第五十五話 祈るな!願え!! 2/6
アキラと言えば、またしてもミリアに伝えねばならないことが増えてしまった事で少々頭が痛くなっていた。
ただのルーナーであればその力が多少強かろうがどうしようが怖くはない。だが、エイルは詠唱時間なくルーンを使えるばかりか、剣技が達人級だという。もし賢者が皆そうだとすると、ミリアはマーリン正教会の戦力を完全に見誤っている事になる。どんな事を起こすにせよ、彼らを味方に付けられないまでも、敵に回さない戦略が不可欠だと考えざるを得なかった。
いや、ミリアはアキラにさえ自分の考えを全て明かす事はない。ひょっとしたらすでにそれさえ回避できる策が用意されているとでもいうのだろうか?
そんなことをアキラが考えていたときだった。
地の底から大きな物が地面を割ってせり出してくるような低い響きがしたと思った瞬間、不意に地面が大きく揺れた。
エルネスティーネが小さく悲鳴を上げた。
「地震だ」
アキラはそう叫ぶと地面に伏せた。
「大きいぞ。とりあえず体を低くして頭を守れ」
地下の空間である。冷静に考えれば隠れる場所など無い事はわかっていた。ましてや安全な場所など存在しようがなかった。天井が崩れ、上から岩が降れば、あるいは大きく地盤が崩れるような事があれば彼らになすすべはない。
とは言え一行はアキラの指示に従ってとりあえずはその場に伏せた。
ティアナとファルケンハインは二人でエルネスティーネを庇うように上から覆い被さっていた。
まるで地中で大きな岩が転げ回っているような低い地響きが続く中、最初の大きな揺れに続いて揺り戻しのような、やや大きな揺れが数度やって来た。それに対処するためにしっかりと四肢で地面を捕らえていたアキラは、暗く視界の悪い土埃の向こう側に広がる信じられない光景を目撃していた。
今までそこにあったはずの地面が裂け始めたのだ。地震が生んだ大地の亀裂はまっすぐにアキラの体の下に向かって走り始めた。いわゆる地割れの発生であった。
考える間もなく、その地獄の口はあっと言う間に拡大した。アキラはとっさに動いて亀裂に飲み込まれるのを避けたが、体の動きが悪いメリドは逃げ遅れて足場を失うと、そのまま地割れの中に滑り落ちた。
メリドがその時思わず伸ばした左手が壁面の引っかかりを掴んだ。彼はかろうじて滑落を免れていた。
だが大地はいまだに揺れ続けており、体を支えている壁面がいつ崩れるとも限らない。
メリドは足下を見た。だが、セレナタイトの光が届かない亀裂の底はただ闇が広がるばかりだった。
「下を見るな」
その声に反応して顔を上げると、そこには体を乗り出して自分の方に手を差し伸べるアキラがいた。セレナタイトにぼんやり照らされてその表情が見える。ずいぶん落ちたように感じていたが意外に数メートルの滑落ですんだようだった。だが、もちろんアキラが伸ばした手がメリドに届く距離ではなかった。
「じっとしていろ」
メリドの状態を確認したアキラはそう声をかけると、今度はファルケンハインの方を振り向いた。
「すまんが、そのマントを貸してくれ」
ファルケンハインはアキラの意図がわかった。すぐに丸めて放り投げる。
「俺が体を支えよう」
「それは助かる」
ファルケンハインはティアナにネスティを預けると、揺れの中を体を低くしてアキラの横まで移動した。地震で生じた亀裂を並んで覗き込むと、途中にある唯一の引っかかりのような岩肌にメリドがなんとかしがみついているのが見えた。だが、思ったより遠い。
「私が身を乗り出してこのマントをロープ代わりに彼に投げる。君は私の足首を押さえていてくれないか」
「おやすいご用だ」
「彼は右腕を骨折している。だから片腕しか使えない。自分で上る事は無理だろう」
「どうする?」
「こちらから引っ張り上げる必要がある。ここにアルヴがいて良かったよ」
「了解した。アルヴの腕力の見せ所という訳だな」
「期待している」
アキラの言葉に大きくうなずくと、ファルケンハインは後方の仲間に声をかけた。
「ティアナっ!」
同時に彼はアキラの後ろに回ると、上体を亀裂に突っ込んだ横笛奏者の足首を掴んだ。
「手伝えることがあれば何でも言って下さい」
ファルケンハインは二人に移動を指示した。
