第五十四話 ラシフ・ジャミール 2/6

「は。『現世(うつしよ)の道』から客人がお見えです」

「何?」

 ラシフは合図して近くの者に扉を開けさせると立ち上がった。

 陽はかなり傾いてはいたが、それでも外の光はまぶしく、薄暗い部屋を蝋燭の明かりとは比べものにならないほど力強く照らし出した。

 ラシフは光の方へ歩み出た。扉のすぐ向こうにあるちょっとした舞台のように突き出した露天の板間には、槍を構えた兵士が片膝を就いて控えており、その向こう側の階段の下には彼の部下である兵士達が十数人、同じように控えていた。

「客人だと?」

「は」

「何者だ?」

「それが……」

「さっさと申せ!」

「賢者とその付き人だと申しております」

「賢者……だと?」

 副兵士長の言葉にラシフは動悸が速くなるのを感じた。

 戻らぬメリド。「エア」と共に張った迷いの結界をくぐり抜けたばかりか、おそらくはメリドの放った「防御の手段」さえ押さえてやってきた賢者と名乗る一行。

「して、その賢者様の名は?」

「それが……」

 ラシフの問いに、副兵士長は答えを言いよどんだ。

「どうした、申せ」

 ラシフの胸中には不吉な言葉が浮かんでいた。

 新教会。

 そしてかつて三聖深紅の綺羅が彼女に告げた警句、

『新教会の手の者がこの里を襲うことになるやもしれぬ』

 いよいよその時が来たのかもしれなかった。だとするとそれは賢者などではない。僧正と呼ばれる恐ろしい殺戮者である可能性が高かった。

(狙いは勿論「アレ」であろうな)

 だが、副兵士長が次に口にした言葉は、また違う窮地を告げるものだった。

「その者は大賢者真赭の頤様の弟子、賢者エイミイと名乗っております。ただ、どうやらルーチェ様が、その賢者の人質になっているご様子でして」

「なんだと?ルーチェが人質というのは間違いないのか?」

「はい。ルーチェ様は意識がないご様子で、賢者と名乗る者の付き人であるデュナンの兵士に拘束されております」


 なんと言うことだ。

 ラシフは情報を整理しようとした。だが、部下はその暇を与えてはくれない。

「賢者エイミイは至急ラシフ様にお会いしたいと申しております。さもなくば」

「さもなくば、何じゃ?」

「『皆まで言わへんでもわかるやろ?』と、古語で」

「古語?」

 古語はともかく、大事なルーチェを放っておくわけにはいかなかった。

「その賢者殿はどのような気色だ?」

「小柄な若いデュナンです。正教会のローブではなく灰色のブカブカのマントを羽織って……その、あまりよいお姿ではなかったので、つい無礼な言葉をかけてしまいましたが。……申し訳ございません」

「それは私から謝っておく。気に病むな」

(怪しい。しかしどうする?とりあえずは)


「それともう一つ、賢者エイミイはこれも伝えてくれと申しておりました。『精霊石は一切使うな』と」

 それはラシフが今まさに行おうとしていた事であった。賢者であれ僧正であれ、エーテルの力をまず封じておこうと思ったのだ。残り少なく、消費型であるためにあまり無駄に使うわけにはいかない精霊石だが、今使わずしてどうするのだと決めたところだった。その間少しだけ時間を稼ぐべく何か手立てを考えようとしていたまさにその出鼻をくじかれた格好だった。

「《真赭の頤》様の使いであれば、『現世の道』から現れるのは解せぬ」

「そうですね」

「そのもの達はメリドの事は何か申しておったか?」

「いえ、兵士長の事は何も。ただ、一緒にいたはずのルーチェ様があのご様子ということは」

「言うな」

「はっ」

 ラシフは苦悩の表情を浮かべて、唇を噛んだ。

「ともかく会うしかあるまい。私が出向く。とりあえずお前は先触れとしてその客人には私の方から出向く旨を伝え、そこで待機させよ」

 そう言った後、少し考えると立ち上がった副兵士長を呼び止めた。

「ヒノリ」

「は」

 副兵士長は立ち止まって自分の名を呼ぶ族長を振り返った。

「念のためじゃ。全員、コンサーラ堂で強化ルーンを一式かけてもらってから向かえ」

「はい」

「それから私が行くまで彼らには攻撃はもちろん、ルーンも一切使うな。くれぐれも刺激してはならん」

「承知しました」

 ヒノリは深く礼をすると、部下を従えて走り去った。

 

