第四十五話 エレルアリーナ 4/6
『なあ?』
【なんや?】
『いいこと思いついたんだけど』
【いいこと?】
『オレがこのままシェリルと一緒にいるっていうのはどうだ?』
【え?】
『だから、シェリルのそばについててやるんだよ』
【ルルデの代わりに、か?】
『そうだな』
【やめとき】
『やっぱりそれはダメか』
【わかるやろ?】
『じゃあ、もう一つの方法しかないな』
【もう一つの方法?】
『たぶん、お前にしか出来ない作戦だ』
【?】
「シェリル」
エイルはシェリルに優しく呼びかけると、落ちていたマントをシェリルに羽織らせて前を合わせてやった。
そしてそのままギュっとシェリルを抱きしめた。
【おい、エイルっ!】
頭の中で怒鳴り声がしたがエイルはそれを無視すると、両手をシェリルの肩に置いてゆっくりと引き離してから、優しく告げた。
「全部話す。オレの知っている本当のことを全部。だから、着替えてたき火のところまでおいで」
シェリルは泣き腫らした顔を上げてエイルを見た。エイルはその顔をじっと見つめたままで声をかけた。だが、それはシェリルにではなかった。
「リリアさん、そこにいるんだろ?」
【え?】
『多分今来たところだ』
【ぜんぜん気付かんかった……】
「大きな泣き声が聞こえたので何事かと思ったんですが」
やや遠慮がちなアプリリアージェの声だけが聞こえた。エイルの言ったとおり、やはりすぐ側にはいるようだった。窟の中の状況を目撃されたかどうかまでは定かではなかったが……。
「聞いていただろ? リリアさんにも話があるんだ。見ての通り事情があって明日じゃなくて今すぐの方がいいんだ。できたらみんなにも……」
「そうですね。でも、起こす必要はなさそうですよ」
当然ながら泣き声は辺り全体に聞こえていたのだろう。既に他の一行も様子をうかがいに集まって来ているようだった。おそらく、アプリリアージェが中を覗かないように指示をしていたに違いなかった。
「来られるよな?」
エイルがそう確認するとシェリルは弱々しくコクンとうなずくと、マントの前を合わせて立ち上がり、裸足のままでエイルの窟を後にした。
【おい、何を考えてるんや?】
『協力しろ』
【その前に俺の質問に答えろ】
『今が、その時だとオレは思う』
【まさか】
『もう一度言う。協力しろ。オレはもう決めたんだ』
数分後。
何事だ?という顔で一同は焚き火を囲んで座っていた。もちろん視線はエイル・エイミイに注がれていた。
シェリルは少し遅れて現れたが、エイルが手招きすると少し顔を輝かせ、素直に隣に来て無言で座っていた。その様子をベックが心配そうにチラチラと見ているのをエイルはもちろん気付いていた。
一同の中には当然ながらアキラもいた。例の泣き声騒ぎで当然ながら目を覚ましており、たき火を囲む輪の中に座っていた。
その姿を認めたエイルは、最初にアキラに声をかけた。
「アモウルさん」
「ん?」
何の説明もなくいきなり名指しされたアキラはさすがに少し身構えた。一行の間で何かがあったらしいことは雰囲気でわかってはいたが、自分が関係しているとは露ほど思っていなかった。従ってエイルにいきなり声をかけられるのは想定外の事だったのだ。
「今、何か落としましたよ」
「え?」
倒木に腰掛けていたアキラは、エイルに言われて思わず足下を見た。焚き火で照らされている地面には、しかし何もない。
(いったい何だ?)
