第四十八話 ジャミールへ 3/4
「アモウルさん、この丸ネズミちゃんのお名前はなんと言うのですか?」
「名前ですか」
エルネスティーネがアキラにマーナートの愛称を尋ねると、アキラはバツが悪そうに苦笑して頭をかいた。名前はまだ付けてないと言う。
それを聞いたエルネスティーネはすかさず自分が名付け親になることを申し出たが、なんとそれはあっさりと受理された。
「ありがとうございます。お礼にファランドールで一番ステキな名前を考えます」
そしてその日一日丸ネズミを懐に入れたり肩や頭に乗せたりして名前を考え続けたエルネスティーネは、夕食の時に極めてもったいぶった態度で一同にその「ファランドールで一番ステキな名前」を披露した。
「『マナちゃん』に決めました」
『ファランドールで一番ステキな名前、なんだよな』
【カラティア家の情操教育については、一度ティアナの忌憚のない意見を聞いてみたいもんやな】
『いや、やめといた方がいいと思うぞ』
その名前を聞いた一同が、エルネスティーネにはある特殊な命名の才能があることを認識したのは言うまでもないが、アキラだけは例外で、即座に「素敵な名前だ」と褒めそやした。
そして彼の不用意なその一言は、一同に芸術家としてのアキラの素養に多少の欠陥が存在しているのではないかという疑問を生じさせるのには充分だった。もちろんアキラ本人にそのような自覚は一切ないようではあったが。
それからはもうなし崩しであった。
マーナートの「マナちゃん」の実質的な飼い主はエルネスティーネになったのだ。
「元々あの『マナちゃん』はそれほど私に懐いてはいなかったようだからね。馬が合う相手が見つかってよかったと思っている」
「なぜ名前をつけてなかったのさ」
「名前を付けてしまうと情が湧くじゃないか。そうなると別れが辛くなる」
「変わった人だね、アモウルは」
「君にそう言われるのはなんとなく心外だが、ここはまあ褒め言葉と受け取っておこう」
その頃になると一行のアキラに対する警戒心はそれなりに緩んでいた。あのシェリルの事件があった夜にエルデが思わず漏らしたように「隙だらけ」に見えたし、表面上は「いいお兄さん」であった。既に述べたように話題も豊富で「面白い奴」でもある。横笛の演奏は相変わらず感動的であり、加えて怪しい素振りなどは一切ない。
アプリリアージェとエルデも毎晩アキラについてはお互いの情報をもとに密かに確認しあっていたが、ル=キリアがその気にならずとも、エルネスティーネでさえ後ろから矢を射て横笛の名人の命を取ることなど極めて容易に思われた。
「強いて言えば、怪しくないところが怪しいのかもしれません」
アプリリアージェと一緒に見張り当番になった夜に、彼女がエルデにそう言ったが、エルデも同意見だった。
要するに怪しくないのだ。
勿論警戒は怠らないにせよ、である。
『ヴェリーユまで本当についてくるつもりなんだろうな』
【そうやな。でもまあ、ヴェリーユではあの公爵符が何より役にたちそうやから非常にありがたいんやけど】
『そうなのか?』
【ああ。あそこは特殊な町やからな】
ヴェリーユまではまだまだ遠かった。つまりはしばらくの間アキラは旅の仲間として彼らと同行することになると言うことだった。
そしてシェリルと別れて十日目の昼食の時である。
アトラックはもったいぶった咳払いの後、一行に提案をした。
「毎日脅していたけど、物資がそろそろ本当に底を尽きかけてます。このシチューがちゃんとした食事としては最後になるでしょう。それから予め言っておきますが明日の朝のベーコンはなし。干し肉入りのおかゆで我慢してもらいます」
「あんなに薄く切っていれば一年分くらいあるのではないのか?」
ティアナがわかりやすい嫌みを言ったが、ことベーコンの話題になるとアトラックはひるまなかった。どうやら二人の間にはベーコンの厚みに対する根強い確執があるようだった。ちなみにこの件に関してはファルケンハインもまたアトラックの強敵である。
