第四十五話 エレルアリーナ 5/6

 

 エイルは自分を見つめるシェリルの眼をじっと見ると口の中でほとんど聞き取れないような声で何かを呟いた。そしてすぐに普通の声で話を続けた。

「でも、実のところオレはこっちにやってきた時にフォウでの記憶がかなり抜け落ちている。本当の名前も思い出せない」

 少しずつ区切って喋り、シェリルの様子を見て、そしてまた話を続ける。

 その繰り返しでエイルは自分の存在の唯一性をシェリルに理解して貰おうとしていた。

「都合のいい話なんだけど、重要な所はほとんど覚えていない。でも、どうでもいい記憶は鮮明に残っていたりするんだ。間違いなくオレはこのファランドールの人間なんかじゃない。それは間違いない」

 一行は押し黙って、エイルの話をじっと聞いていた。

「オレはだから実は賢者じゃない。そもそもオレはルーンなんて使えないんだ。オレはフォウではこのファランドールで言う「剣士」だった。だからここでも剣は使える」

 少し話すとまた、小さな声でエイルは何かを呟いた。

 つぶやくのはエイルではなく、実はエルデだった。エイルの会話の間に、エルデが周りに気付かれにくいようにルーンを唱えていた。何度も。何度も。

「でも、あなたはルーンを使っていたじゃない。今だって」

 そう言ってシェリルは眠っているアキラの方を見た。

「だな。あれは間違いなくルーンだ」

「どういう事?」

「かけたのはオレじゃない」

「オレじゃない?」

 オウム返しのシェリルの問いにエイルはうなずいた。

「ここからはエイルに代わって俺から説明するわ」


『後は、頼む』

【フン。そもそもの予定が大狂いやけどな】

『予定なんかしてなかったくせに』

【抜かせ。俺が立てた綿密な計算は、リリア姉さんの秘密と引き替えに小出しにしていく、っちゅう壮大な……】

『リリアさんの秘密?』

【例えば……せやな。あれだけ大量に呑んだワインは一体あのちっちゃい体のどこに入ってるんやろ、とか。胸か? 胸なんか? とか】

『はいはい。確かにすごい秘密だな』

 

 エイルの口調が一瞬でガラリと変わった。

 よく観察すると、表情も少し違う。いや、そもそも纏っている雰囲気が全く別物と言えた。それがわかるものには敏感にわかるのだ。

 エルデは普段、それを極力隠すように振る舞っていたが、今は隠す必要はないと判断したのだろう。そこにいる誰もが「エイルとは違う人間」をそこに認識していた。

 エルデはチラリとアプリリアージェの方を見た。確認するまでもなくアプリリアージェをはじめ当然ながら全員の視線はエイルに集中していた。

 もちろん、もう誰もがいったい何の為にエイルがわざわざ夜中に全員を招集したのかなどと疑問に思いはしなかった。

「リリア姉さんは多分気づいてたと思うけど、俺はこいつ、エイル・エイミイとは違う人格や」

 そう言ってエルデは右手の人差し指で自分自身の顔を指さして見せた。

「違う人格ですって?」

 エイルの言葉を、シェリルがぼんやりと繰り返した。

「わかりやすう言うと、一つの体を二人で共有してるって感じや。念のために言うとくけど、この体は俺のやのうてエイル自身の体や。つまり、俺がエイルの体を借りてる形やな。あ、それからエイル・エイミイという名前はこいつがフォウからファランドールに来た時に自分の名前を思い出されへんっちゅうて泣いてたから、俺が憐れんでわざわざ付けてやった名前や。本人もこの名前が大のお気に入りなんはみんなも知っての通りや」

 

『ウソを言うな、ウソを』

【最初はホンマに気に入ってたやろ? せやからウソやない】

『うう……』


「エイルはフォウの剣の使い手。俺はファランドールのルーナー、エルデ・ヴァイス。俺達の正体は以上、や」

「あなたはルルじゃ……ない?」

 エルデはシェリルの目をじっと見つめたままで大きくうなずいた。

「しつこいようやけど、俺の方からも言うとく。こいつは間違いなく俺が手違いでフォウからファランドールに引っ張って来てもうた異世界人で、ルルデとは徹頭徹尾、首尾一貫、正真正銘、公明正大、ついでに頭の先からつま先までまったくの別人や」

