第四十八話 ジャミールへ 1/4
シェリル達と別れてから、十日ほどが経った。
それぞれが様々な思いに入り込んでしまっていた彼らは、活気ある音楽一座という看板とはほど遠い雰囲気であった。しかし、時間が経過するにつれ、それでも次第に現状を受け入れる気持ちの方が強くなってきていた。
別れはしたが、二度と会えないという訳でもなかった。
ハロウィンとルネの二人とは、シェリルを送り届けて様子を見届けた後、当面の一行の目的地であるウンディーネのヴェリーユで合流することになっていたし、ベックについても各地で彼らのために情報や物資などの手配行動をして、同じくヴェリーユで一度落ち合う手はずになっていた。
エイルはしばらくの間シェリルと一緒に過ごすことを強く勧めたが、ベックはもとより大きな変革を迎えようとしているファランドールをその目で見て回る為にウーモスの暮らしを捨てたのだ。
「オレが事をやり終えたと思うまでは、責任とって付き合ってもらうぜ」
彼の決心は固かった。
つまり、シェリルを除く三人とはいずれまた会える。
一番ふさぎ込んでいたエルネスティーネはそう思って前向きに考える事にした。
シェリルに会えないことは彼女にとっても寂しくはあったが、生きていればいつか会える可能性がある。それに本来の予定ではシェリルとはそろそろ別れる事になっていたのだから、それが数日早まっただけなのだと思う事でどうにか自分を納得させる事ができたのだ。
ルネとシェリルという同性の話し相手が減ってしまったことは寂しかったが、そもそもエルネスティーネの旅は、そんな贅沢を言っていいようなものではなかった。それになによりアトラックとエイルが側にいた。彼女にとってはルネやシェリルと同様に彼らはいい旅の仲間であり、話し相手だった。
一方ルネやシェリルが居なくなった反動で、エイルと一緒にいる時間が長くなった事は、本人の自覚はどうあれエルネスティーネにとっては全く違う種類の楽しさと今まで味わったことのないときめきを感じさせてくれる時間が増えたことに他ならなかった。
とはいえ、好事魔多しとはよく言ったもので、肝心のエイルはどうにも人気者で、エルネスティーネがたとえそれを望んだとしても一日中側にいられるというものではなかった。現にエイルは今、エルネスティーネの前を歩く新しい旅の道連れであるアモウルという自称賞金稼ぎ兼横笛の奏者と、さっきから何事かを熱心に語り合っているようだった。
「機嫌が悪いようですが、どうかしましたか?」
ティアナはさっきから口を尖らせるようにして黙りこくっているエルネスティーネを見かねてそう声をかけた。
「別に機嫌など悪くありません」
エルネスティーネは言葉とは裏腹に機嫌の悪さを隠そうともせず、そう言うとそっぽを向いた。
ティアナはエルネスティーネの前を歩くエイルとアモウルの後ろ姿を見て苦笑した。
「とまあ、昔の大吟遊会は、それはそれはものすごいものだったのさ」
「いや、エスタリアの公爵様ってのがどれほどの金持ちかは知らないけど、さすがにそれはやり過ぎじゃないのか」
エイルはアキラからドライアド王国の北部に広がる「白の国」エスタリアで行われていた大吟遊会の話を興味深く聞いていた。
最近は規模が縮小されてしまったが、以前は訪れた誰しもが呆れて開いた口がふさがらないほど豪華絢爛な催しであったこと。振る舞われる酒や食事はファランドール中から選りすぐって集められたもので、その量もさることながら贅を尽くした食材による何百種類もの料理の名前を全て知るものは当然ながら、半数を知る者さえ居なかった事、才能ある者には城の部屋を無償で貸し与えるばかりか、多額の旅費を持たせて創作の旅を奨励するのはあたりまえで、大会で賞を勝ち取った者へ与えられる賞金のあまりの額に目を回す者が何人も居たこと。そしてそれはただ一人、ペトルウシュカ公爵という人物の鶴の一声で取り仕切られていた事などなど、エイルは当然ながら、エルデでさえも知らないことばかりだった。
アトラックとはまた違って、アキラの極めて芝居がかった大げさな語り口が話と合っていたこともあって、ついつい引き込まれ、エイルはまるでその会場に居るかのような気分になって聞き入ってしまっていた。
「だが、私は今になって思うのだ。そうやって大金を得た芸術家の多くは自らの創作を顧みなくなり、自らの芸を磨かなくなる。つまり、あれはその芸術家の才能が果たして本物かどうか、限界が浅いのか深いのか、その者の芸術に対する信仰や思いの深さ、そして一番大事な誇りの厚薄をも見抜く……いや、自らで確認してみろという公爵からの過酷な問いかけではないのかとね」
