にしろ、少なくとも今の例えはエルネスティーネが自分の名前の由来として語るには適切なものではないように思えてならなかった。

 だが続くネスティの言葉を聞いて、ファルケンハインは思わず唇を強く噛むことになった。

「おそらく父は、たとえそれが一時であったとしても、自分の娘に自由に羽ばたく翼を持たせたかったのではないでしょうか。私は、そう思うのです」

「――」

「カゴで育った鳥は、自らが考えている程、うまく飛べるわけではありませんから」

 ファルケンハインは何かを言いかけて、そしてやめた。何も言葉にならなかったのだ。

「それに、父は知っていました。少なくとも空には、その鳥の仲間がいることを」

 メリドはこの不思議な一行がいったいどういう繋がりと目的をもっているのかはわからなかったが、単純に賢者とそのお付きの者ではなさそうだと感じていた。

 少なくとも自分を必死になって助けようとしたこの少女には彼が知っている賢者の部下に特有のあの突き放したような空気がない。いや、この少女だけではなかった。その少女を優しく抱いている白髪の若い女アルヴや、落下する自分を特殊なフェアリーの力で助けた長身のアルヴにしても、戦士としての迫力は感じるが、まとう雰囲気に黒いものがない。もっとも、残るデュナンについては何を考えているのかがわからない、油断できないものを感じてはいたが、どちらにしろ彼らには共有する和やかな空気があった。

 だからこそ不思議でならなかったのだ。

 なぜ、賢者と一緒にいるのだろうか?

 メリドはどうやらここへ来て彼らに強い興味を持ってしまったようだった。


「ぶしつけな事を訪ねるが、母上は?」

「いえ。母はおりません。私がまだ幼い時に他界しました」

「すまない。嫌なことを思い出させてしまった」

「いいえ。もう昔の話ですし、まだ幼かった私は記憶もあやふやで、実のところ絵でしか母の顔を知りませんから。それよりルーチェの話を聞かせてくださいな」

 メリドはうなずいた。

「娘はルーナーだ。俺のような二流に毛の生えたようなルーナーではなく、あれは間違いなく一流の力を持っている。だからルーチェはおそらく、次期族長になるだろう」

「それは、すごいですね」

 エルネスティーネは思わず感嘆の声を上げた。

 だが、メリドはゆっくり首を横に振って見せた。

「だが、ルーチェはそれを嫌がっている。しかし少なくとも今のジャミールの里で娘を超える力を持つルーナーはいない。継ぐしかないのだが……」

 メリドはそこまで言うと口をつぐんだ。

 それは言ってしまっていいものかどうかという迷いのためだった。だが、少し間を置くと、話の続きを語り出した。

「継ぐしかないのだ。だが、その前に賢者の修行をする必要がある。ルーチェはその修行が始まる日を待ち続けている」

 アキラをのぞく三名は互いに顔を見合わせた。エルネスティーネはもうほとんど普段の息づかいに戻っていた。もっともまだ体に力は入らないようではあったが。

「賢者の修行って、あの?」

 エルネスティーネの問いにメリドは首を振った。

「『あの』が何を意味するのかはわからないが、相当の覚悟がなければ賢者にはなれない事は知っている。ルーナーとして素質があろうとも、あの術を使うには賢者になれるほどの知識と力がないとムリなのだ」

「あの術、というと?」

 これはアキラであった。ジャミールの里の持つ謎の一つに迫ったに違いないと反応したのだ。

 そのアキラの顔を鋭い視線で見たメリドだったが、それでも覚悟を決めたように話し出した。

「このあたりでは今のような地震はたびたび起こる。そしてレイジノ山がそろそろ噴火を始めるのだが、それを防ぐ為の強力なルーンがこの里には伝わっている」

「なるほど、そのルーンを使うために力がいるというわけか」

 メリドはうなずいた。

「失礼ながら現在の族長では?」

 ファルケンハインがそう質問した。メリドは苦しそうな顔をすると首を横に振った。

「ラシフ様には残念ながらそこまでのお力はなかった。だから素質のある者を賢者の弟子にして鍛える必要があるのだ。しかる後、里へ帰還し族長を継いで、いにしえのルーンを唱えて里を守る義務が、ルーチェにはあるのだ」

