第五十三話 二人の賢者 3/7
考えてみれば、エイルの身近、いや内部にいる賢者は子供っぽさではファーンなど足下にも及ばないかもしれないのだ。
ファーンの解説によるとその「冬眠ルーン」は瞬時に仮死状態に持って行く力はなく、意識を失わせた後に時間をかけて完全な冬眠状態にするものだという。つまり、やっかいなことにまだゆっくりと深い仮死状態に向かっている坂の途中であり、下がりきってから蘇生させないと身体能力に著しい異常が生じる可能性が高いのだと言う。しかも「上り」、つまり蘇生には「下り」の二倍程度の時間が必要であるらしかった。
「言い訳ではありませんが、私の採った方法は今回の場合、合理的であったと自負しています。ここは「エア」の内部ですから、使えるルーンがどうしても限られるのです。拘束系ルーンは詠唱時間が短くていいのですがルーナーとの距離が離れると効力を失いますし、睡眠系は詠唱時間がやや長く、そもそも外界からの刺激で簡単に目が覚めます。放置する予定でしたからそれは不適当だと考えました」
ファーンの説明は続く。無表情な外見から勝手に無口だと思い込んでいたが、意外に饒舌な少女のようだった。
「あの時私が《二藍の旋律》から受けた命令は二つです。『彼らを助けろ』そして『急げ』。両方を並行してこなすには手持ちではあのルーンこそ完璧な選択だったのです」
「な、なるほど」
無表情な顔で妙に熱の入った一見合理的に思える説明をされると、もはやエイルにはファーンに対する非難の気持ちなどすっかり萎えていた。もしくはファーンにはそのダーク・アルヴの子供……少女に対する殺意など無かった事が嬉しかったのかもしれない。あるいは目的遂行の為には障害物となる人間など物と同等にしか扱わないラウ、いや賢者の価値観に怯えていたとも言えた。
ファーンの説明を聞き流しながら、アプリリアージェは何らかの方法で四人は拘束されて連れて行かれたものと結論づけていた。要するに捕虜である。言い換えるならば、はぐれた仲間達は当面の間は生命の危機から脱してるという判断であった。
スカルモールド相手ではどうしようもないが、相手が人間であればまだ言葉は通じるのだから多少なりとも状況は好転していると考えられる。
「下手に動いても意味はありません。私たちには情報が必要ですし、この子の目が覚めるまでここで待ちましょう。どちらにしろ私とアトルは今は動けませんしね」
エイルはエルネスティーネ達をすぐにでも追いかけようと考えていたのだが、アプリリアージェにそう言われると従うしかなかった。
ラウはと言えばその間何も言わずに辛抱強くエイルとアプリリアージェのやりとりを聞いていた。そしてこの場にしばらくとどまる決定がなされたのを機に、エイルに改めて問いかけた。
「先ほどの話の続きをしたいのだが、いいだろうか?」
ラウはまずはアプリリアージェに対してそう訪ね、例のとろけるような笑顔の快諾を得ると、エイルに向き直った。
「あの時、あなたは私が誰だかを言い当てました」
「ああ、うん」
エイルはうなずいた。
あの時とはもちろん、カレナドリィ・ノイエがエイルの前に裸足で現れた時の事だった。確かに「あの時」、エルデは少ししてラウの名を言い当てて見せた。
「賢者であれば私の名を知っていてもおかしくありません。しかしあの時、あなたは先に私の現名の方を言い当て、その後で私の術を解析してみせるような口ぶりの後、思いついたように賢者の名前を特定しました」
「そうだったな」
エイルはラウが何を聞きたがっているのかはもうわかっていた。
「さらに言えば師匠の事もよくご存じでした。この場合、今の師である《蒼穹の台》ではなく、前の師である《真赭の頤》の事ですが……。いみじくもあなたの言った『エロハゲジジイ』とはまさに言い得て妙……いや、それはどうでもいいのですが」
「――」
そう言えばそう言うことも言っていた、とエイルは思い出していた。
(《真赭の頤》、いやシグ・ザルカバードはどうやら本当にエロハゲジジイみたいですね)
アトラックは横でファーンが治癒ルーンを唱えるのを聞きながらも、二人のやりとりに反応してアプリリアージェに小声でそう言った。
(ええ。ドキドキしますね)
(え?)
