第五十五話 祈るな!願え!! 3/6
「私は、この程度の事で音を上げるダーク・アルヴの戦士など聞いたこともありません。あなたにもし人並みに恥という感情があるのなら、やれるだけのことをやり切ってからさき程のセリフを言うべきです」
エルネスティーネの言葉にメリドは口を開いて何かを返しかけたが、彼女はその暇を与えなかった。
「よろしいですね?先ほどのセリフは冥府の出迎えの者にでもお言いなさい。少なくとも我々はあのような言葉、金輪際聞く耳を持ちません」
少しの沈黙があった。だんだん感覚がなくなってくる左手を見つめながら、メリドは答えた。
「お前の言うことはもっともだ。俺が出来ることがまだあるのなら、それをやり尽くすのみ」
「ご立派です。しかし、やり尽くす前に必ずお助けします」
「アモウル殿、ティアナのマントも使いましょう」
二人がやりとりをしている間に、ファルケンハインはアキラを一端引き上げてそう提案した。二つをつなげれば、少なくとも長さは足りるはずだった。それを揺らすなどしてメリドの方へかぶせることが出来ればどうにかなるかもしれないと考えたのだ。
エルネスティーネの言うとおり、彼らには迷っている暇はなかった。
アキラはうなずくと、もう少し待て、とメリドに告げた。
「だが、長さが足りても、右手に体を支えるだけの力が残っているとは限らないな」
ティアナのマントを自分のマントにつなぐ作業をしているファルケンハインを見てアキラはそう言った。
「そうだな。それが問題だ」
「ならば私が行きます」
二人の会話を聞いて、エルネスティーネが提案した。
「これを私の腰に巻いてください。そしてアモウルさんの代わりに長身のティアナが体を乗り出してくれれば長さは充分足りると思います。私がメリドさんを両腕で、いえ、両手両脚を使ってきっちりと捕まえます。それをファルとアモウルさんで引っ張り上げて下さい」
アキラとファルケンハインは顔を見合わせた。
「しかし」
「迷っている暇はないと申しあげたはずです。我々は我々がやれることをやらねばなりません。メリドさんの握力にも限界があります」
アキラは睨むように真剣に自分の方を見るエルネスティーネの決心に心を打たれた。
「できるのかい、ネスティ嬢?」
エルネスティーネは大きく首を横に振った。
「失礼な事を尋ねるものではありません。アルヴ族はやると言ったらやるだけなのです」
「そうは言うが……」
アキラがティアナにまだ何かを言いかけたが、それをファルケンハインが制した。
「急ごう。ネスティの言う通り時間がない」
アキラもうなずいた。
「わかった。彼の命は君にかかっている。頼んだぞ」
ファルケンハインはエルネスティーネの細い腰に自分の頑丈な革製のベルトを巻いた上で、そのベルトにマントの一端をくくりつけると、下をのぞき込んでメリドに救助の手順を簡単に説明した。メリドはわかったと言って小さくうなずいてみせた。
「少し苦しいと思うが、我慢してくれ」
アキラがそう言ってエルネスティーネをいたわるように声をかけたが、エルネスティーネは首を横に振った。
「大丈夫です。それより時間がありません。早くして下さい」
上でのやりとりを聞いていたメリドが上を向いて大きな声を上げた。
「せめて、俺からその娘の無事をマーリンに祈らせてくれ」
シルフィードが宗教活動を禁じている為、一応許しを請うたのだ。自分の信じない神に祈られても相手にとってはありがたくはないだろう。メリドなりに気遣った発言であった。
だが、それをエルネスティーネが諫めた。
「祈ってはなりません!」
「え?」
メリドは面食らった。そこまであっさりと拒絶されるとは思っていなかったからだ。
「『祈るな。願え』か」
アキラがそうつぶやくと、エルネスティーネはうなずいた。
「そうです。それこそが宗教活動を禁じている我々シルフィードの国民の矜持なのです」
「願え、だと?」