「ネスティが動けるようなら二人でこっちへ来てくれ。引き上げるのに君の助けがいる」
「了解です」
「私の事は心配ご無用です」
二人は同時にファルケンハインに答えると互いにうなずき合い、中腰になって移動を始めた。
「こらえろ、今マントをそっちへ投げる。このマントはアルヴスパイアと言って、その辺のロープよりよほど丈夫にできている。だから安心してつかまれ」
上体を亀裂に突っ込んだアキラはメリドにそう叫ぶと、マントの下端をしっかりと掴み、フードの方をメリドの方へ垂らした。その拍子にアキラの懐から何かが飛び出し、重力の法則に従い亀裂の底へ自由落下していった。それは複数の小さな物体で、一度亀裂の外壁に当たって乾いた音をたてた後、メリドの目の前をかすめて墨を流したような深淵に飲み込まれるように消えていった。
「しまった」
アキラは思わず舌打ちをした。
「今のは……まさか精霊石か?」
メリドは頭上少し離れたところに垂れているファルケンハインのマントの端と、それ越しにこちらをのぞき込むアキラを見上げながら尋ねた。
「そのようだ」
落ちていった石はしかし、いまだに底に達した事を示す音を発していない。つまりこの亀裂がどれだけ深いかはわからなかった。
「里にとっては貴重な精霊石だったのだぞ。全て落ちたのか?」
「――ああ。後で返すつもりだったのだが、悪いことをした。それより急げ。また大きな余震がくれば、この亀裂もどうなるかわからんぞ」
「わかった」
「まさかとは思うが、あの石が衝撃で発動してスカルモールドが出てくると言うことはないだろうな?」
「大丈夫だ。確かに衝撃を与えると発動する精霊石だが、持っていたのは全てエアの結界を張る精霊石ばかりだ。能力が高い者が発動させた訳ではないから、この深さだと結界の広さはここまでも届かないだろう」
「そうか、安心した。この状況でスカルモールドが壁を上ってくるとお手上げだからな」
「確かにアレならこの壁を力任せに上ってくることも出来そうだな」
メリドは軽口を返したものの、実際のところどうやってアキラが垂らしてくれたマントを掴むか思案していた。
メリドのいる場所は少し内側に抉れたようになっていて、アキラがマントを垂らしても、メリドからは離れたところにしか届かない。
手を伸ばせばなんとか届くかもしれない。だが伸ばしたところで右腕は骨折していて使えない。かといって左腕は崖にある突起にかろうじて引っかけているだけだった。左手を離した瞬間、支えのない体は落下してしまうだろう。
足がかりがあるか、せめて顔にマントが垂れていてくれればそれを歯で咥えて体を支え、その後左手でマントを握り直す余裕ができるのだが、身を乗り出すアキラもそれ以上は限界のようだった。
「すまんが届きそうにない」
メリドは正直にそう告げた。そうしている間にも余震が辺りを揺らす。メリドが片手で体を支えるのもそろそろ限界だった。
おそらくこれが自分の最後なのだろうとメリドは覚悟を決める事にした。アルヴ系の種族の気質はこう言う場合、死の恐怖よりも無様な死に方をしないようにと考える方に意識が行く。従って彼はこれ以上この少ない引っかかりに文字通り命を引っかけた状態で自らの命を惜しむ為に見ず知らずの人間、それも自分たちが一旦は殺そうとまでした相手の慈悲にすがるような行為を是とはしなかった。
「お前達の親切心には心から感謝する。正直言ってこのメリド、心を打たれた。だがもういい。俺は運命に従う」
これから自らが落ちて行くであろう焦点の合わない闇の深淵を見ながらアキラにそう告げたメリドに、すかさず頭上から怒声が届いた。
「アルヴの一族たるもの、そのような愚かな事を軽々しく口にしてはなりません」
闇が支配する閉鎖された空間に凛と響く涼しい声は思いがけずエルネスティーネのものだった。
メリドが虚を突かれたようにハッとして上を向くと、そこには頭だけを覗かせた小さなアルヴィンの影があった。セレナタイトの光は彼女の背後から注がれているためにエルネスティーネの表情までは見えない。だがメリドには目を見張り、眉をつり上げた金髪の利発そうな少女の顔が見えたような気がした。
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