エイルはアキラが語る白の国エスタリアの公爵に対する評価が様々な表現を用いられるものの、首尾一貫しているのを感じていた。世間では「ばか殿」という侮蔑の入った二つ名で呼ばれるペトルウシュカ公爵は、アキラの口を借りたとたん、同じ事象を語るにしろその対象は深遠なる哲学者の姿に変貌してしまうような気がするのだ。
「世間では『ばか殿』ってことになってるけど?」
「まあ、巷間ささやかれるように本当に愚かでバカなだけなのかもしれんがね。そう言えばあれはもう何年前だったか……、町の酒場の片隅でビア樽を抱きかかえて幸せそうに眠っている姿をこの目で見た時はさすがの私も驚愕を通り越して腹の底から笑わせて貰ったものさ」
「そりゃすごい公爵様だな」
エイルの反応に、アキラは嬉しそうな笑顔を見せた。
「全くだな。しかし、この話で特筆すべきはそこだけじゃない」
「というと?」
「ビア樽を抱えた公爵様には、毛布が掛けられていたのさ。しかもぞんざいに放り投げたような状態ではなく、きちんと、ね」
「へえ」
「しかも、その店の入り口には大きなビラがぶら下げてあって、そこにはこう書かれていた。『珍獣注意。お静かに!』とな」
「それって」
アキラはうなずいた。
「少なくとも市井の者には人気のあるお人だよ。ともあれ現実は厳しい。実際問題あの方の放蕩が過ぎて公爵家の財政を傾かせたのは事実のようだしな」
だが、そう言うアキラの言葉には批難の色も批判の響きもない。むしろ子供の飛び切りの悪戯を自慢げに語る親のような口ぶりだとエイルは感じた。
「ふーん。一度会ってみたいな、その公爵さんには」
だから、正直な気持ちがそう言葉に出た。
「そうか。ならば来春に行われる春の大吟遊祭に共に行こう」
「でも、オレはただの平民だぜ?いきなり行って偉い貴族様に会えるのか?」
「私の紹介ならば公爵に直接会うことは簡単だ。ちなみに私の持つ公爵符は本人が不在だろうがビヤ樽と結婚していようが公爵のお屋敷で無期限に食客として居座れる権利も付いている。つまり宿代や食事代の心配もいらないと言うことだ。さらに君がその気なら身の回りの世話をする美女もよりどりみどりだ」
「美女?」
「美女だ」
「うーん、美女か」
「そりゃあ、美女さ」
【アカン】
『え?』
【行ったら焼き殺すで】
『おいおい』
「うーん」
「なんだ、君はそっちか?」
「いやいやいや」
放っておくとどんどん違う方向へ話が進むのもアキラの話の特徴だった。
勿論アキラから見れば自分よりも相当若く見えるエイルを年の離れた弟よろしくからかっているのだと言うことはエイル自身も解っていたが、およそ二心などないように思える笑顔を見せられると、いつの間にかアキラが古い仲間のように思えてくるのだった。
「来春の事はまだわからないけど、考えておくよ。だけどその公爵さん、財政を傾かせたって言うだけで幽閉状態というのはさすがにちょっと気の毒だな」
「ふむ。ドライアド王国の首都ミュゼでは公爵家の実権はやがて弟のエスカ様のものになるだろうという噂で持ちきりだがね。ドライアドではシルフィードと違い、高級爵位は基本的に生前移譲はない。命まで狙われねばいいのだがな」
「そりゃ物騒な話だな。でも兄弟でそう言う血なまぐさい事になるっていうのはどんな気分なんだろう」
「ルーナー殿はご兄弟は?」
「ああ、うん。妹が一人いる」
「仲は良いのか?」
「よくわからないけど、いいと思う。それよりその『ルーナー殿』はやめてくれ。エイルでいい」
「では私もアモウルで一つよろしく頼みたい」
ウーモス脱出を経験しているだけにアキラが持っている公爵符の通関証としての効力には疑いはなかったが、出来る限りそれを使うことは避けるというのが、アプリリアージェの考えだった。
すなわち一行は、通関が行われている可能性のある町を通らない経路を選んでいた。アプリリアージェとしてはアキラに対する疑いが払拭されない以上、たとえ通関証で簡単に出入りできる事が解っているとしても周到に準備されているかもしれない罠の中に入ることは避けたかったというのが本心であろう。その代わりに目的に対して最短の経路を選ぶことは出来た。
とはいえ、背に腹は代えられない。手持ちの食糧がつきる前に補給する必要があったし、秋の深まりに加え標高が上がる事により気温が大幅に下がりつつあった。ヴェリーユに着くのはまだまだ先になる。であるなら冬の装備も必要だった。
「ヴェリーユには最短経路で行きたいんだ。だから陸路で国境を越えることになるらしい」
今後の経路をエイルとアキラが話題にした時、エイルはそうアプリリアージェとの合意事項を告げた。
「すると、まさかノーム越えか?」
エイルはうなずいた。
「結構困難な旅になるだろうな。ちゃんとした道なんかないそうだよ」
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