「俺が『適切に』切っていたからこそ、ここまでもったんです。いいですか、足りない分は各自の非常食の乾パンで補って下さい。で、提案はここからなんですが、食料補充については選択肢が二つあります。一つはグワンデの町に入ること。ここからだと明日の夜には到着します。ただ、あの町はサラマンダ軍、つまりドライアドの委嘱軍の駐屯地でもあります」
「兵隊は嫌いだ」
エイルが言う。
ティアナも同調した。
「私もだ」
【よう言うようになったな、この根っからの軍人さん】
『けっこう融通がきくようになった、というか崩れてきてる気がするな』
【涙もろいっちゅうのはわかったけど】
『そう言えば最近、ネスティと話し込んでいても睨まれる事が無くなった気がする』
【ファルのおかげやないんか】
『ネスティの件はそうかもしれないけど、涙もろいのは素質だな』
【兵隊嫌いなのは?】
『それはたぶん冗談ってやつだろ』
「もう一つの選択肢は、目と鼻の先にあるダーク・アルヴの隠れ里です。こちらはサラマンダ軍の駐屯地もないし、今日の夕方には到着します。さてどうしますか?」
すかさずアキラが手を挙げた。アトラックがどうぞ、と促す。
「つかぬ事を尋ねるが、選択肢などないような気がするのは私だけだろうか?」
アトラックはアキラの質問を待ってましたと言わんばかりに嬉しそうに頬を緩ませた。
「近い方は多少山道が険しいのと、『ダーク・アルヴだけの集落』というのがあるという噂が存在するだけで他には確実な情報がないのが問題でして」
サラマンダの山岳地域の地理や情報に詳しいアトラックがそう言うのだ。山道は相当険しいのだろうし、ダーク・アルヴの隠れ里の様子は本当に不明なのだろう。
「でも今日は、そこでちゃんとした寝床にありつけるかもしれませんよ」
アトラックは、「山道が険しい」と言った後にエルネスティーネの顔が曇ったのを敏感に察知すると、その短い金髪のお姫様の方を向いて明るい声でそう言った。
「サラマンダにダーク・アルヴの里か。珍しいな」
ティアナがつぶやいた独り言に、横あいのファルケンハインが説明した。
「隠れ里だ。おそらくサラマンダでは知られておらず、むしろシルフィードの方がその存在を把握しているのではないかな」
そして少し間をおいて低い声で付け加えた。
「ただ、今もあるかどうかはわからないらしいが」
「というと?」
「こちらの情報筋の話だとこの五年ほどは確認情報がないらしい」
「村があるかどうかも定かではないと言うことですか?」
ティアナはやや不満気にそう言ったが、なかった場合には引き返すという選択肢もありだとは思った。それにアトラックの口ぶりからは問題なく存在しているような妙な自信が感じられたのだ。可能性が低ければ最初からグワンデに向かうと思われた。
さらに、地理に詳しいアトラックによれば
「その里の奥にある洞窟を抜ければ、グワンデ側から谷を迂回する経路より一週間から十日は稼げますよ」
と言うことだった。
「しかも、ル=キリアの足での換算です」
そう付け足したアトラックに目配せをされたティアナとしてはもう断る術はなかった。ル=キリアの小隊の足で一週間分も稼げるのだ。エルネスティーネの足の一月分にも匹敵するのではないか。
「安全であるなら、私に異存はない」
そう言っていったん会話を句切ったティアナだったが、少し間をおいた後、何かに気づいたようにファルケンハインを見上げて訪ねた。
「そもそもその村は何なんです?ダーク・アルヴならシルフィードで暮らせばいいものを。こんなところではアルヴ族であるというだけで迫害にあうこともあり得るのではないのですか?」
ティアナの言葉にファルケンハインは顔を曇らせた。
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