第四十七話 ツイフォン 1/2
二杯目のコーヒーに口をつけようとした時に《二藍の旋律(ふたあいのせんりつ)》ことラウ・ラ=レイは正面に座るアルヴの少女に声をかけられた。声の主は彼女の部下である末席賢者の《群青の矛(ぐんじょうのほこ)》ことファーン・カンフリーエだった。
「猊下からお呼び出しです」
眼下にこぢんまりとした港を見下ろすテラスの片隅のテーブルに二人はいた。
「何事?」
「私にはなんとも」
「そうだったわね」
「では、お手をどうぞ」
彼女たちの立場、すなわち賢者が「猊下」と呼ぶ相手はこの世に三人しか存在しない。それは三聖と呼ばれる者の事であり、そして彼女たちがただ「猊下」と呼ぶ場合、それは《蒼穹の台(そうきゅうのうてな)》の事を指していた。
多少の名残惜しさと共にコーヒーカップを皿に戻したラウは、周りに人の気配がないことを確認すると、差し出されたファーンの左手を両手でとり、そのまま包むように握りしめた。
時を置かず、ファーンの額に第三の赤い眼が現れた。同時にファーン自身の二つの眼も赤く染まる。
「《二藍の旋律》。君かい?」
しゃべっているのはファーンだったが、口調は《蒼穹の台》ことイオス・オシュティーフェその人のもののようだった。
「はい。目の前におります」
「少し情勢が変わった。特定精霊陣の消去作業はひとまず中止して、急ぎで調べてほしいことがある」
「中止、ですか?」
「今言ったとおりだよ。もうそんな悠長な事を君に頼んでいる場合ではなさそうなんでね」
「そんな場合では、ない?」
「世界はゆっくり変わると思っていてはいけないという事さ」
「承知しました。して私が調べるものとは一体?」
端から見ると、ラウとファーンが普通に会話をしているようにしか見えないが、これはファーンを媒介として《二藍の旋律》と《蒼穹の台》が遠隔的に会話をしている状態だった。その間、媒介であるファーンは体の自由がきかない。また、ファーンにはその間、意識もない。テンリーゼンの使う遠隔話法である「精霊会話」とは全く別のものだ。
テンリーゼンのものはせいぜい有視界を限度とした近距離用の能力であるが、これは特殊な体質を持つファーン・カンフリーエと高位のルーンに精通した《蒼穹の台》の組み合わせで初めて成り立つ「ツイフォン」と呼ばれる超長距離用の会話ルーンだった。いや、呪法に近いとラウはイオスに聞かされていた。
ただし、いつでもどこでも会話ができるというたぐいのものではなく、制限が多いのも特徴だった。
文献によると、ツイフォンとは
・双方が存在する連続的な空間の大気が安定していること
・媒介(この場合はファーン)の精神が安定していること
・媒介に肉体的な損傷がないこと
・術式が行われる際の媒介に自我があること
・術者(この場合は《蒼穹の台》)が媒介にツイフォンのルーンをかけて、一定の期間内であること
・前回の術式から一定の時間が経っていること
加えて
・媒介の精神的な消耗が激しく、会話はごく短時間に限られる
とある。
つまり、連続した大気の状態が安定している必要性から、遠距離とはいえ、事実上その距離には限度があった。また、ルーンの効果期間は術者と媒介の能力次第であるから、これもあまり遠く離れてしまうと不確定要素が多すぎて不可能だと言えるだろう。
ファーンはかつて《蒼穹の台》の部下であった。それはその特性を見込まれて部下として選ばれたのかもしれない。そう考えるとラウにファーンを部下として与えたのは連絡手段の確保としてイオスにとっては極めて合理的な判断と言えた。
「君は今、どこにいるんだい?」
「昨夜、サラマンダの北西に位置するトゥセークの港町に入りました」
「トゥセークか。なるほどシルフィードに渡るつもりだったんだね。船に乗る前に連絡が取れて良かった。じゃあ、悪いけどそこから内陸部に戻ってもらうことになるね」
「承知しました」
「君はジャミールの隠れ里の事は知っているね?」
「ジャミール……ですか」
ラウは里の名前を聞くと口ごもった。
かつてシルフィードが国内から追放した部族がサラマンダに安住の地を求めて移住し、多くは隠れ里と呼ばれる外界から隔絶された土地で生活を始めた。
だが、移住したと言われる部族はすでにほとんど残ってはいなかった。
