第五十二話 リリスの懐剣 2/2

「俺は小さい頃からメッダにある祖父の店に遊びに行っていた。しばらくするとそれはもうほとんど店番のようなものになっていた」

 意を決して、ファルケンハインは語り出した。

「俺の店番が板に付いてくると、彫金師の祖父は昼間はほとんど工房に引き籠もって仕事をするようになった。俺の仕事は店番として掃除などをしつつ、客が来たら用件を聞いて必要であればそれを祖父に知らせる役目だった。そしてそうこうしているうちに、俺は自然に祖父の彫金の仕事に興味を持ち、店を閉めた後はすぐに家に帰らず祖父の工房でその仕事を眺めるのが日課になった。祖父の仕事を見ているのは楽しかった。何の変哲もない板や針金が子供心にも美しいと思える形に整えられていくのはまるで夢の世界の出来事のようだった。

 やがて俺の興味が長続きしていると思ったのだろう、祖父が仕事を少しずつ俺に教えてくれるようになった」


 エルネスティーネはファルケンハインの話を聞きながら、ふと側にじっとしているメリドの方をみやった。彼女の視線を感じたとたんダーク・アルヴの兵士は慌てて視線を床に移したが、それまではじっとファルケンハインの方を見ていたようだった。その様子を見てニッコリと微笑むと、エルネスティーネは視線をファルケンハインに戻した。

「俺はそれが嬉しくて、簡単な道具を持ち出して店番がてら彫金のまねごとをするようになっていった。

 そんなある日、ふと気づくと女の子が店の飾り棚を熱心に見ている姿が目に入った。気をつけていると、その女の子はそれからもちょくちょく来ては、外からガラス張りの飾り棚を熱心にのぞいていくようになった。

 いったいその子は、いつも熱心に何を見ているんだろうと好奇心にかられた俺は、ある日、彼女が去った後に彼女が見ていた飾り棚を見て、それがリリス製の繊細な耳飾りだと気づいた。そんな日がしばらく続き、気がつくと俺はその子が店先をのぞきに来るのを心待ちにしている自分に気付いた。そして祖父に教わる彫金も、耳飾りばかりを作るようになっていた」

「その子って」

 エルネスティーネが目を輝かせてファルケンハインを見つめた。ファルケンハインはしかしそれには何も答えず、話を続けた。

「その女の子には大きな特徴があった。俺は一目見ただけですぐに顔を覚えてしまった。少し吊り目で気の強そうな顔をしていたが、飾り棚を見る時の表情はいつも上気していてまぶしかった。時折町で見かけるようにもなったその子は普段は気位が高そうなツンとした顔をしているくせに、実はあんなにも優しい笑顔で笑える女の子なのだな、と思ったものだ。そして俺は子供心にその女の子にどんどん惹かれている自分を感じていた。

 そう、その子の髪はアルヴにしては珍しい白髪で、俺はその子の白髪をなんて美しいんだろうと思っていたんだ」


「ティアナ!」

 ファルケンハインの話をそこまで聞いたエルネスティーネが、もう我慢できないと言った感じで、惚けた顔をしているティアナに飛びついた。

「ステキなお話ね。ううん、素晴らしいお話だわ。ずっと以前に二人は出会っていたのね。いいえ、違うわ。二人はランダールで出会う運命があったから、子供の頃にはちゃんと出会えなかったのかもしれないわね」

「い、いえ、それは……」

 ティアナはどうしていいかわからないと言った感じでエルネスティーネの態度をもてあましていた。その頬はセレナタイトのぼんやりした光でもすぐに解るほど赤く染まり、よく見ると目頭に涙が滲んでいた。

「違います」

 ティアナは小さな声でそう言った。

「え?」

 エルネスティーネはティアナが何を言ったのかが解らず、聞き直した。

「違うのです。私は、あの店で耳飾りを見ていたわけではないのです」

「え?」

 エルネスティーネはキョトンとした顔をしてティアナを見た。

 ティアナはそんなエルネスティーネの顔をまともに見られないといった風にうつむいた。エルネスティーネは、ティアナが耳まで赤くしているのを見るとなぜか優しい気持ちがこみ上げて、それを押さえられなくなりそうな自分を感じていた。

