第四十三話 旅の音楽家 7/7

 

『マーナート? 』

【ウンディーネでは確か丸ネズミとも言うな。大人のデュナンの拳くらいのふかふかな毛皮をした可愛らしいネズミの仲間や。絶滅危惧種やねんけど、さすが放蕩ものやな。相棒が妙な小動物とは洒落てる。それより】

『ん? 』

【何であんな質問をしたんや? 】

『ああ、一人なのかって聞いたアレか? 』

【そや】

『さっきベックの評判を調べたって言ってたろ? 』

【なるほど、誰かに調べさせた……仲間がおるかもという読みか】

『ああ。まあ、単純に宿屋とかその辺の適当な連中に聞いたのかもしれないけどな。念のため、さ』

【へえ】

『何だよ? 』

【いや、俺は今ちょっとだけ自分の相棒を見直したんや】

『お前にそんな風に言われると、褒められた気がしないから不思議だよな』

【褒めてないしな】

『なんだと? 』

 

 エイルが頭の中でいつもの口げんかをしている間に、アキラは手付けの名目でドライアドのエスタリア金貨十枚をテーブルの上に重ね、すぐに身を翻してその場を去っていった。

「エスタリア金貨というと……」

 終始無言だったハロウィンがテーブルの上に置かれた金貨を一枚手にとってファルケンハインに手渡した。

「金貨としては珍しい金と白金の合金で出来ていて、さらにその金の純度も極めて高いと有名な金貨ですね。確かシルフィードの最高額金貨、アプサラス金貨の三倍ほどの値打ちがあります」

 ファルケンハインは説明するようにそう答えると、枚数を数えた。

「十枚と言う事は、とりあえず一人一枚、という事なのでしょうね」

 アプリリアージェはそういうと金貨の山から一枚つまんで、そのままベックに差し出した。

「あなたの取り分です。一時間後までに準備を」

 ベックはうなずくと素直に手を出した。アプリリアージェはつまんだ金貨をベックの掌の上にそっと置くと、その金貨を裏返して見せた。

 そこには、四輪の野薔薇のクレストが刻まれていた。

 

 会合場所のカフェを後にしながら、アキラは自らの失策に頭を抱えていた。

 失策に気づくのが遅すぎた。特殊なルーナーであるエイルの事で一瞬思考が停止したのであろう。それとも冷静さを欠いていたか、どちらかであった。普段ではあり得ない失策だったのだ。

 もちろん「トネリコの大樹と双美人」のクレストが象嵌されていた手鏡の件である。手鏡を受け取るときに目に入ったクレストだが、アキラはそれを当たり前のように意識の外に追いやってしまった。

 目の前にいた黒い髪のダーク・アルヴがアプリリアージェ・ユグセルであることは、もちろんアキラには予め解っていた。だからクレストを見た際にも「やはり」と自らの推理を確信しただけで、それ以上の事を考えられなかったのである。

 それよりもなによりも詠唱無しで難易度の高いルーンをサラリとやって見せた少年ルーナーに意識が集中しすぎていた。

 あそこでアプリリアージェがわざわざクレストを出して見せたのは、謎かけだったのだ。アキラにはそれが解っていたはずだった。いや、解っていなければならなかったのだ。

(おそらく、向こうも必死だ。あらゆる可能性を探っていると考えていい)

 その張られた網に、アキラはまんまと絡まってしまっていた。


 舌打ちを一つすると、アキラはいっそう歩を速めて手配していた宿へ急いだ。

 過ぎてしまったことは仕方のないことだった。その失敗を心の中で引きずって失敗を重ねる愚を避けなければならない。そう。二度とヘマはできないのだ。

 それよりも手鏡の件のうまい収拾方法を考えねばならない。それも、違和感なく、自然に納得できるような答えを用意しなければならなかった。くれぐれも焦って取り繕っているように思われてはならなかった。

 

