第五十四話 ラシフ・ジャミール 5/6

「余とユートとはともに《真赭の頤》の弟子やった。ウチの歳はだいぶ若いけど序列は余が上やった。そやけど年上で面倒見のええユートに、修業時代はようかわいがってもらってたんや」


『かわいがってもらってたのか。お前が?』

【やかましい!】


「も、もったいないお言葉でございます」

 イブロドはそう言うと再び額を地面にこすりつけた。

「頼むから顔を上げてくれへんか。余は偉そうにする為にここに来たわけやないんや。もっとも今回ジャミールに来たのはホンマに偶然やってんけど、ジャミールの里に訪れる機会があれば是非お前に会いたいと思ってた」

「私に、ですか?」

 おそるおそる顔を上げたイブロドにエルデはうなずいた。イブロドにはその顔が少し微笑んでいるように見えて、不思議な気持ちになった。

「ユートはホンマに優秀なルーナーやった。もう聞いてるんやろうけど、あの不幸な事故がなかったら、間違いなく次席以上の賢者になれたと思う」

「過分なお褒めの言葉、ありがとうございます」

「いや、余は世辞なんか言わへん。ホンマの事や」

「それこそが、ありがたきお言葉でございます」

「ユートはこの里の事や、生みの親であるお前の事を余によう話してくれた。お前と一緒に木の実や果実を収穫する為に森に入るのがどれだけ楽しかったか、糸を紡ぐ手伝いをさせられるのが退屈で嫌だったこと、ルーンの修行になるといつもは優しい母親が鬼のように厳しくなって閉口したこと、料理上手な母親の作る食事が毎日いかに楽しみだったか。そして実の母親が族長を守護する四人組の筆頭であることがどれほど誇らしかったか。里を離れる事がどれだけ寂しかったか。そして、どれくらいお前の事を大切に思っているかを、いろいろと、な」

 エルデの声には抑揚がなかった。ただ静かにイブロドに話しかけているだけであった。だが、その言葉の一つ一つはイブロドの心に染み込んだ。そして染み込んだその声がユートの笑顔を心の奥から浮かび上がらせた。

 エルデはゆっくりと続けた。

「通常、賢者候補生は過去の記憶を消される」

「はい。そう伺っておりました」

「我が真赭の頤はな、少し変わっていて、そうしない事も多々あった。ユートは記憶を消されず、そしてその思い出を余に語ってくれたという訳や」

「あの、もしや、猊下は?」

「いや」

 エルデは首を振った。

「お前は余を哀れに思ってくれるのか?」

「いえ、滅相もございません」

「ユートの言うとおり、お前は優しい、ええ母親やな」

 エルデはそこでいったん言葉を切った。そしてチラリとアプリリアージェの方を見やったが、すぐにイブロドに視線を戻した。

「確かに余にはユートのような思い出がない。だからユートの話はうらやましかった。そして楽しかった。兄とはこんなものなんやろうなあ、なんて感じてたんやろな」

「賢者さま」

「ちゅうことで、ユートには世話になった。だからイブロド、母親であるお前に礼を言わせてもらう。おおきにな」

「め、滅相もごぜいません」

「それから、ルーチェやけど、心配やろな」

「は、はい」

「でも、大丈夫や」

 そう言うとエルデはアプリリアージェの方を見てうなずいた。その合図を受けたアプリリアージェは、アトラックに抱かれているルーチェの両方のこめかみにそれぞれ親指を当てると、ぎゅっと押した。


「お目覚めですよ」

 アプリリアージェの言葉が終わらないうちに、アトラックの腕の中で眠っていたルーチェが小さくむずがるような声を出して目を覚まし、辺りを見回した。

「立てるか?」

 アトラックの問いかけにコクンとうなずくと、ルーチェはその腕からストンと滑り降り、自分の一族の方を見て首をかしげた。

「族長さまと賢者エイミイの会談の席です。今、賢者様はお母様に声をかけられているところなのですよ。」

 アプリリアージェは、キョトンとしているルーチェにそう状況の説明をした。

「ルーチェ!」

 エルデの横でその様子を見ていたイブロドがたまらず娘に声をかけた。

「母上っ!」

 ルーチェはゆったりした服をひらめかせながら、自分を呼ぶ声の方へ駆け寄ると、一旦エルデの前で立ち止まり、簡単な会釈をした後で母親に抱きついた。

「ルーチェ、無事だったのですね」

 イブロドもそんな娘をそっと抱きしめた。だが、そのすぐ後にハッとして顔を上げ、エルデに申し訳なさそうに黙礼した。エルデはそんなイブロドに「遠慮はいらぬ」とばかり、微笑して小さく首を振って見せた。

