第四十三話 旅の音楽家 5/7

 

 音楽家アモウル……いや、スプリガン総司令官、アキラ・アモウル・エウテルペ大佐は腕を組んだまま、また考え込んだ。今度はアプリリアージェの表情を読み取ろうとする仕草はなかった。短い時間であったが、その行為が無駄な相手であることを悟ったのであろう。

「とりあえず、その他にも何か要望があれば先に伺っておきましょう」

 アプリリアージェはうなずくと、続けた。

「ではあと二つだけ。まず移動は徒歩のみで願います。次に食事は全てこちらで用意します。お口に合うかどうかはわかりませんがそれは我慢していただきましょう。しばしの間とはいえ同じ旅のお仲間になるわけですから、同じ食事を囲んで語らいましょう」

 それだけ言うと例のとろけるような笑顔でアキラにニッコリと笑いかけた。

「ふむ。食事もそちら任せという事ですか」

「食事はともかく、お茶のおいしさは保証しますよ」

 

【さて、どう出る? 】

『こいつ、本当に音楽家なのかな? 』

【剣の腕前は賞金稼ぎが副業やって言うくらい自信があるんやろし、どちらにしろカタギな人間やないやろな。せやからリリア姉さんは念のためにさっき言うてたような条件を提示したんやろ。ダメなら一から作戦は練り直しやけど、ベックが見つけてきた話がおいしいのは間違いないところやな。ただ】

『ただ? 』

【担保が調達屋としてのベックの信用だけっちゅうところが、どうなるかやな】

『オレがこのアモウルってヤツなら雇われる方にここまで条件付けられたら椅子を蹴ってるな』

【ファランドールでそんな短気やったら損するだけやで】

『瞬間湯沸かし器みたいなお前に言われたかないね』

【瞬間湯沸かし器って何やねん? 】

『いや、説明がめんどくさいから聞くな』

【瞬間に湯を沸かす装置、か? 】

『ほう。さすがだな。間違ってはいない』

【なんで俺が瞬間湯沸かし器やねんっ】

『ほら見ろ』

【あれ? 】

 

「いかがでしょう? それらの条件を飲んでいただけないのでしたら、せっかくのベックの斡旋ですが、私どもとしてはお断りするしかありません」

「ああ、そう結論を急がないで。こちらにとってもあなたたちのふれこみが本当なら喉から手が出る程欲しい護衛なんですよ」

 アキラは思わず手を挙げてアプリリアージェを制止した。

「ベック君がこの辺りでも評判のいい調達屋だと言うことは、失礼ながら調べさせたので間違いはないでしょう。私も剣士だけではなくルーナーとフェアリーのいる護衛団が心から欲しい。だが、同様に私が見たところ、あなた達も私と同行したがっているフシがある」

「と、申しますと?」

 アプリリアージェが目尻を少し下げた。

「ぶしつけを承知で申しますと、あなた達はどうやら何か理由があってこの街の検問を出られない、いや出来れば検閲にかからずに通り抜けたがっているように思えますが、ちがいますか? いやいや、だからどうのこうのという訳ではありません。私もこう見えて多少はスネに傷を持つ身。このご時世、ペトルウシュカ公爵様からいただいた通関証がなければこのようなものものしい地域に足を運ぼうなどとはとうてい思いませんからね」

 アキラはそう言ってニヤリと笑って見せた。

 

【まあ、自信過剰なんは確かやな。リリア姉さんを前に全く動揺が見られへんというのは見上げたもんや。誰かさんとは肝っ玉の出来が大違いやな】

『誰かさんって誰だよ』

【気付いてたらええねん。若者は成長する可能性があるんやから】

『剣の腕には相当の自信があるんだろうさ。賞金稼ぎをしているって言うくらいだからな。過剰な自信はそこから来てるんだろうな』

【さて、そやったらええけどな】

『なんだよ、お前はベックの案に反対なのか? 』

【いや、問題ないとは思う。ただ何となく引っかかるんや】

『何が? 』

 

「私は護衛代をケチろうとしている訳ではない。それはわかってもらいたい。ベック君にも話したが、しっかりした信用できる相手なら、相場以上に払ってもいいと思っていますよ。もとより私はお金が欲しくて生きている訳じゃありませんしね」

「宵越しの金は持たない、と?」

「そうですね。酒の為に生きているわけでもありません。生きている実感、それさえ感じていられればそれでいいんです。今のところ私にはそれが旅であり、音楽であり、剣の道、という訳で」

「なるほど。私達のような俗物はお金の為に生きている様なものですから、達観されている方を見るとうらやましくもあり、そうでもないようでもあり……」

「あっはっは。正直に浮き世離れした馬鹿者と呼んでくださって結構。しかし、デュナンならともかくダーク・アルヴから金だ金だといわれるのは妙な感じがしますね」

「一口にダーク・アルヴもいろいろですよ。横にいるファルもご覧の通りアルヴですが、女癖は悪いは、金使いは荒いわ、口うるさいわで、およそアルヴとは思えませんしね」

 

『おいおいおいおい』

【落ち着け】

『でも、あそこまで事実と違うとさすがに気の毒だろ。むしろ金遣いが荒いのは大酒飲みのリリアさんだろ? 』

【お前は本当に言葉と人間の上っ面しか見えへんのやな】

『どういう事だよ。ファルだぞ? あのマジメで堅物の見本みたいなファルだぞ? 』

【あながちウソでもないんやで。冷静になってよーく考えてみ? ファルとティアナ姉さんが時折作る、他人がちょっと入り込めへん雰囲気……】

『いや、でもあれは』

【あれは確か二人が初めて会った時からやろ? お前もランダールのカフェで二人の初々しい逢い引きの様子を盗み見したやろ? 】

『盗み見とかお前が言うな』

【あと、金の件やけど、いつもリリア姉さんに飲み過ぎやー、路銀の事も考えてくれーとか文句を言うてるのも見てるやろ? 】

『何が言いたいんだよ? 』

【初対面にも関わらず男性経験がなさそうな女性軍人をコロっと虜にするわ、二言目には金金っていつもリリア姉さんには口うるさいわ……ちゅうことをこういう場で抗議……いやそんなええもんやないな、文句言うてるんや。反論が一切できへんこの状況で、や】

『なるほど。そう考えると、リリア姉さんってすごく腹黒い人なのか? 』

【ああ。ただもんやないオバハンやからな】

 エルデにそう言われてファルケンハインを注意深く観察したエイルは、微妙ではあるがその眉間に皺が寄っているのを認めて、気の毒になった。


「かといって、そちらの条件を全部呑むからお願いします、というのも雇い主としては釈然としないものがあります」

 アキラはそういうとその場にいる全員を見渡しながらこう続けた。

「しかしまあ、いいでしょう。そちらのその条件は全部のみましょう。その代わりこちらにも条件が二つあります」

「うかがいましょう」

 アプリリアージェは微笑んだままうなずいた。

「一つ目は、こちらが要求した能力をあなた方が本当に持っているかどうかを見せてもらいたい。これは依頼主としては至極まっとうな要求のはずですね。金額はそれによって決めさせて貰いましょう」

「同感です」

 アプリリアージェはうなずくと、エイルの方に顔を向けて、にっこりと笑って見せた。

「そんじょそこらのルーナーではない人をご所望らしいですよ」

「了解」

 エイルは小さくうなずくと、右手を突き出してアキラの目の前に掌を広げて見せた。アキラからはエイルの顔、エイルの思惑的には口元が掌の陰になって見えなくなった。

「いかがですか?」

 アプリリアージェはすぐにそうアキラに声をかけると、それを合図にエイルは伸ばした手を引っ込めた。


 茶髪で茶色の目の、ちょっと風変わりな目つきの悪いデュナンの少年がルーナーであるということは顔見せの時に告げられていた。その彼が手を突き出して、さあこれから一体何が始まるのか? と身構えていたアキラはしかし、アプリリアージェの言葉にとまどった。

 何かが行われたと言う事なのだろうか? 

 アキラは注意深く辺りを見渡したが、どこにも変化が感じられなかった。

(いや)

 そういう問題ではなかった。

 アキラは目の前の少年がルーンを唱えるところを見ていないのだ。ルーナーだと紹介された少年が手を突き出したか思うと、首領のダーク・アルヴがすぐに「いかがですか?」と尋ねてきただけなのだから。


「どういう事です?」

 だから、アキラは怪訝な顔をアプリリアージェに返してそう尋ねるしかなかった。

「あらあら、私としたことが。鏡がないとわかりませんね」

 アプリリアージェはそういうと懐から小さな手鏡を取り出してテーブルの上に置き、それをそっとアキラの方に差し出した。

「よくお似合いですよ。あなたにはむしろそちらの方が上品で良い感じです」

 アプリリアージェの言葉にアキラはまるで狐につままれたような気分になったが、それでも素直に差し出された鏡を手に取り、それで自分の顔を映して見た。

 まるで空間を切り取ったような不思議な装置……手鏡という小さな丸い小宇宙に映し出された自分の姿を見て、アキラは目眩を覚えた。

 アキラ・アモウル・エウテルペは本来、金褐色の髪に空色の瞳を持つデュナンである。だが、いわゆるお忍びで民間人として諜報活動を行う際には髪の毛の色だけは茶褐色に変えていた。もちろん今回もその色に染めて事に及んだはずだったのだ。

 だが、その鏡に映っているのは茶色ではなく明るい金褐色の髪を持つ、本来の自分の姿だった。

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