(くそっ、あいつめ)

 アキラはまたしても酒場で出会った時のミリアの顔を思い出していた。

(「それなりに怪しいお付きの人間」だと? ル=キリアの精鋭が合流しているんだぞ? )

 おそらくあの時点ではミリアとて死んだと思われていたル=キリアまでがエルネスティーネ王女と合流するなどとは読んでいなかったに違いない。アキラから得た情報で会話途中でル=キリアの生存については確信してはいたようだったが、あらかじめル=キリアとエルネスティーネが一緒にいるとは思わなかったはずである。


(いや……)

 アキラはそこまで考えて思わず立ち止まった。

 自分の考察に決定的な誤謬(ごびゅう)を見つけたからである。

(俺に護衛を頼むことを決めた時点では、そもそもル=キリアがエルネスティーネ姫の護衛に付いているらしいことすらミリアは知らなかったはずだ)

(参ったな)

 例によって極めて簡単そうに、実はとんでもなく困難な事を平気で依頼するいつものミリアの依頼内容を聞いた時にも頭を抱えたかったアキラだが、その条件が桁違いとさえ言えるほど悪い方に偏ったのだ。

 相手のアプリリアージェが巷間ささやかれている通りの奸計に長けた人物であることは、アキラは身をもって認識していた。わずかな会見時間ではあったが、あの謎かけの大胆さと周到さで十二分に思い知る事になった。

 方やアキラの味方であるはずの「先読み」であるミリアは「それなりに怪しいお付きの人間」のいる姫を「観察・保護」しろという。一人二人ならともかく、十人近くの護衛を既に持っている姫君に今更護衛もないものだ。

 ル=キリアがたとえ合流していないとしても、王女がそれなりに厚い防御壁に包まれている事はミリアとして重々承知していたはずである。

 つまりこれもミリアがアキラに投げかけた謎のようなものなのである。

 そもそもミリアからは具体的な指示はない。ただ一緒に行動して、相手の行動目的を探れというのだから、実のところ簡単なのか難しいのかという見極め自体が困難だ。

 そもそもミリアに依頼された時、相手はそれなりに与(くみ)し易い連中であろうと、アキラは高をくくっていた。いや、まさかとは思ったが、ミリアが残した謎を汲んで最悪の場合ル=キリアが加わることまでは実のところ想定はしていた。

 それでもなお、自分の方が優位に立って事を進めることができるという自身がアキラにはあったのだ。

 だが、その大前提が危ういものだという事をアキラは自覚してしまったのである。


 アキラはそこまで考えると、ミリアが言ったもう一つの言葉を思い出していた。

(「君の勉強になるかもしれない」か)

「あいつにはかなわんな」

 そう声に出すと、アキラはさらに歩を速めた。

 

 ウーモスの厳重警備は、もちろんスプリガン総司令であるアキラの指示だった。

 アキラはミリアとの会見の後、長考した。

 ミリアが最後に投げた「謎」をばかばかしいと思うか、それも「あり」だとして要素として織り込むか。町を歩き回りながらそうやって長い間迷っていたものだから、護衛役のミヤルデとセージは同じ時間振り回されていた事になる。

 アキラが出した結論は「ル=キリアは生きている」というものだった。決断に相当の時間が必要だったのは、ル=キリアがいた場合の包囲・監視網にかなりの「金」がかかる為だった。総司令とはいえ、好きに予算を使っていいというものでもない。ましてや公式には死んでいる人間の為に「ひょっとしたら」で二個中隊の兵を動員するなど許される事ではないだろう。そこまで不確かな事に五大老にも顔が利くとはいえ、わざわざエスカの口添えを頼む訳にもいかない。下手をするとエスカの足を引っ張る事になるかも知れないからである。