そう思って顔を上げた瞬間、アキラの視界は闇に落ちた。疑問が生じる前にすぐに視力は回復したが、今度は強い睡魔に襲われた。
何が起きたのかを考えようとする時間もなく、アキラの意識は急激に混濁し、そのまままるで底なしの谷に落下するように意識を失った。
「この人、隙だらけだな」
エルデはその場でがっくりと頭を垂れて意識を失っているアキラに近づくと、首筋に手をあてて脈を、そして顔を上向かせてまぶたを開き瞳孔を確認した上で、自分が羽織っていたアルヴスパイアのマントをそっとかけてやった。
「あの、これは一体どういう事ですか?」
それまで誰も何も口にしなかった中で、エルネスティーネがおそるおそるエイルに声をかけた。
エイルが精杖から黒とも紫色とも見える光を放った後、掌を広げて短いルーンを唱えてアキラを眠らせたという行為そのものは目で見て理解していた。ただ、その行為に何の意図があるのかがわからなかった。
「これから、この人にはちょっと聴かれたくない話をするんだ」
エルネスティーネに簡単にそれだけを言うと、エイルはシェリルの方を見て声をかけた。
「今からオレが言うことは、全部本当の事だ。誰かの記憶でもなければ作り話でもない。それを、最後まで聴いてくれるか?」
シェリルは泣きすぎてはれぼったくなった白い顔を上げると、その珍しい鳶色の瞳でエイルの顔をじっと見た。自分をまっすぐに見つめるエイルの目に焚き火の炎が揺れていた。
「なかったわ」
「え?」
シェリルが何かを呟いたが、声が小さすぎてエイルの耳には届かなかった。いや、向きが悪かったのだろう。エイルは右の耳をシェリルの方に傾けると問い直した。
「傷が、なかったの」
「ランダールで見ただろ? オレに肩の傷は、ない」
エイルの答えにシェリルは首を横に振った。
「ちがうの。太ももの後ろ側……お尻の下あたりに傷があるのよ、ルルは」
【そうか!】
『さっきのは……』
【うん。その傷を確かめに来たんやろうな。本人には見えへん場所や】
『それで下履きを脱がされていたってことか』
【でも、裸で来ることはないやろ?】
『思い出させるなよ』
【思いださへんように、お前の記憶を綺麗さっぱり消去したろか?】
『して欲しいよ、まったく』
「そうか」
「でも、さっき見たらなかったの」
「うん。そんな傷はない」
「なぜ? なぜ傷を消すの?」
「シェリル」
エイルはシェリルの両肩に手をかけた。
「これから、その話をする。だから聴いてくれ」
シェリルは目の前のエイルを見て、エイルの後ろにいるファルケンハインを見た。そしてぐるっとその場にいる全員を見渡した。そこにいる全員が心配そうな顔で自分の方を見ているのを、シェリルは理解した。
シェリルは再びエイルに視線を移すと、小さくうなずいた。
「ありがとう」
エイルはそういうと、シェリルの肩に置いた手を離した。身長はエイルとあまりかわらないくらいのシェリルだったが、肩は比べものにならないほど細かった。
エイルは何かを決心するようにスッと大きく息を飲み込むと、意を決したようにゆっくりとしゃべり出した。
「オレの本当の名前は、エイル・エイミイじゃないんだ」
勿論、その一言でその場には言いようのない空気が流れた。
「え?」
「え?」
エイルの一言は一行に大きな動揺を生んだ。
思わず声を上げたのはエルネスティーネとティアナだった。
ファルケンハインとアトラックは顔を見合わせ、ルネ・ルーはハロウィンを見上げた。
しかし、エイルはその様子を横目でチラリとは見たものの、それには反応せずに無言で目を見開いただけのシェリルに向かって、話を続けた。
「これは嘘じゃない」
「ここは黙って話を聞きましょう」
アプリリアージェは小声でエルネスティーネにそういうと、腰を上げかけていた金髪の少女の肩にそっと手をかけた。エルネスティーネはその言葉に素直にうなずくと腰をおろして膝を抱えて座り直した。そしてエイルの表情を見逃すまいと目をひときわ大きく開けて、その横顔を見つめた。
「それから、オレはファランドールの人間でもない」
「え?」
今度はシェリルも声を出した。
「信じられないかもしれない。いや、すぐに信じて貰えるとはオレも思っていないけど、でも本当なんだ。オレはフォウ……正確にはこの世界の人間に『ファランドール・フォウ』と呼ばれている異世界から、何かの間違いで『こっち』へ迷い込んでしまった人間なんだ」
【ええんやな?】
『頼む』
【共犯……っちゅう事で】
『どうせお前とは一蓮托生なんだ』
【ふん、あんまり嬉しないな】
『そうか。でもオレはお前が居てくれて良かったと思ってる』
【ふん】
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