第四十七話 ツイフォン 2/2
《深紅の綺羅》
三聖の一人である。
《蒼穹の台》と同じく生前の《真赭の頤》シグ・ザルカバードとは旧知の仲であった。
その《深紅の綺羅》がシグの研究所、いわゆる庵には度々足を運んでいたことをラウは知っていた。だが、ラウが三聖の顔を見たことは結局一度もなかった。
そもそもまだ賢者でもない弟子の分際で三聖とまみえるなど考えたこともなかった。《真赭の頤》自身も決して弟子の前に引き合わせる事はせず、先触れである大賢者が三聖の来訪を告げると、シグはいつもルーンで外界から遮断された特別な未知の部屋に直接通していた。
つまりラウは《深紅の綺羅》の存在は知っていても、影どころかついぞその足音すら耳にしたこともなかったのだ。
「そうか。そう言えば僕も君とはあの出来事があるまで出会ったことはなかったのだったね」
詳細は次回会った時にでも話すという事でイオスはラウに多くは語らなかったが、炎のエレメンタルの存在に関しては《真赭の頤》ことシグ・ザルカバードと《深紅の綺羅》が何らかの関与をしているようだ、と言う事だけは理解した。
「ただ、どちらにしてもいろいろあって今回僕がなんとか辿り着いたものはそれなりに古い情報だ。君にいらぬ先入観を与えて、見えるものまで見えなくなるのは困るんだけど、それでも敢えて僕の推理を言わせてもらえるならば、もうジャミールに件のピクシィの少年などいないとは思っている。わかりやすく言えば、ジャミールの里にはエレメンタルがもういないことを確かめて来て欲しいという依頼なんだよ。申し訳ないんだけどね」
「いえ。委細承りました」
腑に落ちない事だらけだったが、ラウは自分がとんでもないやっかいごとに首を突っ込み始めている事を直感的にかぎ取っていた。
例の特定精霊陣の無効化についても、師であるイオスは多くを語ろうとはしなかった。何度かそれとなく尋ねてはみたが、イオスはその度に「その時が来れば教える」と言うばかりだったのだ。
どちらにしろ師であるからというよりは三聖の命令を断る選択肢はラウには、いやラウに限らず賢者にはありはしないのだ。
ただ、心の奥底に得体の知れない不安が広がるのを止める方法を教えて欲しかった。
しかしラウの願いはかなわず《蒼穹の台》はその後ファーンの声を借りていくつかの付随情報と、今後の自分への連絡方法を伝えたにとどまった。
「ピクシィと言えば、別件だが君に伝えておくことがあるんだ」
「と、申しますと?」
「エイル・エイミイの件だよ。君が偽賢者だと言っていたルーナーだ」
「あ……」
イオスから今その名を聞くとは思わなかったラウは絶句した。
ラウはあの後、密かにエイルの行方を追っていた。ウーモスに入った辺りまではたどれたものの、その町で得た情報から、ル=キリアと黒い髪の少年がアロゲリク渓谷で遺体で見つかったと知らされ、謎を解明できないままその相手を失ったと思い込んでいたところだったのだ。
「エイル・エイミイはアロゲリクで同行していたシルフィードのル=キリア小隊とともに遺体で発見され、その場で火葬されたと聞いております」
「ふうん。耳が早いね」
「す、すみません」
「いや、いいよ」
《蒼穹の台》はファーンの声でそう言った後、少し間を開けた。
ラウは不審に思ったが、そのうちファーンがおかしそうにクスクスと笑い始めたのを見ると、我が目を疑った。
ファーンが笑っているということは、つまり《蒼穹の台》が笑っていると言うことだ。ラウは自分の師が声を上げて笑うのを見たことがなかった。
「ああいう子供だましは単純なだけに、かえって有効な場合もあるんだね。偽装の片棒を担がされた身としては本来悔しがるところなんだろうけど、なかなかどうして痛快じゃないか」
「は?」
ラウには《蒼穹の台》が言っている意味がわからなかった。いや、いったい何がおかしくて笑っているのかが皆目わからなかったのだが、偽装という言葉を聞いて反応した。
「猊下はもしやエイル・エイミイに?」
ファーン、いやイオスはうなずいた。