「ネスティ嬢、それは多分」

 アキラはそう言うと、目でファルケンハインを示してみせた。

「え?」

「え?」

 アキラのその仕草に、エルネスティーネだけでなく、ファルケンハインも異口同音にそう言った。

「え?そうなの、ティアナ?」

 エルネスティーネは少し間を置くと、アキラの意図することが腑に落ちた。そしてうつむいたティアナに確認するようにその顔をのぞき込みながら尋ねた。

 ティアナはエルネスティーネの視線から逃げるように顔を背けたが、少し間を置いてうなずいた。

「ええ。私は、ずっと店の中で熱心に彫金をしている若いアルヴを見つめていたのです」

「ティアナ……」

 ファルケンハインは思わずそう声をかけたが、その後に何を言っていいのかがわからなかった。

「はじめに見た時は、目つきが鋭くて気むずかしそうで近寄りがたい感じだったので、なんであんな愛想の悪そうな人が店番をしているんだろうといぶかしんだものでした。次に覗いた時、真剣に彫金の練習をしている真面目な姿と、作業が思う通りに出来た時に見せる嬉しそうな笑顔を見て、その……ときめいてしまったのです。それからは、遠回りをして時々通うようになりました。臆病な私は目が合いそうになると飾り棚を見ているふりをしてごまかしていたのです。あまり長い間そうしていると変に思われると感じて長時間居座るのは止めようと思っていたのですが、次第に毎日足を運ばずにはいられなくなり、やがてあの店に行くことが一番の楽しみになっていきました。思えばあれが私の……」

「俺は」

 ティアナが言いかけた言葉を遮るようにファルケンハインが声をかけた。

「ランダールで出会った時に、すぐにわかった。だが一応確認の為にエルネスティーネに君の出身地を聞いたんだ。間違いないと解った時は、状況的に不謹慎だとは知りつつも心が躍った。二度と会えないだろうと思っていたから、その嬉しさはひとしおだった」


「嗚呼!」

 ティアナは小さくそう叫ぶと、今度は自分から小さなエルネスティーネを抱きしめた。

「ち、ちょっとティアナ?」

「こんなに嬉しいことはありません、ネスティ。みんなあなたのおかげです」

「ちょっと、ティアナったら。痛いです。だいたいなぜ私が関係しているのです?って、痛い痛い。このままだと私、つぶれてしまいますっ」

 それでもティアナはエルネスティーネの体に回した腕の力を弱めようとはしなかった。エルネスティーネは最初はもがいていたが、自分の首筋に暖かい物が流れているのを感じると、目を閉じて自分からもティアナを抱きしめた。

「ねえ、ティアナ。あなたが嬉しいと私もこんなに嬉しくなってしまうのはどうしてでしょう?」

「私には、わかりません」

 そう言うとエルネスティーネを抱きしめる両腕に一層力を入れた。

「でもきっとネスティが嬉しいと私が嬉しい気持ちになるのと、多分同じなのだと思います」

「ティアナ……」


 その二人の様子を複雑な表情でじっと見ていたファルケンハインに、アキラはそっと声をかけた。

「ネスティ嬢の判定がどうあろうと、この話は私が頂きました」

「いや、本人にとっては感動的で劇的な話だが、客観的に見ればよくあるただの偶然で地味なものだろう?頼むから人に喋るのは止めて欲しいのだが」

 アキラはしかし、ファルケンハインの哀願をにべもなく断った。

「大丈夫です。こんないい話、吟遊詩人達が放っておくわけはありません。心配せずとも彼らが話を百倍にも膨らませて派手な感動の物語に仕上げてくれるでしょう」

「わかった。喋ってしまったものは仕方がない。潔くあきらめよう。その代わりにと言っては何だが、この話はアトルとリリアお嬢様には絶対にしないでくれ」

「それは私からもお願いする」

 ティアナが鼻を啜りながら、アキラの方を見てそう言った。

「特にアトルには」

 ティアナを除く三人は、その声を聞いて思わず声に出して笑っていた。それは地下空洞に落ちてから、初めて響く笑い声だった。

 そんな一行のやりとりを聞いていたメリドは、笑いあうアキラ達一行の様子を不思議な物を見るような気持ちで眺めていた。

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