 

『お前、もうネスティにツッコミを入れられないぞ』

【アレはアレ、これはこれや】

『いや、意味がわからん』


「でもほら、こんなにそっくりなのに?」

 シェリルは右手を伸ばして、エイルの頬に触れた。エルデはそれを制するでもなくされるまま、首を横に振った。

「そっくりかどうかは俺もエイルも知ったことやないけど、少なくともこいつは二年前まではフォウで違う名前を名乗って、のほほんと暮らしていたボンクラ学生や」

 

『知らないくせにボンクラとか言うな。それからのほほんと暮らしてたかどうかも知らないくせに』

【言葉の綾や】

 

「学生?」

「エイル本人がそういうてるからそうなんやろ。当然やけど、俺は見てへんから知らんけど」

「でも、剣士って言ったよね?」

「剣士は剣士でも兵士やない。本人のあやふやな記憶やと、競技剣士やそうや。勉強の片手間に趣味で剣を振るっているっていうか、そんな感じやな。ファランドールと違うて、フォウには戦争や殺し合いはないらしい。みんな仲良く暮らすこの世の楽園みたいな世界なんやそうや。まあ、ただし、エイルの記憶やとフォウにはデュナンとピクシィしか居らへんみたいやけどな」

「シェリル、ちょっといいかい?」

 口をはさんだのはハロウィンだった。

 エイルにではなく、シェリルに声をかけた意図は、エルデに声をかけても先ほどのエルネスティーネのように無視されるかもしれないと考えての行動だった。

 シェリルは案の定反応してハロウィンに顔を向けた。

「ハロウ先生?」

「その……何だ。異世界フォウについてはいろいろな説があるんだが、そのうちの一つに並行世界説というのがある。二律世界とも言う。時間の流れや世界の法則がずれた二つの世界が同時に存在しているという説なんだが、その説にはそっくりな人間が両方の世界に同時に存在しているというものがある。双子なんかよりよほど似ているエイル君の場合はそれなのかもしれない」

「並行世界……」

 シェリルはそう呟いて視線をエルデに戻した。

「そっちの方は専門やないから俺からは何とも言われへんな。言うとくけどエイルに聞いても無駄やと思うで。ただ、その説は当たってるんかもしれへん。エイルは時々初対面の人間を見て、どこかで会った事があるって言うてきかへん事があるからな。ひょっとしたら俺やシェリルそっくりな人間が異世界ファランドール・フォウにも居てるんかもしれへんな」

 エルデはそういうと、そこで一旦言葉を句切った。シェリルがどう反応するかを見る為だが、先ほどから細かく幾重にもかけていたルーンの効き目を確認する意味もあった。

 静寂が訪れた。エイルとエルデを除いて、その場にいた全員が、今聞いた事をそれぞれの持つ常識と戦わせながらどうにか咀嚼しようともがいている状態とも言えた。

 質問は山ほどあるだろう。エルデはもちろんそれも予想していたが、エルデ自身は質問に対してあまり多くを語るつもりはなかった。明かすわけにはいかない事柄がまだまだ多すぎた。

「いつか話してた妹さんも……フォウにいる妹さんなのね」

 エイルはうなずいた。

「うん。マーヤはフォウにいる人間だ。だからオレはフォウに帰る為にエルデとこうして旅を続けているんだ」

「あなたは、エイル?」

「うん」

「エイル・エイミイ?」

「うん」

「そして、エルデ・ヴァイス?」

「うん。この中にいる」

 エイルはエルデと同じように自分の頭を指さした。

「じゃあ……」

 シェリルは一変、眉根に皺を寄せるとエイルの襟廻りを両手で掴んで立ち上がった。

「じゃあ、ルルデはどこなの?」

「シェリル」

「私は聞いたのよ、リリアさんに。ルルの体は見つからなかったって」

「え?」

 エイルは思わずアプリリアージェを見た。いつもの笑顔がそこにあった。

 視線が合うとアプリリアージェは小さくうなずいて見せた。

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