第五十四話 ラシフ・ジャミール 3/6
「しかし、この子が族長の孫娘だったとはねえ」
アトラックが腕の中の少女を大事そうにそっと抱き直しながらそう言った。
「全く食べちゃいたいくらいかわいい顔で眠ってくれてるよ」
「食べてはいけませんよ、アトル」
「俺はスカルモールドですか!」
「食べると言えば……」
アプリリアージェは周りの景色をざっと見渡すとつぶやいた。
「この辺りは標高の高い高地のはずですが、食用になる木の実や果実が成る木が豊富ですね」
アトラックはうなずいた。
「その辺はクチナシの群落ですね。そろそろ実が熟してます。火山地帯ですから地熱のせいでしょうね」
「隠れ住むにはいい土地なのかもしれませんね」
「まあ、クチナシは食べられませんが」
【クチナシか】
『クチナシがどうかしたのか?』
【今思い出したけど、クチナシは古代ディーネ語で】
『うん?』
【おっと、おいでなすったで。代わろか】
『ああ。了解』
エルデはエイルから体の支配権を受け取ると、アプリリアージェをチラリと見た。アトラックをからかっていたアプリリアージェはすでに正面を向き、いつもの通りの落ち着いた微笑をたたえていた。
「んじゃ」
「ええ。お任せします」
二人は視線を絡ませると小さくうなずき合った。
先触れがあってからそれほど待たされずにジャミールの族長がその姿を現した。ダーク・アルヴという事で予想はしていたが、現れた族長はエイルの想像以上に小柄で、およそ「堂々とした風貌」とは言い難かった。彼の目測ではその身長は同じ種族のアプリリアージェよりさらに頭一つ低く見えた。
族長ラシフ・ジャミールは今までエイルが見たこともない民族衣装を着ていた。ゆったりとした黄色い衣装は真新しく綺麗なもので、門の上に刻まれていたクレストと同じ意匠を染め上げている。地面に届こうかという薄茶色の長い髪はきれいな紐でまとめられていて、おそらくこれが族長としての正装だろうと思われた。
一行の待ち時間はすなわち彼女の装束を整える為に必要な時間だったのだろう。
ラシフは露払いなどを配さず一団の先頭を堂々と歩いてやってくると、一行の手前で立ち止まった。すぐ後ろに付き従う四人の女ダーク・アルヴもラシフ同様、綺麗な衣装に身を包んでいた。ルーチェの服もそうだが、この里の民族衣装にはどれにも丁寧な刺繍が施されていた。エイルはそれを見て、色彩感覚に富んでいて美しいと思った。
里の入り口でエイル達に一応睨みを利かしている兵を別にすると、ラシフは新たな兵を従えては来なかった。
緊張感溢れる会見の場に最初に響いた声はラシフのものだった。
「私がジャミールの族長、ラシフだ。まずは客人の用向きを伺おう」
エイルにとってはどう見ても少女と思える顔形だが、その態度にはやはり威厳を感じた。口調も堂々としていて、それは確かに一族を束ねる立場にある者なのだろうな、という気にさせる。
小柄なのに堂々とした雰囲気を纏うラシフは、その射るような眼差しをまずはエルデに向けて相手の反応を待った。
「余はマーリン正教会の賢者、エイル・エイミイ。訳あって現名のみで失敬する」
エルデはエイルの名を名乗った。
「ふん」
エルデの自己紹介にもラシフはその警戒した態度を崩さずに、重ねて問うた。
「我らを田舎者と馬鹿にするでない。名を名乗らぬ賢者など賢者ではない事くらい赤子でも知っておる。ましてや大切な里の人間を人質にするような真似をする賢者など前代未聞」
「なんやて?」
エイルが気色ばんだが、ラシフの方は全く怯む様子はなかった
「用があるならさっさと言うがいい。ただし、ダーク・アルヴの誇りを正しく受け継ぐ我らに脅しは無用だ」
その言葉にカチンと来たのだろう、エルデは手にした精杖で勢いよく地面を突き、ドスンと大きな音を立てると、同時にごく小さな声で何事かを唱えた。
すると、エルデとラシフとの間、つまりは両者の目の前五メートルほどのところにズドンっという音と共に小さな雷が落ちた。
『お、おい、平和的な話し合いじゃなかったのかよ』
【うるさい。賢者とちゃうやろ? とか言われたから賢者やろ、って返事したまでや】
『やれやれ』
