第四十九話 ルルデの故郷 5/5
【失敗したかな〜】
一方、うつむいて黙りこくってしまったエルネスティーネを気にして、エルデは珍しく自分の嫌みに対して少しだけ後悔していた。
『お前はいっぺん死ね』
そんなエルデの気持ちを察したのかどうかはわからなかったが、エルネスティーネは自分に何か声をかけようとしたエルデの顔を不意に見上げると、いきなり舌を出して片方の目尻を指で下げておかしな顔をしてみせた。
「べーっだ」
エルネスティーネはそれだけ言うと、エイルに向かって手をひらひらと振って、後方に居るティアナ達のところへ去ろうとした。
しかし、その小さな体を、すかさずエルデが空間に縫い付けた。
みれば一瞬の間に精杖ノルンがその右手に握られていた。
「パラス」
短く唱えたのはいつもの金縛りルーンだった。
「な、何を?」
体の自由が全くきかなくなったエルネスティーネは思わず抗議の声を上げた。
振り向いてエイルを見ることは出来ないが、声だけは出せるようだった。
声だけは出るようにルーンを加減したようであった。その調整は周りから見るよりも繊細・微妙なもののようで、エルデ程のルーナーにして空手では無理なのであろう。精杖ノルンを出したのはその制御の補助のようであった。
「何をするんです!」
エルデはエルネスティーネの抗議には応えず、精杖に向かって小さくつぶやいた。
「ベルザンディ」
すると、手に持った三色の木を撚って作られた精杖が、一瞬で茶色一色の精杖に姿を変えた。それを確認すると、エルデは改めてエルネスティーネの背中に向かって少し長めの別のルーンを、同じく小さな声で唱えた。そして詠唱が終わったと思った瞬間に、エルネスティーネの体は再び彼女自身の支配下に戻された。
「いきなりルーンをかけるなんて卑怯ですよ!エルデっ!」
体が動かせるようになったエルネスティーネは、思いっきり頬を膨らませてエイル、いやルーナーであるエルデを振り返り、両足で地面をしっかり踏みしめて腰に手を当て、精一杯目尻をつり上げてそう批難した。
しかしエルネスティーネの目に映ったエルデの顔はそれまでの沈んだ顔でも人をバカにしたようなニヤニヤ笑いでもなく、時々エイルが投げかける優しい笑顔だった。
それに気付いたエルネスティーネは、立て続けにもう一言二言文句を言ってやろうと構えていた尖った気持ちが溶けていくのを感じた。そして開きかけた口を閉じた。
「ファルの肩に乗るのが嫌なんやったら、もう少しがんばってもらわなな」
エルデはエルネスティーネに向かって自分であることを相手に示すために、今度は古語でそう言うと、軽く片手を上げて山道を再び登り始めた。
「え?」
エイルを追いかけようとしたエルネスティーネは、その時になって自分の体の変化に気付いた。
「どうかしましたか、ネスティ?」
丁度追いついたティアナが、ぼんやりエルデの背中を見つめる短い金髪の少女にそう声をかけた。
「いえ」
エルネスティーネはいつも自分のことを気にかけてくれる心優しい白髪のアルヴに何でもないと言うと、大きく深呼吸をして、彼女にとっては相当に手強そうな山道を見上げた。
「もう一がんばりね。さあ行きましょう」
そう言って歩き出したエルネスティーネの顔がやけに晴れ晴れしているのをティアナは不審に思ったが、もちろん暗い顔をしているよりは何百倍もいいわけで、それ以上その事について詮索をするのは止めた。
本人に果たして自覚があるのかどうかはわからなかったが、ここ最近のエルネスティーネに見られる情緒の安定・不安定は、エイルとの距離感でめまぐるしく変わる事はもうティアナの見立てでも間違いのないところだった。
つまり、なにやら楽しそうで、しかもさっきと違って見違えるように元気になっているのは、エイルのおかげなのだろうと察しが付いたというわけである。
「そうですね。もう一がんばりしましょう」
ティアナは軽やかな足取りで先を行くエルネスティーネにそう言うと、自分でも無意識のうちに微笑んで、その後を追った。
『まったく』
【人の気持ちを考えずにズカズカ入り込んでくる傍若無人さがあるかと思えば、けっこう繊細な気配りも持ってるやんか。しかも子供っぽさ全開ときたもんや】