「それはよほどの術なのだろうな」

「ああ、そうか。なるほど」

 アキラは思わず声を出してそう合点した。

「ジャミールの里の守りが尋常ではないのは、そのルーンを盗まれないように、なのだな?」

 メリドは無言でうなずいた。

「なるほど」

 ファルケンハインも納得したようにそう言った。

「そこまでして守らなければならないほど強大なルーンだということか」

「たとえ賢者といえども、上席かあるいは大賢者程の力がないと使えないルーンだと言われている」


「ちょっと待って下さい」

 エルネスティーネが会話に割って入った。

「その、上席賢者か大賢者になる必要があるということですか?あなたの娘さんのルーチェが?」

 メリドはうなずいた。

「私はルーチェの事は知りません。素質があるのでしょうけれど、でも、仲間の賢者に話を聞いたことがあります。百人に一人も生き残れないと。賢者になれるのが百人に一人なのではなくて、生き残れるのが百人に一人なんだそうです」

「その辺の話は俺も聞いている」

 切羽詰まったようなエルネスティーネの口調に押されながらメリドは答えた。

「それに、身をもって知っているのだ」

「え?」

「ルーチェの兄……俺の息子は賢者になれずに修行半ばで命を落とした」

 メリドの言葉にエルネスティーネは息をのんだ。

「本音を言えば俺も妻も、これ以上自分たちの子供を失いたくはない。いや、失う可能性がある場所に行かせることなどできない」

「じゃあ」

「それでもルーチェは行かなければならない。あいつは族長にはなりたくないと言っていたが、進んで賢者候補生にはなると言っている」

「なぜ?」

「村を守るためだ。放っておけば村は噴火で消滅する。一族は一瞬で全員命を失う。それを防ぐことができるのはあの古代ルーンだけなのだ。だから」

「だったら」

 エルネスティーネは思わず上体を起こしていた。だが力が入らず、支えた腕がすぐに崩れ落ちた。そこへティアナが腕を出して支えた。

「違う場所へ行けばいいじゃありませんか」

「ネスティ」

 ファルケンハインがエルネスティーネの肩に手を置いた。

「それがムリだから、彼らはここにいるんだ」

 エルネスティーネは思わずファルケンハインを睨み付けた。だが、ファルケンハインはエルネスティーネの口が開く前に静かにこう言って聞かせた。

「異教の里人は、ここを出た瞬間に全滅の危機に晒される。彼らは行き場所がないからこそ、平和に暮らせるこの場所でじっとしているんだ」

「訳を話して、どこかほかのところに住まわせてもらえばいいではないですか?」

「誰に話すのだ?」

「それは」

「サラマンダもドライアドも政府には教会がからんでいる。異端を保護する事などありえない。ウンディーネには彼らが住むような土地を割譲しようだなんていう領主はまず居まいよ。彼らはジャミールの里人を奴隷としてしか受け入れないだろう」

「そんな」

「そして我がシルフィードはどうだろうか?」

「それは……」

 エルネスティーネは言いよどんだ。自分の国が彼らを追い出したのだということをあらためて思い知ったのだ。彼らのような境遇の人々をこういう過酷な運命に追いやったのはそもそも自分の直系の先祖だった。

 エルネスティーネは自分がルーチェという娘を賢者候補生という地獄に向かわせているような気持ちになった。

「ルーチェも早く行きたいと言っている。あの子は里のために自分の力が役に立つならこんなうれしいことはないと本心で思っている。そういうところが、お嬢さんに少し似ているかもしれない」

 メリドにそう言われたエルネスティーネは溜まらず叫んだ。

「そんなことはありませんっ!私は……私なんて」

「ネスティ!」

 高ぶったエルネスティーネをティアナが抱きしめて落ち着かせた。続けて何かを言おうとしていた小さな少女は、言葉を嗚咽に換えた。

 どうしたのだ?という問いかけるようなメリドの視線がファルケンハインに向いた。彼はしかし、それに答える言葉を持っていなかった。

「あの子は情が……とても、深いのだ」

 それだけを言ったファルケンハインに、メリドはそうか、とうなずいた。

「いいお嬢さんだな」

 そしてそう付け加えた。

 ファルケンハインはうなずいてみせた。

「俺もそう思う。だから、ネスティに似ているというおまえの娘もきっといい子なのだろうな」

「ありがとう」

 メリドは今度は何のてらいもなく感謝の言葉が素直に口から出た。自分でも意外だったが、それもエルネスティーネの力なのだろうと、会った事もない他人の為に肩を震わせる小さなアルヴィンに優しいまなざしを送った。

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