第五十四話 ラシフ・ジャミール 1/6

 ラシフ・ジャミールについての記録はアアクにある記録よりも同じシルフィード大陸ファルンガの州都ユーゲンにある州立博物館所蔵のワルド文書と呼ばれるマキーナ・ワルド子爵の日記に記されているものがもっとも詳細であろう。

 生年は不詳。ジャミール一族の長として政治・経済・教育・宗教を全て掌握し、一族の尊敬を一身に集めていたとある。

 現在は消滅して跡形もないジャミールの里だが、サラマンダ大陸のノーム山脈東部にある活火山レイジノ山の麓に広がる谷間に集落を形成していたと言われている。

 ジャミール一族はシルフィードの宗教活動禁止令が施行されて後も長期にわたってシルフィード本土で暮らしていたようだが、月の大戦の千年ほど前に摘発を受けサラマンダに流れたようである。紳士録からはすでに抹消されているものの、かつては伯爵であったとも子爵であったとも伝えられており、その証拠にクレストもある。

 異教徒の里と呼ばれてはいるが、実はジャミール一族の宗教はマーリン教の分派と言っていい。ただし、いわゆる正教会の唯一神マーリン信奉、新教会のエレメンタル信奉とは違い、おおざっぱに説明すれば精霊信仰とも呼ぶべき宗派である。

 マーリンやエレメンタルを神格化、準神格化しつつ、それに加えて現世は精霊の力で均衡が保たれており、その均衡を守ることこそが人間の本分であるという独自の解釈を加えてある。自然現象全てに精霊が関わっており、自然と人間をつなぐものがマーリンから授かったルーンそのものであり、ルーナーこそが現世でもっとも人間らしい人間だと教えられている。したがって彼らのマーリン正教会の三聖や賢者に対する尊敬は推して知るべしであるが、反面新教会とのつながりはなく、ほぼ正教会派の傍流と言っていいだろう。

 その他にも独自の教義が多く、族長は世襲ではなく族長の死後、その時にもっとも高い能力を持つルーナーでなければならない。

 神職につく女は重婚が許されており、またその神職はルーナーとしての力が強いもので固められるがあくまでも兼業であり、通常の狩猟採集栽培などの仕事にも普通に従事する。

 重婚についてはより強い力を持つルーナーを産むためのものだと考えられるが、ワルド文書には「重婚は許されてはいるが実際に重婚をしている神職は現在はいないようだ」と記されている。


 また、長老と言われる職業が設定されており、引退した神職がそれに当たる。彼女たちは子供達の教育係で、今日の学校の教師のような存在だろう。ルーナーの素質がある子供はその能力を伸ばすべく別途特別な教育を施される。

 そういう背景があるためであろうか。今日すでに消滅してしまっているが、ジャミールは独自のルーン詠唱用文法であるグラムコールを持っている。

 そういう特殊な環境の一族であることからジャミール族は何人かの賢者を排出している。つまり古くから正教会との関係があることは間違いないが、その詳細は明らかになってはいない。

 サラマンダに移住してもマーリン教に組み込まれることなく世間から隔絶した隠れ里として存在し続けたのは、おそらくは「独自のグラムコールを持つルーナーの一族」という特殊な存在を隔離しておく必要があった為だと思われる。

 ルーナーが軍事力として高く評価されていたことを思い出して欲しい。正教会としては自陣営にあるその大事な軍事力を大っぴらにしたくなかったということなのだ。しかも正教会の記録にはほとんどジャミールの記述と思われるものが発見されないことから、この里の管理・保護についてはかなりの上層部がそれに当たっていたと考えるのが妥当であろう。すなわち、賢者である。




 簡素だがしっかりした構造を持つ木造高床式の建物の中にジャミール族の族長、ラシフはいた。長く伸ばした薄茶色の髪を、四色の紐を使い一つに編み込んで後ろにそのまま垂らしている。着ている服はゆったりとした袖のある動きやすそうなもので、黄色い糸で織られた布地に、矢羽根を重ねた文様が染め抜かれており、縁には髪を束ねているものと同じく赤・青・白・黒の四色の糸を使った刺繍が施されていた。

 彼女が座っている高床式のその建物はそう大きくはない。ただ、その形は独特で、真上から見ると正八角形になっていた事がワルド文書には記されている。彼女を中心に総勢五人の人間がその八角形の建物の中にいたが、それぞれがゆったりと座ると、内部はそれでほぼいっぱいと言った感じであった。

 出入り口が一つあるだけで外からの光を取り入れる窓などもなく、独特の甘い匂いがする植物の油を使った灯りが、その部屋を照らす照明であった。

 ラシフは簡素な祭壇のようなものを前に正座していた。祭壇には部屋を照らす灯りとは別に二本の蝋燭が点っていたが、そのうちの一本が今まさに消え行こうとしていた。

 その蝋燭の光を、ラシフとともにその場にいた数名のダーク・アルヴが無言で見つめていた。いや、光が消えるのを待っていたと表現するべきであろうか。


 ややあって、最後の大きな揺らぎの後、一筋の白い煙を残してその蝋燭は役目を終えた。その様子見つめていたラシフが口を切った。

「「エア」も消えたか」

 顔を上げた彼女の瞳は深緑でアルヴ系の血を現していたが、例によってダーク・アルヴの姿形は見た目で年齢が推測しにくい。

 一見すると少女にしか見えない。

 もとよりラシフ・ジャミールについての詳細な記録は残ってはおらず実際の年齢は不明である。


「メリドが……まだ戻りません」

 ラシフから一番遠い場所、出入り口に近いところに目を閉じて座っていたダーク・アルヴの女がそう声をかけた。どうやら彼女は特定の人間を探知する役目のようだった。

 よく見るとその場に居合わせた人間はラシフをはじめ皆、女だった。着衣の形ははラシフと同じだが色が黄色ではなく、矢羽根の文様も小さめだ。服の色は彼女たちダーク・アルヴの肌の色に近い黄褐色だった。刺繍もラシフより少なく、それはそのまま彼女たちとラシフとの地位の違いを表しているように見えた。

「メリドが?」

 ラシフは座ったままで今報告したダーク・アルヴの方を振り返った。

「はい。ただ……」

「どうした、はっきりと申せ」

 ラシフの少し強い口調に女ダーク・アルヴは頭を下げた。

「申し訳ありません。実はメリドとともに里を抜け出たものがおりまして」

「何だと?聞いておらんぞ」

「も、申し訳ありません。我が夫メリドと共に、ルーチェの気配が消えておりました。気づいた時はすでにラシフ様が結界の精霊石をお使いになっている最中でしたので」

「言い訳はいい。ルーチェも戻らんのか?」

「いえ、その、ルーチェの気配だけが今戻りました」

「何だと?父親と一緒ではないのか?」

「申し訳ありません」

「母親のお前を責めるつもりはない。あの跳ねっ返りも、もう成人しておる。母親ではなく族長の私から直接叱責をせねばなるまい。メリドは他に用ができて娘を先に帰したのだろう。ともかくイブロド、お前はまずルーチェをここに連れて参れ」

「承知いたしました」

 イブロドと呼ばれたメリドの妻が頭を下げてそう答え、その場を立ち上がろうとした時だった。締め切られた扉の向こうにドヤドヤと大勢の人間が押しかける様子がして、すぐにラシフに呼びかける大きな声がした。

「筆頭副兵士長ヒノリ。至急ラシフ様にお取り次ぎを」

「騒々しいな。何事だ?」

 ラシフはよく通る声でそれに応えた。

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