第四十五話 エレルアリーナ 1/6
ウーモスを出て三日目は、アトラックが格好の野営地を見つけたこともあり、行程は短く、従って早めの夕食となった。
いつものようにシェリルが淹れる食後のお茶が振る舞われる時間になると一同の間にほっとした空気が流れる。
そしてその空気に釣られたのかどうかは定かではないが、ハロウィンの要望で夕食後にアキラが一同に横笛を披露することになった。
本来、楽器を鳴らす行為は、目立つ行動を取りたくない一行にとっては禁止行為の筆頭と言っていい。
こんにちまで歴史にその名を轟かすような大音楽家を輩出していない事実がそれを証明していると言えるが、アルヴ族にはあまり楽器を奏でたりする習性がない。その為にル=キリア一行からはそういった要求が出る事は今までは一切なかった。つまり、彼らにとってそれは異例の催し物であると言えた。
あまりありがたくない輩に自分達の居場所を教えるような行為をアプリリアージェが許すはずはないとエイルは思っていたが、予想に反して一行の「女首領」は、例の笑顔で
「私からも是非」
と、快諾した。
簡易とは言え、エルデが使う精霊陣による結界は、人のしゃべり声程度は外に漏らさないようだが、さすがに周波数帯も全く違う、鋭く突き抜ける笛の音のようなものまでは防げないと言う。アプリリアージェもアロゲリクにおけるスプリガンとの戦いの際にその説明をエルデから受けていたはずであり、それを知っていて、敢えて許諾したということになる。
エルデはアプリリアージェのこういう大胆な行為の意図をはかりかねたが、一応、狭い範囲ではあるが、精霊陣を二重に張っておくことにした。
【気休めやけど、ないよりはマシやしな】
加えてエルデは演奏に際し用心のために「魅了」や「催眠」に対する対抗ルーンを精霊陣に乗せておくことも忘れなかった。訓練や特性でそれらの精霊催眠系のルーンに耐性があるル=キリアはともかく、他の人間が術にかかってはたまらないからだ。
エイルもエルデも口には出さなかったが、それはもう暗黙の行為だった。
そう。カレナドリィの一件を二人が忘れるはずはなかったのだから。
ファランドール最大規模と言われるエストリアの音楽祭で、一度ならずも賞を勝ち取った事があるというアキラの笛の音は、その「自称」に違わず見事なものだった。
銀を加工して作られたと思われる彼の奏でるデュナンの二の腕ほどの長さの横笛からは、およそ、その冷たい外観に相応しくない深く暖かく、しっとりと心に染みわたる音が紡がれ続けた。
その艶やかな音色はエイルの知る「ファランドール・フォウ」の楽器、フルートやピッコロといった一般的な小型木管楽器とは一線を画すもので、どちらかというと土で作られたオカリナや竹で出来た尺八のような丸い、優しい音色に思えた。
曲はもちろんエイルは一度も聴いたこともないものだったが、アキラが奏でる印象的な美しい旋律には、すぐに心を奪われていった。
演奏直前に配られた二杯目の紅茶が丁度なくなる頃、二つの主題からなる変奏曲風の演奏が終わった。アキラの唇が銀色の笛から離れることにより訪れた静寂に引きずられるような沈黙が少しあり、その後そこここで深いため息が聞かれた。そしてやがてそれは拍手に変わった。
「素敵でした。これほどの演奏は生まれて初めて聞きました」
アプリリアージェが感動を包み隠さずに述べ、アキラに頭を下げて礼をした。エイルもまったく同感だった。
「まるで平原の気持ちのいい風に吹かれて、果てしない青い空を眺めているような心洗われる旋律でした。是非もう一曲」
エルネスティーネも両手を胸の前で組んで、心底感動したという思いを満面に出して追加の演奏を所望した。
アキラの演奏は、シルフィード王国の王女の心も虜にしたのである。
「まだまだ未熟ゆえ、過分なお言葉を頂きますと増長してしまいますので、ほどほどに願います」
アキラは軽い冗談とも謙遜ともとれる受け答えをすると、にっこりと笑ってこちらも改めて一同に礼をしてみせた。
「その、今のは何という曲なのだ?」
ティアナが尋ねた。
「不勉強で、あいにくと曲名は知りませんが、サラマンダ山岳地方の羊飼い達の間で伝えられている求婚の歌だそうです。美しい旋律が心に残ったので、それを拝借して私なりに手を加えてみました」
「その旋律は『エレルアリーナ』だな。意味は知らんがそう言われている」
サラマンダ山岳地帯出身のベックが短い解説を付け加えた。
『お前、そのエレルなんたらの意味がわかるか?』
【誰に向かって言うてんねん。けっこうなまってるけど、元はディーネ語やな】
『意味は?』
【エッレ レアール ディナ リーナ が正しいディーネ語やと思うけど、まあ、意訳すると『あなたが欲しい』や】
『うわ。身も蓋もない意味だな。まあ、まさに求婚の歌って感じか』
【求婚っちゅうか、直訳すると、行為を迫るというか……要するにもうちょっと生々しい感じやけど……】
『ふーん』
その時、エイルは横合いですすり上げるような声に気づいた。気づいたのはエイルだけではなかったようで、全員が一斉に声のする方を見た。
一同の視線の先でシェリルが声を殺して泣いていた。
「シェリル?」
隣に座っていたエルネスティーネがいたわるようにシェリルの肩を抱き、どうしたの?という風に顔をのぞき込んだ。
「ごめんなさい。何でもないの」
一同は顔を見合わせた。
たった今喝采を浴びたアキラも困ったような表情をアプリリアージェの方に向けたが、生憎と女首領からの助け船はなく、ただ首を小さく横に振られただけだった。
「もう大丈夫です。すみません、失礼して今日は先に休みます」
そういうと袖口で涙を拭いながら、シェリルは自分の寝所に去って行った。ベックがそれを追おうとして立ち上がったが、予想通りティアナに制された。
『なんか、いたたまれないな』
【もう何日かしたら、ハロウ先生が海路でウンディーネのどこやらにおる兄貴のところに送っていくとか言うてたし、それまでの辛抱やな】
『いや、辛抱とかそういう問題じゃなくて、だな』
【また悪い癖が出てるで。ル=キリアやネスティと違うて、シェリルは俺らが関わってええ人間やないやろ】
『そうなんだろうけど』
【それともお前、行ってシェリルを慰めるとか出来るんか?】
『出来るわけないだろ。でも、オレ達がウーモスに戻ったあたりからこっち、全く元気がないのが気になるんだよ』
【確かに、前はもうちょっと笑顔とか見せてたな】
『だろ?』
【とは言え、や】
『ああもう、わかったわかった』
「今日はここまでにしましょう。アモウルさん、またの機会にお聴かせ願えますか?」
「ええ、喜んで」
「ところで、その笛に彫られているのは、クレストですか?」
アプリリアージェはアキラの手にある銀色の笛に彫刻された紋章をめざとく見つけていた。
「ああ、これですか」
笛を持ち上げると、アキラはその紋章が刻まれた部分を見つめた。
「これはクレストではありません。この笛は大会で賞を頂いた後、褒美としてペトルウシュカ公から賜ったのですが、公爵が勝手に彫られまして『お前の紋章にしろ』と押しつけられたものなので、正式な紋ではありません」
「なるほど」
アプリリアージェは頷いた。所謂紳士録に載っている有名どころのクレストは彼女もおおかた覚えていたが、その白鳥を意匠にした紋章には見覚えがなかったのだ。
公爵から付与されたクレストだとすれば納得が行く。
ただ、紳士録に掲載されていない以上、「クレスト」と言うことはできない。この場合、「自らの徴」とでも言うしかないのである。
それは、シェリルの髪飾りに浮き彫りにされたリリエデールの花の紋章と同じものと言って良いだろう。公式なものではなく、その経緯こそが本人にとって重要なものなのだ。それはある意味親から受け継いだだけのクレストよりも時によっては重いものでもある。
「とても優美な紋章ですね。その意匠を創ったペトルウシュカ公爵という方には一度お会いしたいものです」
「首領なら彼も喜んでお会いになるでしょう。ぜひエスタリアへ足をお運びください」
「そうですね」
アプリリアージェは曖昧に言うと、にっこりと笑って白鳥の紋をもう一度見つめてから立ち上がった。
「さて、私たちもそろそろ明日に備えて英気を養うことにしましょう」
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