 つまり、アキラは長い時間を掛けて「居ると想定した場合、どういう理由でその包囲網を正当化するか」という事を考えていたと言い換えてもいい。

 アキラが導き出した結論は、「正教会の高僧を名乗る賊の確保」というものだった。

それは「司祭だか司教だか神官だか」わからないその怪しい人物を今回の容疑者として断定した上で、スプリガン自体が狙われているという判断を示して厳戒態勢を敷くという内容だった。

 苦しい言い訳ではあったがもし追求があれば、当初から二個中隊で演習を行う予定にはなっていたのでそれを兼ねる、として逃れるつもりだった。

 ウーモスの政治家達との折衝にはグラニィ・ゲイツ中佐に当たらせ、自分は文書を示すだけで表だったところへ出ることを避けた。勿論この計画のためである。

 総司令の窓口としてミヤルデをこれにあたらせ、後の事務処理を頼んだ。

 

 もともとアキラは短期間で片を付けるつもりだった。もちろん、エルネスティーネ一行と接触して同道するという目的を達成することだが、その為に町の出入り、主に出る事を極端に制限することによって相手の行動の自由を奪った。

 相手としても追求されて万一ボロが出る事は避けたいに違いない。つまりはしばらく足止めする事ができるという計算である。ミリアの言う「それなりに怪しいお付きの人間」の中に土地の調達屋がいる事をセージの調査で知り得たアキラは、音楽家の護衛を捜しているという例の芝居を打つ事を考えついたのである。つまり、あの時ベックはアキラに跡を付けられていたのである。

 ベックが餌に食いついてこなければそれでもいいと考えていた。違う方法を考えるまでである。

 ただ、同道のきっかけを作るためにも向かう方角だけは知っておきたかった。ここでの同道作戦に失敗して密かに出発されてしまった場合は近隣の町に何人かの偵察を放って動向を探り、また違う手を考えるつもりでいた。

 

 だが、計画自体は思っていた以上に図にあたった。

 それは、ル=キリア一行がエルネスティーネ達に合流したからだ。十人もの団体になるとどうあっても機動性が損なわれる。かなりの犠牲を覚悟してまで『死んだ』という証拠をねつ造したル=キリアだ。通関証はのどから手が出るほど欲しいもののはずである。それがあればこのウーモスだけではなく、この先存在している可能性のあるいくつかの関所や通関でも有効なのだ。人の通わぬ奥山や高山ばかりを辿るつもりならいざ知らず、人里をそうそう離れて行動できるとも思えない。

 その読みは当たったのだ。

 それだけに、画竜点睛を欠く手鏡の一件がどうにも口惜しかった。

 

 

 ※ ※ ※

 

 

 一時間後。

 ペトルウシュカ公爵家の四連白野薔薇のクレストの押印のある通関証の威力が噂以上に絶大であることを一行は思い知る事になった。

 町の入り口に堂々と進んだ十二人の楽器を持たない「楽隊」はアキラが取り出した通関証を示すだけでいかにも一癖二癖ありそうな兵に恭しく礼をされた上、文字通り何の検閲もなしに最敬礼をもって送り出されたのだ。

 

 エイルは通関証を示す際の手続きを見て、昨夜エルデが叱責した訳がわかった。

 通関証はただの羊皮紙ではなかった。

 それにはルーンが駆けられていて、正しく所持するものがある部分を指でなぞると、初めてその名前が、本人の特定方法と共に浮かび上がる仕組みになっていた。

 アキラが指でなぞると、そこには『アモウル』とファランドールの文字が浮かび上がった。そして特定条件とは、『妙なる横笛を奏でるもの』とあった。

 アキラは横笛を懐から出したが、通関に当たった担当兵は笛を一目見ただけでそれには及ばないと、演奏しようとするアキラを制した。

 おそらくそういうものなのだろう。

 

 そう。

 本人以外に使いようがないもの。それが通関証なのだ。

 奪う意味などないのだった。

 

【な、言うた通りやろ? 】

『お前、何も言ってないだろ? 』

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