『いや』
【ん?俺とは違う意見か?】
『どっちかというとああいうのはフォウでは「自爆系天然ボケ」と言う』
【いや、こっちでも言うやろ、それ。でも、うん。確かにそうかもしれんな】
『でも、ものすごくいい子だと思う』
【まあ、ウソはついてるみたいやけどな】
『お姫様だからな。ウソというより、いろいろ隠さないといけないことはあるんだろうな』
【そう言うんとは違うんやけどな。もっと根本的というか根源的というか】
『え?』
【何でもない。お前さんは知らんでもええ事や】
『ふん。それより、温泉があるそうだぞ』
【そやったな。湯船につかったら、またちょっと代わってくれるか?】
『了解』
【ほんなら、クヨクヨせずに行こか。そうせんとまた脈絡なく天然にグサリと絡まれて、こっちが自爆する羽目になりそうや】
『すでに今やり過ぎて自爆したヤツに言われたくないが、まあその通りだな』
【それはそうと】
『ん?』
【一瞬、期待したんやろ?】
『何を?』
【シルフィード王国のお姫様と一緒に入る風呂や】
『バーカ』
【ふふん、どうだか】
『――ま、正直言うとちょっとだけ、な』
【最低!】
『何だよ、お前だってちょっとくらいは興味あるだろ?』
【ぜーんぜん。俺はあんな発育不良には興味がないねん】
『発育不良って、あれだけあれば普通だろ?』
【ほう?よう見てるんやな】
『ち、違うって』
【まあファランドールの成人女性としてはアレはほとんど最低ランクやな】
『ウソつけ』
【賢者はウソはつかへん。冗談は言うけどな】
『もういい。お前が健康な若者でないことに気づいておくべきだった』
【健康な若者やってんけどなあ】
エイルは水先案内人である先頭のアトラックに追いつくべく、少し歩を速めた。
『それにしても、今のはちょっと意外だった』
【何が?】
『お前、ネスティに回復ルーンをかけたんだろ?』
【ああ、あれか。結構息が上がってたから足手まといになられても日が暮れてまうしな】
『ふん、全くお前はオレの思っている通りのヤツだよ』
【そいつは、どうも】
『微妙な返事だな』
【それより、エイル】
『なんだよ』
【と言うわけで、ちょっと消耗したから、後はしばらく任せた】
『眠るのか?』
【ふ。さっきネスティにかけた奴、実はかなり高位の回復・強化の複合ルーンで、今日いっぱいくらいは全力疾走で山道を駆け登っても息一つ切れへんっていう超絶豪華なすごいヤツやねん。お前さんの体やと素では使えへんくらいのヤツや】
『わざわざノルンを取り出したのは、そういう事か?』
【そ。わざわざベルザンディに変えんと心許ないくらい強力なヤツ】
『でも一日全力疾走って、そいつはいくらなんでもちょっと豪勢すぎだろ?』
【お姫様、今夜は目がギンギンで眠られへんやろな】
『いやいやいや。それは何か違うルーンだろ?』
【何にせよ、豪勢な気にさせてくれるくらい暑苦しいお姫様やったって事や。まあ、ともかくそういう訳で俺はそろそろ限界や。しばらく休ませてもらうから、あとは頼むわな】
『本当にそんなに消耗したのか?』
【その場しのぎの一時ルーンやのうて、ただでさえ高位の随時回復ルーンやで。それも持続時間をあれだけ長ごうするとなると、けっこうな力を使うんや】
『え?じゃあ、マジで夜はギンギンなのかよ?』
【アホな事言うてんと、後は頼んだで。アトルの話やと今日は素敵な寝床で眠れるそうやから、お姫様はほっといてお前さんはせいぜいぐっすり眠ってや】
『とうとう『素敵』にまで上り詰めたのか、アトルの言う寝床は』
【ひどい寝床やったらアトルへキッチリお仕置きしといてや。あと、温泉あったらたたき起こしてええから】
『わかった。もう寝ろ。というかだな、眠っているお前をどうやってたたき起こすんだよ?』
エイルとエルデが入れ替わったのは周りにはわからない。
だが、ここでエルデがエイルの心の中で眠りについてしまったことが、その後一行を窮地に陥れることになった。
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