第五十三話 二人の賢者 1/7

 エルデ・ヴァイスの名前は正教会の記録に残っている。

 それに依れば星歴四〇二三年黒の二月「授名の儀」にて不適格と判断され消滅したとある。

 歴史上のいわゆる公式な文書にエルデ・ヴァイスの名前が出るのは、このたった一行のみである。だが、今日その名を知らぬものがいないのはご存じの通りである。

「授名の儀」とは、師である賢者が自らの弟子のうち「この者であれば賢者として相応しい」と判断し、推薦した賢者見習いが挑む最後の難関である。

 今となっては儀式の詳細は全く不明だが、その儀式において弟子は賢者の徴を得、初めて第三の眼を開くと言われている。つまり「第三の眼」とスフィア「賢者の徴」を得る為の選考が「授名の儀」だと考えられる。それは「第三の眼」である、あのマーリンの眼を委ねるのに適格かどうかを問われる儀式なのであろう。

 伝え聞くところによると、通常その儀式の立ち会いは五人で、うち一人は必ず大賢者でなければならないとされている。もっとも授名の儀に携わる賢者はごく上席の、それも一部の者に限られていたようではある。

 

 正教会の記録を信じるのであれば、星歴四〇二六年にジャミールの里近くでラウと出会った人物はエルデではない。没後二年も経過している事になるからだ。

 しかし、その後様々な場所でエルデは存在の痕跡を残し、人々の記憶に留められ、ミリア・ペトルウシュカの絵画にも描かれていることから、星歴四〇二三年以降も実在した人物として歴史さえそれを認めている。

 であれば、考えられる事は二つ。

 正教会が何らかの意図をもって事実に反する記録を残したのか、あるいはただの間違いか、である。

 現存する授名の儀に関する記録は特に改ざんされたような点も見受けられず、また本当にただの箇条書きのような記録であることから、そこに妙な意図を反映させるようなものでもないと捉えるのが素直な見方であろう。

 つまりこの場合、「誤記」が正解であろうとするのが多くの歴史学者の見解である。おそらくはそれが真実であろう。

 しかしながら、ただの誤記ではない。それには正教会陣営ではない人物の意図が込められていると考えた方がよい誤記である可能性が高い。

 その意図を込めた人物とは誰あろう、エルデの師匠であるシグ・ザルカバードこと《真赭の頤》である。彼はエルデ・ヴァイスをそこで死んだ事にしたかったのである。そして彼には「授名の儀」に立ち会った自分を除く四人の賢者を殺してまでそう仕向けなければならない理由があったのだ。

 もちろん、その話を今ここで明らかにするつもりはない。だが、ラウ・ラ=レイがエルデ・ヴァイスは死んだものだと思っていた事は確かであった。

 とはいえ、エルデ・ヴァイスの存在については歴史的な空白期間があることは事実である。だが、まるでその空白を埋めるように、もう一人の謎の賢者が忽然と歴史に現れる。

 賢者の名を持たない賢者。エイル・エイミイである。


「魔人」と呼ばれるエイル・エイミイ。

 実在しない伝説上の勇者ならともかく、正史上の「存在した」と言われる重要人物が事もあろうか「魔人」と形容されるのはファランドールの歴史において後にも先にもエイル・エイミイ只一人である。

 彼の出生については全くの謎となっている。だがエイル自体は確かに実在の人物であったことは間違いないようだ。エイル・エイミイが歴史上に忽然と現れるのが確認できる限りでは星歴四〇二四年であり、これはエルデ・ヴァイスが「授名の儀」で死亡した翌年にあたる。

 記録当時のエイルの年齢は十七歳とも十八歳とも、また十六歳とも言われている。種族はデュナンの少数民族に似ているとも、絶滅したはずのピクシィの末裔であったなどと言う記述も多々あるが、謎が多く定かではない。

 髪や瞳の色にしても黒であったという既述が多いが、茶色であったとする説も有力であり、不確かな事この上ない。共通しているのはごく若い青年もしくは少年であったという事だけである。


 通説によるとエイルは正教会の施設に預けられた孤児であり、その後の幼少時を《真赭の頤》の下で過ごしたとされる。本人がその生い立ちを語ったという記述がアトラック・スリーズの書簡集をはじめ各国にいくつか残存するようだが、肝心の正教会の記録には一切それを裏付けるものはない。