「ごめんなさい。黙って父上についていって」

「怪我はありませんか?」

「ええ。でも、私達はとんでもないことを」

「あ、もうその話はええで、ルーチェ。誤解はもう解けてん。せやな、ラシフ殿?」

 ラシフはエルデのその言葉を受け、改めてイブロドとルーチェ、そしてニヤリと笑って自分を見下ろしている茶色い髪の目つきの悪い少年を見上げた。


「これは一体どういう事でしょう。ルーチェは人質では?」

「人質? 誰が? 誰を?」

 とぼけた風にエルデが言う。

「しかし先ほど確かに」

「人聞き悪いなあ。余は一言もルーチェが人質やなんて言うてへんで」

「え?」

 ニヤリと笑うエルデを見て、ラシフはヒノリを睨んだ。

「いえ……そう言えば確かにその言葉は一言も……」

 ヒノリはそう言うとバツが悪そうに目を伏せた。

「悪いけど最初の出会いが最悪やったから、こっちも敵やと思うてルーチェにはちょっと眠ってもろたんは確かや。で、ルーチェにそのルーンをかけた駆け出し賢者が微妙に気の利かんやつでな。知ってるルーンの中で詠唱時間が一番短いから言うて睡眠やのうて冬眠のルーンをかけてもうたもんやから、目覚めた後もルーチェはネムネム状態っちゅうわけや。でもそれも心配ない。余があとであんじょうしといたるわ」

「最初から人質にするつもりはなかった、と言うことですか?」

 エルデはそういうラシフの側に精杖ノルンをトンっと突いた。

「確かにルーチェが眠っているのを利用はさせてもろた。お前にまた『エア』を張られたらやっかいやしな。でも、それだけや。こっちに敵意がないのがわかってもらえて、そっちもこっちを普通に賢者とその連れとして迎えてくれればそれでええねん」

 エルデの言葉にラシフはがっくりと頭を垂れた。ルーチェが無事に戻った事がわかって緊張が解けたせいもあるが、自分たちがスカルモールドを使って賢者を殺そうとしていたことを改めて突きつけられたからだった。それも、おそらくは本当に《真赭の頤》の弟子を。

「しかし猊下はなぜ「現世の道」から里に入ろうとされたのですか? これは言い訳になってしまいますが、私は三聖深紅の綺羅様および大賢者真赭の頤様より、「龍の道」から来る者以外は里の敵と見なして排除せよと申しつけられております」

 エルデは溜め息をつくと、独り言のように呟いた。

「だから、俺がここに来たのは偶然なんやって言うてるやん。そもそも近くに迷い込んだくらいで、何であの忌まわしいスカルモールドまで使うて殺されるような目に遭わなあかんねん。全くあの師匠はいらんこと言うてくれるわ」


「あのう……」

 それまでのやりとりをじっと見守っていたアプリリアージェが遠慮がちに声をかけた。

「それで、私達の仲間のことなんですが?」

「あ、そやった」

 アプリリアージェの催促を受けて、改めてエルデはラシフに訪ねた。

「本当に知らへんのか? メリドがあの場から余の仲間と一緒に消えたのは確かなんや」

 ラシフはエルデにすぐには答えずに、ルーチェに訪ねた。

「それでお前の父親はどうしたのだ、ルーチェ? 一緒にいたのではないのか?」

「それが……」

 ルーチェは父メリドに結局追いつくことが出来ず、合流する前に見失っていたのだ。件の場所にたどり着いた時には既にメリドとアキラ達は消えた後で、そこには土塊になったスカルモールドの上に仁王立ちになっているアルヴの少女、つまりファーンがいたのだという。青い精杖を持っていたのが見えたのでルーナーだとは思ったが、まさかその少女のアルヴが賢者とは知らず、火柱の精霊石を使おうとして懐に手を入れたところで意識がとぎれたのだという。

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