「ラシフ様」

 呼ぶ声に振り向くと、そこには高床式の建物の中にいた四人の女ダーク・アルヴが心配そうにラシフを見つめていた。中でもひときわ心配そうな顔をしているイブロドを認めると、

「案ずるな、イブロド。我らには三聖深紅の綺羅様のご加護がある」

 そう言って少し微笑んで見せた。


 エイル達一行は里の入り口にある木でしっかり作られた門の外側で出迎えを待っていた。

 門の左右からは里をぐるりと囲う木の城壁が伸びていたが、それはエイルの腰ほどの高さしかなく、防御のための役目というよりはむしろ境界線のような意味合いで作られているように見えた。門の上部に目をやると、そこには○に二つの矢羽根を交差した紋章が彫り込まれていた。


「クレストのようなものがありますね」

 その紋章を最初に見つけたアプリリアージェがそうつぶやいた。

「ジャミールという一族は、その昔は侯爵だったか子爵だったかの爵位があったらしいですよ。なんでも辺境を視察していた当時の国王が化け物に襲われている所を通りかかった腕のいい射手に助けられたという事です。国王はその褒美として爵位とクレストを与え、あまつさえ連れていた王女を妻として与えたなんていう民話もありますからね」

 アトラックはアプリリアージェの隣に立ち、同じようにその紋章を見上げながらその記憶力を披露した。

「その童話なら私も知ってます。『金布(きんぷ)の民』の話ですね。確かその若者は普通の人間を妻にする気はないと言って国王の申し出を頑なに拒むのですよね」

「そうです。で、娘がその言葉を聞いて悲しみのあまり病気になってしまって、若者が気の毒に思って仕方なく承諾したら病気はすぐに治って二人は末永く幸せに暮らしたとか暮らさなかったとかいう話です」


【暮らしたか暮らしてへんのか、どっちやねん?】

『まあまあ』


「あれはジャミール一族の事だったのですか?」

「そう言う説もある、という事ですよ。伝承の解釈なんて星の数ほどありますからね」

 アプリリアージェはにっこりと微笑むともう一度ジャミールのクレストを見上げながらつぶやいた。

「でもきっとそれはジャミールの事ですよ」

 アプリリアージェには、重なる矢羽根のクレストがその伝承を誇らしげに伝えているように思えたのだ。


『ちょっとやり過ぎじゃないのか』

【そうか?俺はごちゃごちゃしてへんでええ意匠やと思うけどな】

『そっちじゃなくて、こっちだ』

 エイルが指さしたのは、アトラックの腕の中で寝息を立てているダーク・アルヴの少女だった。

『あれじゃまるで人質を取ってます、って言っているようなもんじゃないか』

 エイルはそう言うと手を伸ばし、そのダークアルヴの少女、ルーチェの頭をそっと撫でてやった。

『おまけに睡眠ルーンまでかけちゃって』

【いや、もともと眠ってたやん】

『でも、かけた』

【「エア」が消滅したしな】

『そんなことを言っているんじゃない』

【はいはい。ここで交渉をしている間にルーチェに目を覚まされたら、『こっちの主張は全部通すぜ、なーんちゃってルーちゃん人質大作戦』がおじゃんやろ?】

『何が大作戦だよ。どうでもいいけど、さっきのあのセリフはマジで思いっきり敵愾心を買ったぞ。平和的話し合いをするんじゃなかったのかよ』

【勿論、平和的話し合いをするつもりや。少なくとも俺はルーチェを人質に取っているなんて一言も言うてへんで。「なーんちゃって」やからな】

『そうだけど』

【そうでもせんと、また「エア」の結界張られでもしたらやっかいやろ?あの便利な《群青の矛》、ファーンはもういてへんねんし】

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