それには里の一行はさすがに驚いた。詠唱も何もなく「客人」がいきなり雷を落としたのだ。しかも族長の目前である。それは明らかに脅しだったが、次は自分たちの上に落ちるかもしれないと思った兵士達は、一斉に武器を手に身構えた。
ラシフもかなり驚いてはいたが、さすがに兵士達よりは腰が据わっているようで、それでもまだ怯まなかった。
「フン、賢者でもなければルーナーでもない。ただのフェアリーか。化けの皮が剥がれたな」
「ほう。そう思うのか?」
「お怒り」状態のエルデは右手に持った精杖ノルンを空高く掲げ、もう一度何かを早口で唱えた。振りかざした精杖に注意を逸らされているジャミールの里の人間にはエルデが何かを小声で唱えている事は気づかれていない。つまり、ルーンを詠唱しているようには見えていないということだった。
そしてその振り上げられた精杖がグルグルと回り始めると、すぐに兵達の上に水滴が降り注いだ。
「雨だ」
誰かが叫んだ。
敢えて言わずとも、誰の目にも明らかだった。それは雨に他ならなかった。
そして、快晴の空から降るその雨が自然現象ではない事も明らかであった。
「これでも余がフェアリーやと言い張るつもりか? ええ、どうやねん、オバハンっ!」
エルデにそう言われる前にラシフはすでに言葉を失っていた。風の属性である雷と水の属性である雨とを両方操れるフェアリーなど存在しない。複数の属性の力を操れるのはルーナー以外にありえなかった。
「それでも疑うんやったら、これをよう見ろ。そして自らの言動を恥じてひれ伏せ!」
そう言うと、ラシフをにらみ据えるエルデの顔に変化が起こった。
額には赤い眼が、あの第三の眼が見開かれたのだ。
「これでも余の事を賢者やないと言い張るんやったら、こっちにも考えがあるで。客として世話になるつもりやったから一応下手に出てやってるんやっちゅう事を理解して、分をわきまえろ、このスカタンが!」
『ポンはないのか?』
【ポンは無しや】
『なぜ?』
【ポン付きは最上級のやからな。お前さんほどひどないだけや、このスカポンタン】
『いや、ちょっと待て』
赤く光るマーリンの瞳に見据えられたラシフは、思わず片膝をついた。
「申し訳……ありません」
第三の眼は決定的だった。ましてや第三の目を過去に見た事がある者にとって、見た事がない者よりもその効果は大きかった。
「頭が高い」
エルデはマーリンの眼を見開いたままの状態で続けて怒鳴った。放心状態になっていたジャミールの兵達はその声で我に返ると、副兵士長の筆頭という立場にあるヒノリが両膝をついて頭を下げたのを合図に一斉に同じ姿勢をとった。
「それでええんや。言うとくけど、余は師である《真赭の頤》と違うて気は短いし、温情の欠片もないから、今後も態度には特に気ぃつたほうがええで」
(リリアお嬢様)
アトラックが小さくため息をついてアプリリアージェに小声で声をかけた。
(奴らのせいで結構ひどい目に遭って危うく死にかけた俺がこう言うのもなんですが、族長が気の毒になってきましたよ)
アプリリアージェはマントで顔を隠してクスクスと笑った。
(敵に回すとこれほど腹立たしい相手もいないでしょうね。でも今は味方ですから、実にスカっとする事を言ってくれたと思います。溜飲が下がるとはこういう事を言うのでしょうねえ)
(こんな時にノンキですね)
(いえいえ、いつもの通りエイル/エルデの二人組にはドキドキさせられます。ただ、『オバハン』はいただけません)
(そうですね、いくら何でも族長ですから、あれは言い過ぎですよ)
(いえ、手ぬるいですよ。あそこは『クソババア』と言うべきでしたね)
(そ、そうなんですかね。俺には年頃の女の子にしか見えないんですが)
(ダーク・アルヴやアルヴィンは他の種族から見ると年齢と外見の不一致が甚だしい種族のようですからね。でもたぶん、ラシフは軽く百歳を超えていると思いますよ)
(マジっすか? 俺はてっきりリリアお嬢様より)
(私より……何ですか?)
(……お年を召していらっしゃるであろうと確信していました)
(ふふふ)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます