第四十三話 旅の音楽家 4/7

 通関証の見本下に書かれた細かい注釈を追っていたおやっさんが、ため息をついた。

「こいつはたまげた。こりゃウンディーネの首都島アダンの招待市民証も兼ねてるぞ」

 ベックはその言葉に驚いて、同じように見本帳の注釈を目で追った。

「たいそうな通関証を持ってる音楽家だな」

 ベックとおやっさんは分厚い通関証の見本帳を間に顔を見合わせた。相手が予想以上の大物なのかもしれないと思うとさすがに緊張が走ったのだ。

「俺が見た中では一番すげえ通関証だな」

「わしもこの仕事を長年やってるが、千日戦争後の混乱で乱発されたドライアド国王赦免状という『何でもあり』の貴族用の特別な奴を除くと、こんなすごいのは初めてだな」

「エスタリア公爵ってのはかなり顔が利く貴族なんだな」

 だが、ベックはその公爵符の下のサインを見て、あることに気づいた。

「この、ミリア・ペトルウシュカという公爵さまって、確かアレだろ?」

「ああ、『白の国のバカ殿』なんて噂されているな。相当な放蕩ものらしい」

 ベックはニヤリと笑うとうなずいた。

「バカ殿に気に入られた音楽家か。まあ、公爵符自体はすげえけど、本人はバカ繋がりのただのやくざな楽士ってことだろう。どっちにしろ俺達には好都合だ」

「俺達?」

「いや、今のは忘れてくれ。そうだ、ついでに有名なバカ殿の情報もたんまり仕込んで、情報として流しておくよ」

 ベックはそういうとニヤリと笑い、見本帳に開かれたエスタリア公爵符の四連白野薔薇のクレストを人差し指ですっとなぞった。


 

 ※ ※ ※

 


 その会合のテーブルに着いていたのはベック、アプリリアージェ、ファルケンハイン、エイル、そして茶褐色の髪に空色の目を持つ端正な顔をしたデュナンの青年だった。

 そこは大通りに面したカフェのテラスで、端から見るとその五人はテーブルを囲んで一服している旅の一行と言った雰囲気であった。

 デュナンの青年は終始にこやかで物腰も柔らかく、挨拶のそつのなさやカップを持つ動作など、一見して良家のお坊ちゃんと言った雰囲気が漂っていた。

 服装も普通の旅人とは違い、華美と言っていい程度に派手だった。その服装がウンディーネの都会では流行っているというのは、アプリリアージェが感心して尋ねた際に本人がそう答えたからであり、実のところその場の誰もそれが真実かどうかはわからなかった。ウンディーネの大きな商業都市に誰も縁がなかったのだ。

 

「こちらの口利き屋殿からあなた方のことを聞いた時は、どうにも話がうますぎるのでいささか眉に唾を付けておりましたが」

「調達屋だ」

 音楽家の言葉をベックがすかさず指摘した。

「おっと、これは失敬」

「一般の方はご存じないでしょうが、私達はその道では名が通っています。足下を見るわけではありませんが、このご時世です。少々値段が張りますよ」

 アプリリアージェはいつもの穏やかな笑顔をその育ちが良さそうなデュナンの音楽家に向けると、そう言った。

「しかも我々は家族商売です。人数のお望みにもお応えできます」

「そりゃあいい。私は賑やかな旅が好きなのです。大勢の方が道中は何かと楽しいですからね。もっとも皆さんそれなりの腕をお持ちであれば、ですが」


 音楽家はアモウルと名乗った。

 アプリリアージェ達はベックから概略を聞いてはいたが、アモウルは自らも改めて自己紹介をした。

 ドライアドの下級貴族の三男坊で、家督を継げるあてもないので好きな音楽をやりながらファランドール中を旅して回っているという。年に数回、エスタリアに顔をだして、そこで行われている音楽祭に出たり、公爵の前で演奏したりするのが数少ない日程が決まっている予定であり、それ以外は常に旅の空なのだと語った。

 音楽家として演奏が得意なのは横笛だと言う事だが、剣技の腕前にも自信があるらしく、普段は気楽な一人旅なのだという。だが昨今のサラマンダは予想以上に治安が悪くなっており、徒党を組んだ集団による犯罪が横行している為、自衛の意味を込めて今回は念の為に初めて護衛を頼むことになったとの事だった。


