第五十三話 二人の賢者 2/7
ともあれすでに記したようにマーリン正教会の正式な記録には賢者エイル・エイミイの名前はなく、登場した時と同じく消滅も突然で、彼の正体についてはいまだに謎のままである。
だがしかし、エイル・エイミイが賢者の徴と言われるスフィアと「マーリンの眼」を持っていたことは間違いないようである。
ここまで見事に記録がないとエイル・エイミイはよほど教会側にとって存在すると都合の悪い人物であったのか、内部的なごたごたの中で偶然が重なって記載漏れが生じたのかは今となっては知るよしもないが、賢者の徴と第三の眼の存在はすなわち彼が賢者であったことを何より雄弁に語っているのである。
だがこの物語の読者は既に知っている。賢者エイル・エイミイが教会の記録に存在しない理由を。
そしてその理由を確認する一人の賢者が、その時エイルの目の前に居た。
ラウとファーンを含む地上に残った一行は、捕らえたダーク・アルヴの子供に話を聞くためにファーンの言う「機能停止させた」場所へ移動した。
その子はただ拘束されていただけではなく意識がない状態だった。
「眠っているのか?」
エイルの問いに彼の後ろにいた
「正確に言えば眠っているのではなく、生命活動の殆どが停止している状態です」
それを聞いたエイルが眉をつり上げて何かを言おうとしたのを見て、《二藍の旋律》、ラウが先にファーンに声をかけた。
「状態の説明はいい。このダークアルヴの娘にかけたルーンを言え、《群青の矛》」
「私が唱えたルーンは、『エリクダート・キシエル』です」
「冬眠させたのか」
そう言うとラウは呆れたように部下を見た。
「はい。正確に言えば生命維持活動が可能な最低限の状況まで体温を下げるべく心臓活動を制限し……」
「わかった。説明はいい。なぜ眠らせずに冬眠させたのだ?」
「睡眠導入ルーンよりもこちらの方が詠唱時間が短く済むからです、《二藍の旋律》。この選択によって短縮された時間を具体的に言いますと……」
「いや、よくわかった」
ラウはそう言ってファーンの言葉を遮るとエイルの方を見て黙礼をした。
そのラウの態度は『ファーンにいらぬ質問をするな』と警告しているように取れた。律儀な性格のファーンは尋ねられた質問に律儀に答えすぎるきらいがあるのだろう。
とはいえ、その会話でエイルはダーク・アルヴの子供の命には別状が無い事を知って内心ほっとした。
その時である。
彼の視界に小さな影が飛び込んできた。それはこぶし大程の茶褐色の物体で、道の脇の草むらから結構な速度でこちらに向かってきた。
エイルはとっさに精杖ノルンを構えたが、その物体が自分の方に向かっているのではなく、すり抜けて後方に飛び去るのを見送ると精杖を下ろした。
エイルの少し後ろには大柄なアトラックが小柄なアルヴィンのテンリーゼンに支えられて歩いていた。
エイルが肩を貸そうとしたのだが、エイルより腕力も体力もないはずの小さなテンリーゼンが先にアトラックの腕を取っていた。もう片方はファーンが受け持っていた。
その三人組に向かって突進した件の小さな茶褐色の丸い物体は、足下からテンリーゼンの体を駆け上がると、その頭に乗って停止した。
「マ・マナちゃん?」
眼下の物体を見てアトラックが驚いたような声を上げた。
そう。それはアキラの、いやエルネスティーネの飼いマーナートの「マナちゃん」のようだった。
マナちゃんは迷うことなく一目散にテンリーゼンの頭を目指し、その上に乗ると、とたんに寛いだように毛繕いを始めた。
テンリーゼンはと言えば、マナちゃんが駆け上がろうが頭の上に乗ろうが一切お構いなしと言った風情で指一本動かしてはいなかった。
いや、指は一本も動かしてはいなかったが、珍しく息を上げていた。さすがに大柄なアトラックの体を支えるのは辛いのだろう。フェアリーの能力が使えないこの空間では体力のないアルヴィンにとって、重労働にちがいない。
エイルはその様子を見て初めてテンリーゼン・クラルヴァインが人間だったのだと認識したような気がした。
「マーナート?あの子が世話をしているのですか?」
ラウは不思議そうにその様子を見ていたが、ありがたいことに「マナちゃん」の名前の由来について尋ねられることはなかった。エイルは心の中で安堵のため息をついていた。
どうやら「マナちゃん」はスカルモールドに遭遇した時にエルネスティーネの肩か頭から放り出されたか逃げ出したかして、一行とはぐれた様子だった。
そしてエイル達が近寄ってきたので飛び出してきたのだろう。
しかし、それがなぜ他の仲間には目もくれずよりによってテンリーゼン目がけて駆け上ったのかはエイルにはさっぱりわからなかったが、ともかく小さい仲間が無事だったのは嬉しかった。
「お前、ネスティ達を知らないか?」
一応、エイルはマナちゃんにそう尋ねてみたが、マーナートは大きな瞳でエイルを見つめると首をかしげただけだった。
ファーンが捕らえた子供のダーク・アルヴは、長い茶色の髪の持ち主だった。その髪には様々な色の付いた紐のようなものをくくりつけて綺麗にまとめてあった。
アルヴィンやダーク・アルヴは男女ともに髪は長く伸ばすのが基本である。それに顔立ちがもともと整っていることもあり、目を閉じて寝ているだけではその子供が男女どちらなのかはエイルには不明だった。頭から被って着るゆったりとした長い服は薄黄色の地に幾何学的な染め絵が描かれており、男物か女物かもわからない。そもそもその形の服はエイルが初めて見るものだった。また、例によってダーク・アルヴの年齢は外見ではよくわからないのだが、アプリリアージェを比較対象として引き合いに出すまでもなく、エイルの目では成人しているようにはとうてい見えなかった。それは実際には十七歳だという事だが、エイルの目には十代前半にしか見えないエルネスティーネが結構なお姉さんに思える程で、要するにそのダーク・アルヴはまだ子供のようだった。
「女です」
エイルが性別を訪ねると、ファーンはこともなげにそう言った。
「わかるのか?」
ファーンはうなずいた。
「アルヴの私にもダーク・アルヴやアルヴィンの子供は見た目で性別はわかりづらいのですが、私には匂いですぐにわかります」
「へえ。匂いで男女がわかるんだ」
「もちろんです。私にはそういう能力が備わっているのですから。こうやって目を閉じていても、ここに男女がそれぞれ何人いるのかもすぐにわかりますよ。そう、ここには……」
「それより、この子はこのままにしていて大丈夫なのですか?」
アプリリアージェは、いきなり得意げにその人間離れした嗅覚自慢を始めようとしたファーンを苦笑しながらやんわりと制した。
「大丈夫というのが生命の危険に関することであれば答えは『はい』です。付け加えるならばルーンをかけたのみでその他の危害は加えていませんので肉体の損傷はありません」
そもそもその場にいる人間の男女比など、エイルでも見たらわかる話なのだ。もちろん、ファーンのその特技自体は驚嘆に値するものだとは言えたが、やろうとした事に意味があるとは思えなかった。
もっともファーンのその特技、いや特殊な能力がルーンによるものなのか賢者として得た資質なのかは不明だったが、どちらにしろ目の前のアルヴの少女が見た目通りの子供っぽさをかいま見せた事に、エイルはある種の親近感のようなものを感じていた。
無表情に佇む情景ばかりが目に焼き付いていたのだが、賢者はみな老人のように達観した精神状態にあるというのは、エイルが勝手に思いこんでいただけのものかもしれなかった。
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