第五十二話 リリスの懐剣 1/2
「さて、では一応装備を点検しておこう。メリド殿の矢が二三本あるが、あとの矢はもう尽きた。剣も私のものはどうやら使い物にはならないようだ」
アキラの呼びかけで各自が自分の武器を点検した。ファルケンハインの剣はその先が折れ、刃もボロボロの状態だった。ティアナの剣も状態はファルケンハインと似たようなもので、かろうじて半分程度が残っている程度だった。
「ふむ。ファル殿にはメリド殿が持っていた短剣を使って貰うとして、さしあたりティアナ殿の獲物がないな」
「私なら、心配は無用です」
ティアナはそう言って懐の奥にしまった包みを取り出した。そして袋を大事そうに広げると、そこには一振りの懐剣があった。
アキラはその懐剣の柄を一目見た瞬間に、「ほお」と声を上げた。その懐剣が、制作者の並々ならぬ技量をもって丁寧に作られたものだと察したからだ。
まず存在感がまるで違う。鞘の造りも秀逸だった。形には何の変哲もないが、木の削り物を貼り合わせたような安手な物ではなく、軽く丈夫なドライアドの三月竹を薄く削った皮を編んで何層もの漆で塗り固めた美しく気品のある造りがなされた逸品であった。だが、それら以上に目を惹くのはその鞘と柄に銀打ちされたクレストだった。
「ティアナ殿は爵位をお持ちであったか」
アキラはめざとくそれを見てそう言ったものの、彼の記憶にはない図柄なのが気になった。そのクレストの意匠は一度見たら忘れる事はないものだったからだ。
「いえ、これはある高貴な方から個人的に頂いた私個人のクレストです。ミュンヒハウゼン家にはクレストはありません。ただの商家です」
「そうでしたか。私の白鳥紋と同じようなものですかな」
自分が知らないクレストであることの合点はいったが、誰が与えたものなのかが気になった。
「その図柄は……もしや星座ですな」
ティアナはうなずいた。
「桜花星です。我が誇りとともにあるこの剣を使う時が来たと言うことでしょう」
ファルケンハインは勿論その話を初めて知った。そして、そのクレストの意匠を聞いた時に誰から授かったものかをすぐ理解した。だが、ティアナがまずい事を口にしたとはもはや思わなかった。
近衛軍の人間であることの誇りを、国王から下賜されたクレストを偽らず誇ることを、この場面で止める事はアルヴ族であるならばできるわけはない。アキラに何事かを知られる可能性があるにせよ、それはおそらくアプリリアージェであっても看過するであろうと思われた。
ティアナが鞘から抜きはなった懐剣のリリス製の刃が、セレナタイトの光で涼しく光った。
「リリスの剣とはまた豪勢な」
刃を見たアキラがそう嘆息したが、ファルケンハインは材質ではなくその曲線に宿る既視感に胸がざわついた。
「ティアナ、すまないがその剣を少し見せて貰えないだろうか?」
ティアナはファルケンハインの方を向くと、うなずいてアプサラス三世から授かった懐剣を差し出した。見た目よりもずいぶんと軽い懐剣は大きなアルヴの手に丁度合うように設えられていた。
ファルケンハインはその懐剣の柄の尻を見た。そこには、わかるものだけがわかる記号のような物が記されていた。
「父さん……」
「え?」
ファルケンハインの声に、ティアナは驚いた声を上げた。エルネスティーネとアキラは思わず二人で顔を見合わせた。
「もしやその懐剣の刀工はファル殿の父上、ということか?」
「剣を見ただけでわかるのですか?」
ティアナはファルケンハインの祖父がリリスの飾り物を作れる程の腕前を持つ彫金職人だとはきいていた。現に今も耳に付けているランダールの大市で売られていた耳飾りがその祖父の手に依るものだという。しかし、父親が刀工だという話は聞いていなかった。もとよりそんなことを尋ねたこともなく、また敢えて相手が話すようなことでもないだけに知らずとも無理もないことではあった。
「実は元々祖父も腕のいいリリスの刀工だった。だが、あるときから武器を作ることを一切止めたと聞いている」
ぽつぽつと話し出したファルケンハインの説明によると、祖父と父親が大げんかをしたのち、父親が家を捨てて出て行ったのだという。親子げんかの原因は父親が装飾加工ではなく武器職人になると言うのを、父の師でもある祖父が頑として許さなかった為だという。
