第四十五話 エレルアリーナ 2/6
アプリリアージェの言葉が合図となり、アキラの演奏会はお開きとなった。
銘々、明日に備えて寝所に向かったが、ファルケンハインとティアナの二名はその場に残り、小さなたき火を前に並んで腰掛けた。見張りの当番である。
今までは一人ずつ交代で行っていたが、アキラが一行に加わった事により、アプリリアージェは二人一組体制に変更した。
「シェリルは、今の曲に何か思い出でもあるのだろうな」
木々の枝で周りを覆われた狭い頭上視界から、それでも無数の星が光る夜空を見上げながら、ファルケンハインがぽつりと呟いた。
ティアナはつられてその視線を追って上を向いた。森の木々の合間から見える空を二つに分断する煙のような星の河が見事に白い。そしてそのまわりにも無数の光が闇に散らばる様は、ティアナを妙に感傷的にしていった。
「サラマンダの山岳地帯はシェリルにとっては言わば地元。それにあの曲は求婚の歌だと言う事でしたね」
「そうだな」
「それに、あの旋律は美しすぎました」
ティアナのその言葉を最後に、二人はそれ以上シェリルの事については触れなかった。
エイルは自分にあてがわれた寝所で横になると、引きずり込まれるような睡魔に襲われた。ウーモスを出てからの気疲れのせいなのだろうと自らの睡魔を分析したエイルは、その誘惑に抗うことはせず、身を任せるように意識を遠のかせた。あっさりと眠りにつこうとしているエイルに気付いたエルデが、慌てて意識の回復をはかったが、それはむなしく失敗に終わった。
【しもたなぁ……うーん、でもまあ、しゃあないか】
まるで崩れ落ちるようなエイルの眠りには多少の違和感を覚えたものの、エルデ自身も疲労の蓄積を感じていたこともあり、あっさりとエイルの覚醒は諦めることにした。
エルデの敷く精霊陣の結界には一つ大きな欠点があった。
それは、術者の意識がなくなると消滅する、というものだ。つまり効果的ではあるが、長期継続は困難だということになる。アロゲリクの戦いの際は有事であり、強化ルーンの助けもあって眠らずに行動することができていた。だが、それでも数日が限度だったであろう。
つまり、エイルやエルデを眠らせる為には見張りが必須だと言いうことになる。またエルデほどのルーナーが精霊陣の力を借りなければならない結界と言うことは、それだけエルデの消耗が激しいことは容易に想像ができる。それを知らされている一行にとっても日常的においそれと使いたくはない術なのは確かだった。
結界を使った広範囲のルーンはそういう弱点があったが、エイル自身が普段眠る時に使う結界ルーンは別で、意識が無くとも効力があるものだった。もちろんそのかわり、効果の及ぶ範囲はごく狭い。まさに一人用と言っていいものだ。眠りにつく前にはいつもそのルーンを纏ってから横になることを習慣にしていた。それは長い間一人で各地を旅してきたエルデとしてはあたりまえの自己防衛であったのだ。
だが、その夜、エルデはその一人用の結界ルーンをエイルの意識があるうちにかける事ができなかった。
少し思案したエルデだったが、次の見張り当番に当たっていたため、さほど長時間でもないと判断して、そのまま眠りにつくことにした。ファルケンハインとティアナが見張りだということで安心感もあったに違いない。言い換えるならば、無防備な状態を預けられるほど、エイルとエルデは無意識のうちに彼らに信頼感を持っていたということになる。
だが、間の悪い時に限って小さな「うっかり」をするものだとうことを、エイル達はすぐに知ることになった。
エイルが眠りについてからどれくらい経ったろうか。
夢も何もない、粘度の高い泥沼のような深淵にどっぷりと浸かったかのような眠りが、寝苦しさによって覚醒した。
かなり深い眠りから一気に現実に引き戻され、エイルの頭はまだぼうっとしたままで、寝苦しさの原因特定にまで頭が回らない状態にあった。
あたりは薄暗いが、眠る前に灯しておいた自光石セレナタイトの光がまだぼんやりと残っていて、エイルのささやかな寝床廻りを照らしていた。
アトラックが昨夜見つけた一行の野営地はなかなか豪華で、高い木で覆われた階段状の岩肌にいくつもの窟がある大昔の遺跡のようなものだった。
「古代宗教関連の祈祷窟か、もしかしたら鳥葬場だという説があるようです」と歩く図書館らしい知識をアトラックが披露していた。
エイル達はその窟の一つを自室よろしく使って眠っていたのである。
窟自体は一枚岩を根気よくくり抜いたもので、人一人ならそれなりにくつろげる程度の広さがあった。それはだいたいどの窟も同じような大きさで揃っていて、宿屋のようなつくりと言えた。
窟の高さはエイルがかがんでなんとか動ける程度だから、アルヴの三人やデュナンにしては大柄なアトラックにはちょっと低いと言っていいだろう。
エイルはようやく自分がアロゲリク地方のその遺跡の窟で眠っている事を思い出すと同時に、寝苦しさの原因である違和感をはっきりと感知することに成功した。
原因は簡単な事だった。体が動かないのだ。
いや、正確に表現するならば、そういう状態ではない。誰かがうつぶせのエイルの背中に乗っていた。
(誰だ?)
