第五十一話 精霊石 4/5

 予想を大きく上回る敵地へ単身乗り込んだアキラは、エルネスティーネ一行に合流して、すぐに考え方を根底から変えることにした。素性がわかった時点で死は確定的だ。であれば、死を恐れずに彼らと付き合おう、と考えたのだ。

 つまり、あえて隙を見せる。隙を隠さない。無防備な背中を常に晒し、反面自分の能力の高さも隠さない。

 それが殺気を伴わない限り、何かを仕掛けられても、それを防がない。

 つまり、相手に「いつでも殺せる相手」だと思わせる態度をとる事を戦略として選んだのである。

 それらはすべて極めて勇気のいる行為ではあったが、それがアキラが最初におかした失策を埋め合わせることができる唯一の起死回生策だと思えた。


 ――最初の失策。

 それは初めて出会った時にアプリリアージェが踏み絵のように差し出した手鏡に彫り込まれていたトネリコの大樹と双美人のクレストを無視してしまったことである。

 世界を回っていると豪語する音楽家が、あの特徴的なユグセル家のクレストを知らないはずはない。意匠が特徴的なだけではなく流通量は少ないとはいえ、ファルンガ金貨という貨幣にも刻まれているクレストである。ドライアドだろうがウンディーネだろうが、目にすることはあるはずなのだ。もちろん、ユグセル公爵家以外のものが同じ、もしくは似たクレストを使用することは国際法でも禁じられている行為である。そのクレストが入った手鏡を持つダーク・アルヴがユグセル家以外の人間のはずがない。

 だが、その後いつまで経ってもアプリリアージェから直接その話題が向けられる事はなかった。一切触れない意味はまだはかりかねていたが、どちらにしろアキラにとっては毎日がある意味針のむしろのようなものだ。

 勿論、既に無難な言い訳はその時の状況に応じたいくつかを用意していた。どれもわざとらしくなく、自然な答えだ。間違いなくあのアプリリアージェにも受け入れられるだろうと思われた。ただ、その答えのあとでアプリリアージェがどういう行動を取るかまでは予測外であった。アプリリアージェの腕が生半可なものではないことは解っていたが、今のところその実力の片鱗すら目にする機会がなかったのも不確定要素として不安に加味されている。

 つまり、相手の行動が読めない限り、アキラは後手に回らざるを得ないわけであった。


 ――それらもろもろ全ての状況を踏まえながらアキラはなんとか部下に連絡する必要があった。

 もちろん予め、いくつかの連絡方法を打ち合わせてはいた。

 まずは手紙。アキラ達にだけ解る目印をつけて経路上に残しておくこと。

 同じく経路上の石や樹木に連絡事項を記しておくこと。

 だが、それらを含めその他一般的な連絡方法は無理だろうと言うことも想定はしていた。相手はスプリガンと同じく『そう言った事に慣れている連中』なのだ。下手な素振りをしたとたんにアキラはその立場を危うくするだろう。ドライアドが使っている暗号にしてもすでにル=キリア程の連中なら解読済みの可能性もある。

 そこでアキラが採った連絡方法は笛の音によるものであった。一定の組み合わせで簡単な指示をするのだ。

 音による連絡は確実で簡単ではあったが、複雑な意思伝達にはあまり向かない。さらに言えば通常だと笛の音の到達する範囲はそう広いわけではない。天候にも左右される。勿論それなりの範囲には届くが、問題はル=キリアの索敵圏との兼ね合いだった。ミヤルデとセージに届き、かつル=キリアの索敵範囲を超える音であることが必要だった。

 だが、実はこれはすでに解決済みであった。なぜならアキラの使っている笛は特殊なルーンを練り込んで仕上げられた音の伝達範囲が特別に広いものだったのだ。

 出所はもちろんエスタリアのバカ殿で、アキラの要望に応える形で彼がしつらえさせたものだった。白鳥のクレストもその時ミリアが勝手に彫り込んだものだった。

『どう見ても君には熊より白鳥の方が似合うよ』

 そう言ってさりげなくミリアは公爵としてアキラにクレストを贈ったのである。

 子爵家を継ぐ事は出来ず、さらにいまだに爵位すらないアキラのそのクレストが紳士録に載る事は無かったが、それが今回は功を奏した。男爵の爵位をもらっていたら白鳥のクレストを登録していたに違いなく、その音が遠くに響く特殊な笛を使う事が出来なかったからである。

 とは言えその笛の音での連絡も自由に行う事は避けなければならないのは言うまでもない。最悪の事態としては一切吹けないことも考えられたが、それは初日に演奏依頼をされたことによりあっさりと受け入れられることになった。勿論めったやたらと吹くわけには行かないが、頼まれてお許しが出れば吹く程度であれば感づかれることもない。

 そしてその連絡方法はこうだ。

 アキラの横笛は二分割されている。そしてその繋ぎ部分は可動式で、つまりはその長さを調節することで音階の調律を行う事ができるようになっていた。気温や湿度あるいは高度なども音に関係する。二分割あるいは三分割と言った笛を好む演奏者は特にそういう微妙な変化に合わせて頻繁に楽器の調律を行う。アキラはそこに目を付けて、調律の際の音の組み合わせで簡単な連絡を取るようにしていたのだ。

 組み立てる際に調子を整えるのはもちろんのこと、アキラの場合は一曲毎に確認の意味でざっと調律をすることが既に癖になっていた。したがってこの方法であれば不自然さは何もないわけである。

 もちろん、その連絡方法はその微妙な音階を理解できる受け手が居て初めて成立する手法だったが、アキラにはその絶対音感能力を持ったセージを副官として側に置いていた。子供の頃からのつきあいで、互いに音には非凡な才能がある事を知っていた。子供の頃は自然・人工を問わず耳に聞こえるあらゆる音を音階で表現したり、玩具代わりに遊んでいた間柄なのである。その頃から大人を出し抜く事を目的にして遊びのように行っていた二人の間だけでわかる暗号はいくつもあった。

 そしてそのアキラの思惑は今のところうまくいっているようだった。

 とはいえ、連絡事項が特に何もない日が続いていた。

「異常なし。現状を維持せよ」

 アキラがセージに送る内容はそれだけだったのだ。


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