第四十八話 ジャミールへ 2/4

 ノーム山脈はサラマンダ候国とウンディーネ共和国からなるノーム大陸と呼ばれるファランドール最大の大陸の北部を東西に走る大山脈で、大陸を完全に南北に分断する急峻な山々からなっている。

 アトラックに依れば世界最高峰のノーム山を筆頭に、一万メートル級の山が十数個あり、それぞれが急峻な峰峰を従えて重なり合うように続いている大山脈だと言う。もちろんまともな登山道などが整備されているわけでもなく、そこを超えようとする酔狂な者はまず居ないのである。

 したがってこのノーム山脈は地続きであるはずの一つの大陸を南北二つの陸地として隔てる自然の壁として存在し、それはそのままサラマンダとウンディーネの国境線となっていた。逆説的ではあるが、文字通り国境に沿って壁が作られているようなものなのである。

 一行はその「ファランドールの屋根」と呼ばれるノーム山脈を越える経路を選んでいたのだ。

 エルデが《真赭の頤》シグ・ザルカバードの七番目の庵の所在地だというヴェリーユは、ウンディーネ共和国領内、しかも中央南端の町だ。すなわち東西どちらの海岸線からも遠く、南にノーム山脈を戴く麓の平野部に位置している。

 出入りの検閲がことのほか厳しいであろう海路の町を経由してウンディーネ入りしても、そこからまた大陸最深部までの距離を歩くことを考えると、直線的にヴェリーユを目指した方がいいというのがアプリリアージェの判断である。

 それに切実な問題もあった。豪雪地帯で知られるヴェリーユは、冬になると雪のせいでそもそも町の出入りが不可能になるという。一般的な経路だと確実に雪の壁に阻まれるであろう。

 さらに言えばノーム山脈の国境線には通関所など存在しない事も重要だった。

 

「こっちはそれなりの覚悟ができてるけど、アモウルに不都合があるならリリアさんに相談してみるといいよ」

「私は君たちと旅をする事自体が目的だから問題はないさ。いや、不都合があると言えばあるにはあるな」

 アキラは煮え切らない物言いをすると、腕組みをした。

「ふうむ」

「言いにくい事なのか?」

「いや、ここ数日冷えてきたからな。山にはそれなりの冬支度をしてから向かいたいものだと思ってな。私は南国の育ちで寒さがどうにも苦手でね。君たちのその贅沢極まりない便利なマントを私は持っていないしな」

 アキラはそう言うとエイルが羽織っているアルヴスパイアのマントを指さした。

「色は沈鬱だし美しい刺繍もない。機能優先で形も野暮ったい。つまり自分ではたとえ頼まれたとしてもとても着たいとは思わないが、正直に言ってその反則とも言える機能はうらやましい。私の美学には反するが、背に腹は代えられないというものだ。できれば私も同じものを手に入れたいのだが、そうなるとそれ相応の大きな町に行かねばならないな」

「冬の装備についてはアトルが補給の段取りを考えてるはずだ。たぶん心配はいらないさ」

「そうか。ならそれはアトル殿に頼るとして、心配事はもう一つ」

「何だ?」

「ノーム越えともなると結構本格的な山登りになるのではないか?」

「結構というか、かなり、だろうな。オレも初めてだからわからないけど、空気も薄いだろうし道なき道どころか垂直な崖を上るなんて事になるみたいだ」

「だとすると、私はネスティお嬢様が少々心配でね。彼女は君たちのような戦闘要員ではないのだろう?」

 アモウルはそう言うと、後ろをチラリと振り返った。ティアナと並んで歩いているエルネスティーネの金髪が見えた。

 

『いや、オレだって別に戦闘要員ってわけじゃないんだが』

【剣士はどう考えても戦闘要員やろ】

『やっぱり?』

【しかも、俺はどう考えてもファランドール屈指の……】

『はいはい』

 

「まあ、ネスティはああ見えても風のフェアリーだから。ファルもいるし大丈夫なんじゃないかな。彼女は自分から音は上げない性格みたいだしね。というか、楽しみにしているくらいだよ。でもまあ、その辺もちゃんとリリアさんは考えていると思う」