いつもならこう言う場合の相手役はファルケンハインだったが、その場合、ほとんどは無視される事になっていた。だが今回、ファルケンハインの役回りを受け継いだアプリリアージェはしかし、アトラックが思いもしない反応を返し、彼を絶句させる事に成功した。
「私はランダールの酒場であなたのマーリンの眼を見た時は違和感が先に立ち本物の賢者だとは思えませんでした。ですが、あなたに直に会った
「それはさっき聞いた。というか、本物だってずっと言っているだろ?」
エイルは不機嫌そうな態度を崩さずにそう言った。だが、実際のところ、ラウに対する怒りや憎しみといった感情が変化してきている事を感じていた。危ないところを助けられたからだけではない。ともに行動している賢者仲間であるファーンとのやりとりの中にエイルが心の中で勝手に構成していたラウ・ラ=レイとは全く違う人格を見たような気がしたからだった。
「はい。そして我が師である《蒼穹の台》は私に向かってこうも言いました。『君は彼にもう一度会うべきだ』と」
「あいつがオレに会えって?」
エイルが《蒼穹の台》を「あいつ」と言った時に《二藍の旋律》の眉が少しつり上がったが、それについては何も言葉には出さなかった。
「それらの事を考え合わせると、私には特定できる人物が一人だけいます」
「――」
「まさか、とは思いました。でも、どう考えてもその人しか思いつかない」
「だから?」
「共に《真赭の頤》の下で長く暮らし、最後まで生き残った弟子」
エイルはゴクリとつばを飲んだ。
「だが、見た目が全く違う。いえ、違うどころか全くの別人です。さらに言えばその人は既に死んでいるはずなのです。少なくとも私は絶対に嘘がつけない人物から死んだと告げられたのです」
「死んでいるだって?」
エイルは訝しげにラウを見た。
おそらくラウはすでにエルデに辿り着いていると思われた。
その姿形が違うのは当然だが、既に死んでいるというのはどういう事なのか。
エルデがエイルに対しても自分のことを多く語らないのは、色々と複雑な事情があるに違いない、とまではもちろん想像できていた。だが「死んだ事になっている」とは一言も聞いていない。
そもそもそんなバカな話はないはずだった。
(それともオレは、成仏できないエルデの浮遊霊にでも憑依されたって言うのか?)
「答えて欲しい。あなたはエイル・エイミイなどではなく、本当はエルデ・ヴァイスなのでしょう?」
エイルは『来た』、と思った。
ある意味その通りだが、今はそうではない。ラウの目の前にいるのはエイル・エイミイに他ならない。
(いや)
エイルはそこまで考えると思わず首を左右に振った。
(そもそもエイル・エイミイって誰なんだ?)
エイルは自分の本当の名前を知らないのだ。だから胸を張って自分がエイル・エイミイなどと名乗るのはおかしい気になってきた。
だが、今はそんなことを悩んでいる場合ではなかった。悩むべきはそれを今、エルデに断り無く答えてよいのかどうか、であった。
「これは《二藍の旋律》として尋ねているのではありません。ましてや師である《蒼穹の台》に名前を確認してこいと命令されたわけでもありません。ラウ・ラ=レイ個人としてどうしても知りたい事なのです。あなたがあのエルデ・ヴァイスなのだとしたら、その能力からして私の上席にある賢者である事はもはや疑う余地はない。そしてあの時、私の命を奪うことなく、ただ眠らせただけだった訳もよくわかります」
「ラウ・ラ=レイとして聞きたいんだな?」
ラウはうなずいた。
「そうです。今、私がここにこうしていられるのはエルデのおかげです。エルデは同じ《真赭の頤》の弟子であり、私の命の恩人でもあるのですから」
「え?」
それは初耳だった。
「まさかお忘れではないでしょう?ユート・ジャミールの事件です」
「ユート・ジャミール?」
エイルは、ジャミールという名前がアトラックの口から出た時にエルデが驚いていた事を思い出した。
あの時エルデははぐらかしていたが、エルデと、そして目の前にいるラウ・ラ=レイはどうやら一つの「合い言葉」で繋がっているらしかった。
「ジャミール」という名の合い言葉で。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます