第四十三話 旅の音楽家 6/7

 

 顔を上げたアキラの目の前には、今まで通りずっと微笑をたたえるダーク・アルヴの娘の視線があった。その変わらぬ微笑を再び見た瞬間、アキラは体中に脂汗が吹き出るのを感じた。それは今まで味わったことのない不気味な感覚だった。

 いや、心の奥にある何かが警鐘を鳴らしてると言った方が適当な表現であろう。


(まさか正体が、ばれているのか? )

 そして……

(このルーナーは一体何者なのだ? )

 二つの疑問が同時に腹の奥からわき上がって、額に突き抜けたような格好だった。

 詠唱もなく一瞬で髪の色を元に戻して見せたルーナーがもはや「ただもの」ではないことは明白だった。

 未知の相手を前に、しかしアキラは深呼吸をして自らを落ち着かせようと努めた。

 レナンスの誇りを思い出したのだ。そして全ての勇気を振り絞って状況把握に全神経を集中した。

(問題はない。俺は元々彼らに危害を加える気などない。ミリアはこう言った。『しばらくの間王女エルネスティーネの護衛をしてくれ』と)

 そこまで考えて、アキラははたと思い当たった。

 ――護衛だと? 

(コイツは傑作だ)

 そう思うと思わず笑いが出た。

「くくく。あっはっは」

(ミリアのヤツめ。冗談も程々にしろ。護衛の必要がどこにあるんだ、おい? )

 鏡に映る自分自身をじっと見つめていたかと思うと、今度は突然笑い出したアキラの豹変ぶりに、一同は思わず顔を見合わせた。


「すごい、コイツはすごい」

 アキラは手鏡をアプリリアージェの方へ返してよこすと、エイルの方に顔を向けた。

「ベック君から『そんじょそこらのルーナーとは格が違う』とは聞いていたが、これほどとは思わなかったな。詠唱が速いだけじゃなく、こんな気の利いた事が出来るとは、道中の楽しみが増えたと言うものです」

「では?」

 アプリリアージェは答えを促した。

「いや、この若いルーナーの力だけで貴方たちの実力が額面通り、いやそれ以上だというのはよく分かった。だからこそ、もう一つの条件を是非のんで欲しい」

「と、言いますと?」

「私は君たちにとても興味を持った。だからしばらく君たちに同道させてもらいたい。条件はそれだ」

「意味がよくわかりませんが」

「私の目的地などは、ある意味あってないようなものだ。放浪しながら感動するものに出会い、曲を作り奏でる。それこそが旅の目的というものだ。だったら私が思いつきで決めた目的地より、君たちが向かおうとしている場所の方が面白そうな気がする。もし君たちに特に目的地がないと言うのなら共に目的地を考えてもいい。つまり、私は君たちが気に入ったという事さ」

 アプリリアージェはアキラの出した最後の条件に対する即答を避けた。

 目の前に置かれた手鏡を手に取り視線を一旦アキラに注いだあと、その視線を再度手鏡に落として、妙にもったいぶったような態度でそっと懐にしまった。

 そしてその場には少しの間沈黙が流れた。

 

【さて】

『お前、決定をリリア姉さんに素直に一任したけど。何か言いたいことがあるんじゃないのか? 』

【いや、今のところは、ないな】

『ふーん。それはそうと、今の、やけに簡単なルーンだったよな? 』

【ん? 】

『オレの髪を茶髪に染めた時はもうちょっと色々なルーンを続けて唱えてたろ? でも、今のは一言だけだったからな。金髪は簡単なのか? 』

【お前にしては鋭い】

『え? 』

【今のは金髪にするルーンやない】

『そうか、コイツも茶色に染めていたって事か? 』

【そう。俺がかけたのは髪を元の色に戻すルーンや。カンが当たったな。まあ、変わらへんかったら改めて適当な色、そうやな、真っ赤にでも染めてやったらええだけやしな。お前の髪の色に時間がかったんは、好みの色が出えへんかったからや】

『つまり、コイツも結構くせ者って事か。そんな奴と一緒に行動してもいいのか? 』

【いいんとちゃうか? それより多少問題あるとすると、姉さんが仕掛けた罠の方やな】

『罠? 』

【気ぃ付かへんかったやろ? 姉さんが渡した手鏡、リリア姉さんの家のクレスト入りやったんやで? 】

 

 そう。アプリリアージェはユグセル家のクレストである「トネリコの大樹と双美人」の象嵌細工が施された手鏡をアキラに渡したのだ。もちろん、相手がそのクレストを見てどういう反応をするかを観察する為だった。

 だが、アプリリアージェの見たところ、アキラはその手鏡を見ても鏡自体には全く何の反応も示さなかった。

「トネリコの大樹と双美人」の意匠はおよそまともな貴族ならば知らぬものはないクレストである。それはたとえドライアドの貴族であっても一般的な教養のある者なら間違いなく目にしたことがある意匠であった。何故ならば、ユグセル公爵家はシルフィード王国の王位継承権を有している程の家柄であり、その家のクレストを知らないなど考えられないことだからである。それはシルフィードの貴族に、ドライアドのペトルウシュカ公爵家の四連白野薔薇のクレストを知らぬ者が居ないのと同じ意味合いであった。どちらの王国ともに公爵家はそれほど数があるわけではない。従ってシルフィードでは最も有名なクレストの一つなのである。

 言い換えるならば、その数少ない公爵家の一つ、ペトルウシュカ家の白い野薔薇のクレストの印が押された公爵符を持つ程の人間が、ユグセル公爵家のクレストを知らぬはずがないという前提の試験なのであった。

 だが、アキラは見事にこの罠に引っかかっていた。

 

 そう、アキラは本来気付くはずだったのだ。

「トネリコの大樹と双美人」のクレストに対して興味を抱き、それについて何かしら質問をアプリリアージェに投げかけなければならなかったのだ。

 もちろんアプリリアージェはアキラの問いに対しての回答はいくつも用意してあったろう。だが、その答えを聞く機会をアキラは設けなかったのである。


 沈黙の中、アプリリアージェは鏡に無関心なアキラについて考察を続けていた。 

 この音楽家の背景にあるものの可能性は二つ。

 一つは大した観察力もなく、ファランドール有数の著名クレストさえも見逃すような注意力のない輩か、もしくは本当に無知なボンクラ青年なのか。

 そしてもう一つの可能性は、はじめからアプリリアージェの正体を知っていて、そのクレストに全く違和感を覚えなかったか、である。

 

 二つの可能性はそれぞれが正反対の回答を引き出すことになるのだが、アプリリアージェは決断に際し、今回は自分のカンを優先させる事にした。

 念のためにチラリとエイルの顔色を見やったが、エイルはその視線を意識したものの、無視を決め込んだ様子にとれた。

 エイルとエルデの側からすれば、今回はアプリリアージェの決定に口出しはしない、と決めていたからとった態度だった。理由は特にないが、敢えて言えばアプリリアージェの洞察力と決断力を見極めて見たかったのかもしれない。

 

 ややあって、アプリリアージェはカンによる結論を下した。

「では、交渉成立という事ですね。出発はいつでしょうか?」

 アプリリアージェから告げられた言葉に、アキラは嬉しそうな顔をして立ち上がった。

「善は急げと言います。そちらの準備にはどれくらいかかりますか?」

「一時間もいただければ」

「では、一時間後にここで」

 そういうと、アキラはエイルの方をみた。

「すまないが、元の色に戻してはもらえんかね? 私は実のところもともとはこの色に近い金髪なんだが、金髪碧眼のデュナンというのがどうにも陳腐で気に入らなくてね。髪の色だけでもと思って染めているんだ」

 

『元の色をご所望らしいが? 』

【色見本があれば完璧に戻せるんやけどな】

 

「近い色でよければ」

 エイルはそう言って頷いた。

「ありがたい」

 アキラの答えを待って、エイルは同じように相手の顔に掌を付きだし、口元を目隠しすると、囁くような早口でいくつかのルーンを唱えた。

 その様子を見ていたその場の人間には、アキラの髪の色がまるでコマ落としのように金から濃い茶色に変わるのを目撃した。

「いっちょ上がり。もう一度鏡で確認してみるか?」

「いや、信用しているよ」

 といいつつ不安げに髪を触ってみるアキラに、エイルは思いついたことを尋ねた。

「アンタは一人なんだよな?」

 アキラは怪訝な顔でエイルを見た。

「もちろん」

 そういうとすぐに苦笑いを浮かべて頭をかいた。

「あ。実を言うと相棒がいる」

「相棒?」

「なあに、気のいいマーナートが一匹さ」

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