「そうか。それならいいのだがね」

「それより、ネスティと言えば、本当にいいのかい、あれ」

 エイルはチラリと後ろを振り返ってエルネスティーネの様子を見てそう言った。

「アレ? ああ、アレか。はははは」

 二人がアレというのは、どうやらエルネスティーネの肩に乗っている毛むくじゃらの丸い物体の事を指しているようだった。

「すっかり彼女に懐いてしまったようだね。なあに、いい女に振られるのは男の勲章さ」

「あいつ、メスなのか?」

「いや、マーナートの雄雌は素人にはまずわからんらしい」

「ふーん」

「まあ、アレが自分の主人をネスティ嬢だと決めたのなら、ここは潔く身を引くのが私の美学というものだ」

「そうか。ネスティも発狂しそうなくらい気に入っているようだし、そう言って貰えてオレも安心したよ」

「ほーお」

 ホッとしたような顔でそう言うエイルを、アキラは意味ありげなニヤニヤ笑いで見た。

「何だよ?」

「いや。君はまるでネスティ嬢の兄のような物言いをするのだね」

「あ、いやいやいやいや。今のはそう言うわけじゃないって」

 エイルは顔を赤くすると、あわててそう否定した。


 アキラが愛玩動物として飼っているマーナートというデュナンの成人のこぶし大ほどの大きさのネズミは、今ではすっかり本来の主人のもとを離れ、エルネスティーネのもとで一日の大半を過ごしていた。

 丸ネズミとも呼ばれるマーナートは人慣れするので飼いやすく、大きなクリクリした目とふわふわした絹のような手触りの長毛、そして短い手足といった外観が特徴で、誰が見ても普通はかわいらしいと思う小動物だ。ネズミの仲間らしいが野外で放し飼いが出来るほど人に懐く、まるで犬のような性格の動物だという。

 エイルは記憶にあるフォウの動物をあれこれ頭の中で検索してみたが、似たような動物を探し当てることは出来なかった。

 滅多に鳴かず、従って犬と違い極めて静かである。もちろん大声で吠えることが出来ないので番犬にはならないだろう。しかし食べ物にも好き嫌いはなく雑食で、旅に連れ出すには犬や猫などよりも適した相棒と言えた。ただ、神経質なところもあり、特に籠や檻など狭い場所を極端に嫌い、そういう環境下で無理矢理に飼うとすぐに死んでしまうという。したがって放し飼いをせざるを得ず、そうなると天敵とも言える犬や猫がいる家では一緒には飼えない。

 一部の動物学者によるとマーナートは犬や猫と同等以上の知能を持っていると言われ、寿命もほぼ犬と同等で小動物としては異例に長寿と言える。

 またドライアド南部ではマーナートは精霊の一種であり、長く生きた個体はルーンが使えるようになると信じられ、神聖な動物とされている。

 しかしかつて良質な毛皮の原料として乱獲され、自然界では個体数が激減しており、月の大戦の時代には既に珍しい動物になっていたと思われる。

 そのマーナートがエルネスティーネのもとへ来た経緯は簡単な事である。

 アキラが食事の時に自分の分を少し残して「旅の相棒」に与えている様子を食い入るように見ていたエルネスティーネに、触ってみるか? と飼い主が差し出したのがきっかけだ。

 エルネスティーネはおもちゃを与えられた子供のように顔を輝かせてマーナートをそっと撫でてやり、自分の食事や道中拾った木の実などを事あるごとに与えてやった。

 マーナートは一部のネズミに見られるものと同じような頬袋を持っており、ここに当座の食料などを蓄えておける。受け取った食べ物をどんどんそこにため込んで、自分の本来の体の二倍ほどにまでふくれあがる様を見て笑い転げているエルネスティーネを見たアキラは別れる覚悟を決めざるを得なかった。

 そのうち近くでエルネスティーネの声がすると、彼女の声に反応してアキラの懐から顔をのぞかせるようになったものだから、エルネスティーネとしては大感激で、いろいろと理由をつけてはマーナートを見にアキラのもとへ行く事が多くなった。

 ティアナはと言えば、アキラとエルネスティーネが接触することには極端に難色を示していたが、エイルがそこに一緒に居ればいいだろうというアプリリアージェの条件をのむ事で渋々ながら承諾していた。

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