 

「こちらはお前をいれると十人ものちょっとした団体なんだぞ?」

 ファルケンハインはベックの顔を見て呆れたような顔をしてそう言った。

 ベックから昨夜提案があった作戦。それはその旅の音楽家が持つ通関証を使ってウーモスの町を正面から堂々と歩いて出ようというものだったが、もちろん出来すぎた話に一行は、かなり懐疑的な態度をとった。通関証の持つお墨付きの力そのものは魅力的な話ではあったが、あからさまに罠のにおいが漂っていたからだ。

「いっそ、そいつから通関証を奪えばいいんじゃないのか?」

「冗談はさておき」

 アプリリアージェはエイルの発言を遮るように言葉を続けた。

 

『……オレ達は「さておかれて」しまった訳だが』

【ええい、代われ】

『オレ、また何かマズい事を言ったのか? 』

【お前は一応「賢者」っちゅう設定やのに、一般常識に欠けた発言が多すぎるわ】

『無茶言うなよ。オレはファランドールの常識なんか』

【はいはい。つーか、リリア姉さんの機転に感謝しとけ】

 

「ともかく会ってみましょう。ベックの見立てです。無碍(むげ)にはできないでしょう」

 そう言って一同を見渡した。

 エルデを含めても反対するものはなく、決定をアプリリアージェに一任することで話は決まった。

 旅の音楽家アモウルに会ったのはその翌日の朝の事だったのだ。


 

「さらにもう一つ。調達屋ガーニーから話は聞いていると思いますが、私達にも多少の事情があります。そういうわけで護衛の件はこれから申し上げるこちらの条件を呑んでいただくことが前提になります」

 一通りのお互いの紹介のようなものが済むと、アプリリアージェはいきなり核心とも言える部分に踏み込んだ。

 だが、アモウルは特に慌てるでもなく顔色一つ変えずにうなずいた。

「おっしゃるとおり、このご時世です。大なり小なり事情のない人間などおりますまい。まして護衛衆を生業としているなら訳ありで当然。とりあえずはそちらの条件とやらをうかがいましょう」

 アプリリアージェはより目尻を下げて笑いを深くした。

「先ほども言いましたが、我々は総勢十名の、言ってみれば家族のようなものです。したがって非戦闘員も数人います。まずそれをご承知おきいただきたいのです。具体的には十人中、三人が非戦闘員です。うち二人は若い女性です。従って何かあれば残りの七人であなたとその非戦闘員を守る形になるでしょう」

 アモウルは腕を組んで、少し考えた後うなずいた。

「ふむ。それは別にかまいません。それよりも錆と油と血のにおいがしない女性、しかもお若いご婦人が一座にいるというのは、想像するだに華やかで気分のいいものです。むしろ歓迎しますよ。何なら私がその女性お二人の専属の護衛になってもいい」

 アプリリアージェはしかし、アモウルの軽口にもまったく表情を変えずに話を続けた。いや、軽口なのか本気なのかまでは、さすがにまだはかりかねてはいたのだが。

「ご快諾ありがとうございます。次に移動時についてですが、我々は常にあなたの前後に人員を配置させてもらいます。言い換えますと単独で先頭もしくは最後尾を歩くことはお断りします」

「なるほど」


 アモウルは眉をひそめて見せた。その表情の変化をアプリリアージェがどう捕らえるのか、それを相手の表情から読み取ろうとしたが、彼の思惑はもちろん徒労に終わった。にこやかなアプリリアージェは全く同じ表情のままにこやかだったのだ。

「いや、これはお見それしました。護衛団の首領が小柄なダーク・アルヴの女性と伺って正直に申し上げて多少侮っておりましたが、なかなかどうして。その用心深さには感心しました」

「恐れ入ります」

「とは言ってもはっきり申し上げて、こちらも常に後ろに物騒な人間がいるというのはごめん被りたいところですが、そのあたりの雇い主に対する保証のようなものはご呈示いただけますか? まさか私に常に首筋を晒しておけとでも?」

「それについては」

 アプリリアージェはベックの方を見て言った。

「調達屋ベックの斡旋、というこれ以上ない信用が我らにはあるという事ではいかがでしょうか?」

「ふむ、そう来ましたか」

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