その現存する数少ない隠れ里の一つがジャミール族の隠れ里である。
当時サラマンダに残っていた隠れ里の多くは基本的にマーリン正教会の信心深い信徒が共同体のように一族の営みを続けている排他的な集落で、ドライアドに移り住んだ後、正教会の保護を受けているところもあった。ジャミールも正教会の定期的な観察集落として末席ながら名を連ねている。
正教会の賢者であれば、そういった正教会の付随活動についても知識があり、賢者特権により閲覧も自由だ。ラウも当然ジャミールの名前は知っているはずだった。
だがラウは、そういった正教会側の人間と同じ目の高さでジャミールを知っているわけではなかった。
「ちょっとした事件があってね。この間、現存する《真赭の頤》の研究施設も一通りつぶさに調べさせて貰った。結構面白いことがわかったよ。妙な物も発見した。まあ、それはいいけど、だから僕は君がジャミールとは多少の関係がある事もすでに知ってるよ」
《蒼穹の台》が何のことを言っているのかは、当事者であるラウにはすぐわかった。だが、その少なからず因縁が「あった」隠れ里に今更三聖がどんな用があるというのだろうか。ラウはそこが解せなかった。
「ジャミールで私は何をすればよろしいのでしょう?」
「捜し物をしてもらいたい」
「捜し物、ですか?」
「君に捜して欲しいものは、炎のエレメンタルだ」
ラウはさすがに我が耳を疑った。《蒼穹の台》はまるで置き忘れた眼鏡の捜索を頼むかのような淡々とした口調でさらりと『炎のエレメンタルを捜してくれ』と言ったのだ。
もちろんそれはラウの聞き間違いなどではなかった。
「炎のエレメンタルと……おっしゃいましたか?」
「僕が冗談を言っているとでも思っているのかい?」
「いえ、滅相もない」
ラウは思わず、ファーンに頭を下げた。
「もちろんジャミールの里の人間を片っ端から捕らえて身ぐるみを剥いで「エレメンタルの徴」を探し回れなどと言っているわけではないよ」
「は、はい」
「『それ』には一目見てわかる特徴がある」
「特徴、ですか」
「黒い髪と黒い瞳を持つ少年だ」
「炎のエレメンタルとは瞳髪黒色(どうはつこくしき)の者なのですか?」
「どうやら君はよほどピクシィには縁があるようだね」
「いえ、それについてはなんと申し上げてよいか」
「それから、その少年が本当に炎のエレメンタルかどうか確認する為にわざわざ『徴』を見つける必要はないよ。ただ、ジャミール族の里にピクシィの少年がまだいるのかどうかだけを確認してきて欲しいんだ」
「ジャミールにピクシィの少年が何人も居たらいかがしましょう?」
「ダーク・アルヴだけの隠れ里にピクシィの少年がそう何人もいるものか。とはいえ君の言いたいことはわかる。一応そのピクシィの名前を伝えておくが、その名前が正しいかどうかはわからないよ。どちらにしろ、もしピクシィが複数人いたら何人いたのか数えてくれればいいさ。簡単だろう?」
「御意」
「炎のエレメンタルの名はルルデだ。くれぐれも言っておくけど、その少年には絶対に手を出さないように頼むよ。僕からの注意はその一点だ」
「はい」
「それから、たぶんあの里にはまともに入ることは出来ないと思うけど、その辺の問題は君の判断に任せるよ。一から十まで僕が指示したんじゃ三席賢者の名前が泣くだろうしね。君には《群青の矛》がいる。彼女を上手く使いなさい。里人と出会ったら、《真赭の頤》の使いだと言えばいい。里人には君が決して敵ではないと言うことは知らせておかなければならないよ。争いに行くわけではないのだからね。《真赭の頤》の名前で話が通じなければ《深紅の綺羅(しんこうのきら)》の手の者だと告げればいい。もちろんその名を出す事によって生じるすべての責任はこの僕がとる」
「《深紅の綺羅》様の手の者と言って良いのですか?」
「心配はいらないよ。そもそも君は間違いなく《真赭の頤》の関係者だ。堂々とそう言えばいい。《深紅の綺羅》の件は僕を通じた間接的な依頼だと言うことで君の中で了解したまえ」
「はい」
「僕以外の三聖の名を使うからと言って何も萎縮することはない。君は深紅と会ったことは?」
「いえ」
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