 本人は終始一貫して「《真赭の頤》の弟子」と名乗っていたそうだが、多くの賢者と同様に複数の弟子を持っていたことが記録に残っている《真赭の頤》の管理簿はもとより、書簡や日記などにもエイル・エイミイやエイルに相当するような人物の存在を伺わせるものは一行もない。

 また、全く別の説もある。そもそもエイル・エイミイは賢者などではなく、未知の異能者だと言う説である。

 吟遊詩人が伝える英雄譚において、彼は「異世界「ファランドール・フォウ」から迷い込んだ魔人」あるいは「フォウからの救世主」として扱われているが、彼が持つ特殊な能力と謎に満ちた出自を見ると、そう考える人間が居ても不思議ではないだろう。

 エイルという名前は古い時代から主にウンディーネの女性に見られる名前である。だが、記述によるとエイル・エイミイがピクシィだったかどうかの真偽はともかく、若いデュナン系の『男性』であったことは間違いがないようである。それなのになぜ女性名が付けられているのかは全く不明だが、口伝によると本人は自分の女のような名前を少しも気に入っておらず、何かにつけ気にしていたようである。

 エイルが賢者であったかどうかは議論の余地があるが、相当な実力を持つルーナーにして凄腕の両手剣の使い手でもあった事に異論を唱える者はいない。

 彼を描いた肖像画には三角柱型のスフィアを頭頂部にあしらった黒い精杖や、細身でやや刀身が弧を描くようにして曲がった、白く輝く独特の形をした両手剣を持っている姿などが描かれている。ファランドールにはそれまでこの形の剣は伝えられておらず、つまりはエイルが使っていた剣は当時でも特殊なものであることは間違いがない。その剣を当代に復活させようとして、腕に覚えのある刀工が何度も制作に挑戦したものの、細身で薄い刀身は同じ材質で作られた普通の片手剣や両手剣と刃を交えるだけでたちまち破損する程に脆弱で、およそ実戦には向かず兵士達に使用されることはなかった。その後は主に個性的な姿とその刀身の持つ優美さから装飾品として作られていた時期がある程度で、現在に至っては殆ど目にすることもないようだ。


「杖をルーンで剣に変え、縦横無尽に戦場を駆けめぐりながらあらゆるルーンを自在に唱える事ができた」という既述や口伝は数え切れない程あるが、これがエイル最大の謎となる。

 ルーナーは精霊履行の際、その場に自らを触媒とする陣を形成する。ルーナーはこれを指して「座標」あるいは「座標軸」を固定するという言い回しをするが、つまりルーナーは自分自身をルーンの触媒としてエーテルに作用させる為に、体をある一つの地点に固定する必要がある。ルーンの履行中は一切移動ができないということはファランドールの摂理なのである。

 移動制限は履行の詠唱から履行が発動するまで続き、高位の精霊履行の際は何分もの間その場を動くことができなくなる。だが、エイル・エイミイはルーンを使いながら自由に移動することが可能であったというのである。彼以前も、当然彼以降もそのようなルーナーは全く存在しないことから、伝説になる過程で誇張されたものだという研究家も多いが、それができたからこそ「魔人」と呼ばれる事になったのではないだろうか。つまり、それは素直に事実だと考えた方がすっきりする。

 エイルはその剣の腕前についても相当のものであったようで、吟遊詩人が彼を主人公として歌ういくつかの英雄箪によると「オーギ」という技を複数使いわけ、一対一の対決では相手を寄せ付けなかったとある。

 剣の腕前と言うことになると、彼と旅を供にしたと言われている双剣の剣士テンリーゼン・クラルヴァインの名前を引き合いに出さないわけにはいかない。

 両者を比較して一体どちらが強かったのか?などと言うと酒場の定番の与太話になってしまうが、両者の剣の質が全く異なる為に単純な比較は非常に困難であろう。

 たっぷりと風のエーテルを纏い、その圧倒的な速度を武器とするテンリーゼンに対し、誰も見切れなかったと言われるほどの技を持つエイルという図式になるからだ。

 また話をややこしくしているのが、両者とも純粋な剣の腕前だけで話が済まない事である。フェアリーの能力を戦いに活かせるテンリーゼンと同様に多彩な精霊履行を攻撃強化として組み込む事ができる高位ルーナー、エイルなのである。

 世が世なら両者の勝負を試合形式で是非とも観戦したいものだが、残念な事に我々はもうそれを想像で楽しむしかないのである。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る