「会ったとも。君の言うそのアロゲリクの渓でね」
「先ほど、偽装とおっしゃいましたが」
「うん。ちょっと話が脱線したね。結論から言えば彼は生きてる。随行のル=キリアと思われる一行も同様にね」
「私はウーモスの調達屋から、確かな情報として死亡と聞き及びました」
「その現認を行ったのはスプリガンというのだろう?」
「その通りです」
「彼、つまりエイル・エイミイに頼まれて僕がその偽装をしたからね。スプリガンの部隊に偽の遺体を火葬するように指示したのも僕だよ。それより二藍、彼はれっきとした賢者だ。しかも予想通り君より上席だ」
「それは」
「まあ、色々事情があるようだから、賢者の名前は聞かなかった。だけど彼が一体誰なのかはおおかた予想がついている」
「お教え願いますか?」
「そうだね。でも、それは君が直接聞いたが方いいかもしれない。どちらにしろ君は彼にもう一度会うべきだ」
「会えばわかると言うことですか?」
「君次第……いやむしろ彼次第だろう。念のために忠告しておくけど彼とはもう二度と事を起こさないでほしい。妙な雑用をさせられるのはあれっきりにしたいからね」
「雑用、ですか?」
「いや、それはもういいんだ。この間も言ったけど、僕はたった一人の弟子である君を失いたくない。それに君は僕のたった一人の娘でもある」
「私では歯が立たないと言うことですか」
ラウはしかし食い下がった。
「君よりも上席だと言ったろう? 僕の予想が正しければ、君は彼には絶対かなわない。それより、そもそも彼は君の敵などではないんだよ。そこのところは僕を信じておくれ」
「はい」
「さて、長くなりすぎた。さぞや疲弊しているだろうな。できれば群青をいたわってやって欲しい」
「もとより、承知しております」
「ありがとう、二藍」
会見はそこで終わりだった。
程なくファーンの額の眼が閉じられて消えると、本来の瞳の色も赤から緑に戻った。
ファーンの瞳の色の変化をじっと見つめていたラウは、エイルに初めて会ったランダールの蒸気亭で感じた違和感を思い出した。
(そうだ。あいつの目は、黒いままだった)
賢者は第三の目であるマーリンの眼を開くと、その赤い瞳に呼応するように残る両眼も赤く染まる。第三の眼を閉じれば元に戻るが、マーリンの眼を開いて賢者の力を解放している状態では、全ての眼が赤く染まるのだ。それは《二藍の旋律》ことラウ・ラ=レイに限らず、三聖である《蒼穹の台》とて同様であった。
エイルを見て、これは偽物だと理性ではなく感覚的に判断してしまったのは、瞳の色の変化が無いことによる違和感だったのだ。
そんな事を今更気付く自分のふがいなさに、ラウは苛立ちを覚えた。先にわかっていれば、イオスにその訳を尋ねることも出来たのだ。
ラウは賢者になってからずっと《蒼穹の台》の命で単独行動をとっていた。賢者同士のつきあいが浅いこともあり、他の賢者がマーリンの眼を開く場面を見る機会がそうあるわけではない。だから改めてファーンの変貌を見て思い至った訳なのである。
(だが、それでも奴は本物の賢者であるという。しかも私が会わねばならない相手だと?)
イオスの命令自体は単純なもののようでいて、その言葉の中身については謎だらけだった。しかし、どちらにしろ生きているとわかった以上、ラウはエイルにはもう一度会うつもりであった。関わるな、と言われていた状況から一変して「会え」と言われた訳である。これで師に対して後ろめたい思いを抱くこともなく、また部下に無理を強要せずともよくなったわけでもある。ラウとしては喜んでいい話のはずなのだが、いざこう言う状況になると素直に喜ぶ気分にもなれなかった。
そんなことを考えていると、目を閉じてじっとしていたファーンがテーブルに崩れるように突っ伏した。
イオスのツイフォンが完全に切れたのだ。
「大丈夫か、ファーン?」
ラウは慌てて椅子から立ち上がると、顔面が蒼白なファーンを抱き起こした。
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