何とか体勢を変えようとした時、エイルの耳元で声がした。
「騒がないで」
エイルにとってその声は、背中に乗っている人物の特定をするには充分な情報であった。
相手が判明した事で、とりあえず無理に動くのはやめた。自分に危害を加えるような相手ではない事を知ったからだが、代わりに違う種類の不安が襲ってきた。
『エルデっ、起きろ。っていうか、起きてるか?』
エイルが目覚めると眠っていたエルデもそれに呼応するのか、たいていは起きてくる。
【ん? 見張り?】
頭の中のエルデの声に、エイルはほっとした。
『まずい状況なんだ』
【え? どうしたん?】
『オレの上に』
【うん?】
『シェリルが乗ってる』
【はあ?】
『言っておくが、オレは寝ぼけてないからな』
「ごめんね。ぐっすり眠ってたから」
シェリルには訪れたねた相手がぐっすり眠っていたら上に乗る性癖があるのだろうか?と、エイルは一瞬そんな事を考えて現実逃避をはかろうとしたが、それはさすがに無理な相談だった。
シェリルの声を耳元で聞いたエルデが、状況を認識すると同時に、エイルの頭の中でものすごい剣幕で怒鳴った。
【説明せえっ!】
『いきなり無茶言うなっ』
【問答無用や。裸でこんな状態になってる言うのに、言い訳なんてできへんで。ウチが眠ってる間にお前は……】
『れ、冷静になれ。裸じゃないだろ?』
【あ……そう?】
『少なくとも上は着てるだろ。この状態だとそれ以外が見えないからそれ以上の事は不明だがな』
【説明せえっ!】
『だから、無茶言うなって言ってるだろ。目が覚めたらこの状態だったんだよ。いや、この状態になったから目を覚ましたのか。いや、そんな事はどうでもいい、どっちにしろ目を覚ましたらこんな状況だったから、慌ててお前を呼んだんだろうが』
【今まさに目を覚ましたところなんか? この状態で?】
『うん』
【起きたら、シェリルが背中に乗ってた?】
『うん』
【上に乗られるまで全く気付かずに眠りこけてたって言うんか?】
『うん。まったく気付かなかった』
【お前らしゅうないやん……あっ!】
『どうしたんだよ、急に?』
【しまった、一服盛られたんか】
『盛られた?』
【今夜に限ってあっと言う間に眠りこけたからおかしいなって思てたんや。くそ、シェリルめ、眠り薬を紅茶に入れたんやな】
『あ、そう言えば夕べは異常に眠かったっけ』
【こっちに味覚がないのを知っているから、ある意味、俺らには何を入れようが味が変わろうが、関係ないしな】
『お前のいつもの強化ルーンも最近手抜きだったしな』
【誰も信じるな。そして何も信じるな……。信じたとたんにコレや】
『……』
【それはそうと、お前さんの寝相が悪いのが幸いしたな。仰向けで寝てたら腹の上に乗られてたところやで】
『反論したいが、それをしてはいけないような気がする』
【アホな事言うてんと、どうするんや?】
『だからそれを相談してるんだろっ』
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