もともと祖父が武器を作らなくなったきっかけは、父親が祖父に弟子入りをした事にあったようで、父親はそれが気に入らず、ことある毎に武器の作り方を教えてくれるように祖父に頼んでいたが祖父は頑なに拒み続けていた。
だが若く血気盛んであった父親は、祖父の目を盗んではいくつか店の倉庫に残っていた祖父の剣を手本に独学でリリスの剣を作るようになった。それがある日祖父の目にとまり、大げんかの末に家を飛び出した。妻と、息子であるファルケンハインを残して。
その後、ファルケンハインは一度もその父親とは会っていないのだという。
「その剣の刃の曲線は父さん……父が祖父をまねているうちに自分のものにしたと言っていた独特なものだ。子供心にオレはそれを美しいと思って眺めていたから忘れようもない。そして、父はいつも柄の尻にこの記号を彫っていた。ファルケンハイン……俺の頭文字だ」
そこまで話すと、手にした懐剣をティアナに返した。
「だが妙だな。風の噂では父は確かシルフィードを飛び出し、ウンディーネに渡ったと聞いたのだが。わざわざそんな遠くの刀工に依頼せずともエッダにも腕のいい武器職人は山ほどいるだろうに」
「よほど名の知れた刀工になっておられたのではないのかな?リリスを扱える武器職人は山ほどはいないでしょう」
アキラはそう言ったが、ファルケンハインは漠然とした疑問が澱のように意識の底に沈殿していくのを感じていた。
一方、ファルケンハインの話を熱心に聞いていたティアナは、運命とはなんと不思議なものなのだろうと思っていた。
一世一代の使命を帯びて出た旅で出会った人物が、はたして同郷、さらには同じ誕生日だという。ファルケンハインとの縁はそれだけに止まらず、国王がクレストとともに下賜されたこの懐剣を作った人物が、あろうことかそのファルケンハインの父親だというではないか。そしてその懐剣の柄には、人知れず剣の銘が刻まれており、それはファルケンハインの名であったという事実。
ティアナは思わず手にした懐剣をぎゅっと握りしめた。
「陳腐な言葉しか思い浮かびませんが、今ほど運命という物を感じたことはありません」
「そうだな」
感極まったようなティアナの言葉にファルケンハインは素直にうなずいた。そして少し逡巡した後で、低い声で、こう続けた。
「でも俺は実はランダールでティアナに出会った時にそれを感じていた」
「ランダールで?」
ティアナはファルケンハインと初めて出会った時の事を思い出して、バツが悪そうに顔を赤くしてうつむいた。その様子をエルネスティーネは見逃さなかった。
「それは、運命の出会いという意味ですね?」
ファルケンハインは思わず苦笑すると頭をかいた。
「俺としたことがつまらないことを喋りすぎたようだ」
「いや、ファル殿。差し支えなければその話、是非私も伺いたい。なに、今のところ我々に出来るのは待つことだけ。時間はある。是非お話を伺いたいものです」
「いや、そうは言うが」
「いえいえ。聞かせて下さいな。それにその話をおそらく一番知りたがっているのは当のティアナ本人だと思いますよ」
ティアナの様子を見て、エルネスティーネもそう言って話をせがんだ。
アキラもさらに追い打ちをかける。
「ええ。ネスティ嬢のおっしゃるとおり。良い話となれば知り合いの吟遊詩人に話して聞かせましょう。男と女の物語は、彼らにとっていくつあっても困らぬ物ですから。きっと私は彼らに感謝されるに違いありません」
「頼むから歌になどしないで欲しい」
「では、歌にしても良いかどうかはファル殿からうかがった後、ここにいるネスティ嬢に判定して貰うと言うことではいかがでしょうか?」
自分でまいた種とはいえ、とんでも無い事になったとファルケンハインは後悔した。だが、
「き、聞かせて下さい。是非」
顔を赤らめながらティアナにそう懇願されてはファルケンハインも覚悟を決めるしかなかった。
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