「マーリンに頼ってはなりません。あなたが今どうありたいか、どうなりたいのかを自分自身に言い聞かせなさい。その思いが真実なら、それは必ず届くのです」
「届く?誰に届くのだ?」
メリドの問いに、エルネスティーネの代わりにアキラが答えた。
「この場合はネスティ嬢の言う通りだな。助けるのは私達、助かるのはお前だ。お前はそれをここにいない誰か、ましてやどこにいるやもわからない神などに祈るのではなく、そうなることを願い、やれる事をやるべきだだろう」
エルネスティーネが最後を継いだ。
「その通りです。そしてその願いこそが、この場にあるエーテルを私達の力に変えるでしょう」
「――わかった」
メリドはそれ以上、もう何も言わなかった。
祈りと願いの差など言葉遊びのようなものかもしれない。だが、アキラとエルネスティーネの言葉のもつ強い力はメリドに伝わった。
(神であれなんであれ、自分の信じた誰かに頼む事が祈りなのだとすれば、彼らの言う願いとは、自分自身、あるいは自分達の力を信じ、より高みに登ろうとする強い意志を固める為の短い詠唱なのかもしれんな)
今までメリドは信じる神がいない者を不幸な人間だと思っていた。だが、ほんの小さな言葉で、それが必ずしもそうではないことに気づいたように思えた。おそらく今のシルフィードでは多くの人間はそうやって自分を確認しながら生きているのだろう。
それもいい。
だがそれが出来ない人間の為に神はいるのだ。
シルフィードでは、願うことができない人間はどうしているのだろう。
メリドはそこまで考えると答えのない問答に陥りそうになった自分を見つけて、思わず苦笑した。
(『祈るな。願え』か)
一方アキラは作業に集中しつつも内心ではエルネスティーネの態度には心底驚いていた。
王女にしてはかなり気さくだが、それでもやはりいかにもどこかのお嬢さんと言った風情は隠せず、要するに彼はエルネスティーネの事を甘やかされて育った子供だと思い込んでいた。少なくとも今のような行動を起こすような少女だとはおよそ想像もしていなかったのだ。
今回の旅にしても良質なお付きのアルヴに守られているだけの弱い存在だと見ていたが、こういうギリギリの状況、つまり窮地において実に的確な判断ができる人物であったのだ。実行力もあり、何より決断が早い。アキラもエルネスティーネが王女でなければ提案していたであろう手段だったが、それと全く同じ事をあの切羽詰まった状況の中で自分で考えて導き出せる状況判断能力と冷静さが備わっている事には素直に感心するしかなかった。
(いや)
アキラはいったんそう結論づけた自分の考えをすぐに否定した。
(こう言う状況だからこそ、持っているものが出るのだろう。危険に身を挺してまで今し方まで敵だった者の命を救おうとするとはな。……この王女様はたいしたものだよ、ミリア)
そう言えば、とアキラは思い起こした。旅は基本的に野宿ばかりである。快適な寝床などはなく、一般の人間にしても過酷な環境下であると言えた。食事ばかりではない。湯浴みなど望むべくも無く、その他にも不自由な事は多々あるにも関わらず、それについての不満や不平をエルネスティーネの口から一言たりとも聞いた事が無かった事に今更ながら気付いた自分を恥じた。
(大したものとは失礼な言いようだったな。世が世であり、この方が我が姫であったなら、私は喜んで命を差し出すだろう)
「行くぞ。しっかりつかまれ。それから、感覚が狂うから下をじっと見つめるな」
ファルケンハインの合図で、ティアナはエルネスティーネをゆっくりと地面の亀裂で出来た穴に降下させた。女とはいえデュナンであるアキラよりかなり背が高いアルヴのティアナは当然彼よりも手が長い。ティアナのマントをつないだ事もあって、エルネスティーネは彼女の思惑通りメリドと同じ高さまで余裕で降下することが出来た。
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