第四十四話 雷神 1/5
アキラを加えた一行は、ヴェリーユを目指すことになっていた。
アキラには巡礼だと告げた。しかしその実はエイルとエルデが目指す、「真赭の頤」の七番目の庵がある場所だったのだ。もちろん本物の。
ヴェリーユはドライアドの町ではない。国境を越えたウンディーネ南部にあるマーリン新教会の本山がある重要な聖地の一つだった。
もちろん、ウーモスからヴェリーユまでは遠い。どちらにしろひとまずは街道を北上する事になった一行であった。
新しい旅の仲間は、表面上すぐに溶け込んだ。
なにせアキラは社交的で明るいだけでなく、諸国を旅しているという触れ込みだけあって話題が実に豊富なものだから、エルネスティーネは直接話をしたくてたまらないようだった。しかしそれはハロウィンにもティアナにも止められていた。もちろん、妙な言葉遣いと変な常識が彼女の出自を疑わせる事にならぬよう配慮をしたものだ。
実のところ、エルネスティーネはアキラ本人よりも、アキラが懐に入れている小動物の存在の方に気を取られていた。
マーナートという人なつっこい大きな目のネズミの虜になっていたのだ。ドライアド原産でシルフィードにはいない動物なので、存在は知識として知ってはいたものの、実際に見るのは生まれて初めてだった。
その青っぽい灰色のふわふわの毛並みは実に柔らかそうで、エルネスティーネはさわってみたくて仕方がない様子だった。
とはいえ、一行とアキラの間にはお互い最初は探り合いのような緊張感があったのもまた事実で、その緩衝役にアプリリアージェとハロウィン、そしてルネ・ルーが当たっていた。
歩く順番も決まっていて、先頭はファルケンハインがつとめた。次いでその緩衝役の三人がアキラを囲むようにして世間話の相手になり、その話し声が聞こえる範囲に、エルネスティーネとティアナが後ろから付き、少し遅れてテンリーゼンが続く。そして最後尾がアトラックというのが一行の行進の順番だった。
ただし、ベックとエイルは自由に前後を行き来していた。
「リリアさんっていつもああなのか?」
エイルは一行の先頭を歩くファルケンハインに尋ねた。二人は他の仲間達よりも少し先行気味で、次に続くハロウィン達との間にそこそこの距離があいていた事もあって、普通にしゃべる程度の声でも二人だけにしか聞こえないほどだった。それもあってエイルは思い切ってみんなの前では聞きにくい事を口に出した。
「いつもああなのか? とは、リリアお嬢さんがいつも笑顔だということか?」
ファルケンハインは太い声で答えた。
このアルヴの若者は基本的には寡黙な男だが、エイルに対しては気軽に会話に応じていた。ウマが合うと言ってしまえばそれまでなのであろうが、アトラックの言葉を借りるならば「他人に対してあれほど友好的なレイン副司令を見るのは初めて」という事であるらしい。部下とはいえ、長く戦場で供に戦っているという間柄にもかかわらず、アトラックに対しては必要以上の会話をしようとはしないファルケンハインが、エイルに対してはどうしたわけかくだらない世間話にすら乗ってくるのである。
「あれが地顔だそうだけど、それにしてもいつもニコニコしすぎというか、いつも基本的に機嫌が良くて穏やかで優しそうじゃないか。それでいて軍人、しかも提督と呼ばれる程偉い人なんて聞くと、ちょっと想像を絶しているというか、そもそもオレ、あんな人は初めてだよ」
「ふむ……まあ……そうだな」
ファルケンハインは妙に口ごもりながらも同意した。エイルはそんなファルケンハインの態度に不審なものを感じてさらに突っ込んだ質問をした。
「それに美人だし、エッダじゃかなりモテモテなんだろうなあ。もう決まった人とかいるのかな? なんて考えちゃってさ」
エイルはそう言った後で、それとなくファルケンハインの様子を横目で観察したが、ファルケンハインの表情には一切変化がなかった。
エイルのその取って付けたような質問は、エイルの発案ではなく勿論エルデの差し金だった。
相手の人となりをより理解して弱点を探り出せ、とうるさく言うのでしぶしぶつきあったというのがその質問の舞台裏だったが、それは文字通り敵の弱点を探り出すというよりも、エルデにしてみれば少しでもアプリリアージェを凹ませるネタがないかと思って探っているだけなのだ。エイルはそれが解っているだけに全く乗り気ではなかったのだが、エルデにしてみれば、アプリリアージェにはしてやられている事が多く、それがどうにも気に入らないようだった。
「いや、そう言った話は俺は聞いた事がないな」
「そっか。あんなに可愛いんだから、普通の男はほっとかないと思うけどなあ。シルフィードでは軍人だと結婚しにくいのかい?」
「そういうわけではない」
ファルケンハインは積極的ではない否定の仕方をした。
作戦を遂行中の軍人に対しては少々浮いた話である事は承知していたが、実際問題、軍人同士の結婚などにはエイル自身も少なからず興味があったのだ。
だが、心配には及ばなかった。相手がアトラックであればそこでその話は終了していたところだが、エイルが相手だと一言だけで終了することはないのだ。
「噂では昔は何度か婚儀の申し入れがあったらしいが、確かすべてリリアお嬢様の方から断っているはずだ。俺の知っている限りでは、ここ最近はそんな噂すらきかんな」
「ふーん」
気のなさそうなエイルの態度に、今度はファルケンハインがエイルに不審な目を向けた。
「なんだ? 言いたいことがあればはっきり言ってみろ。アトルと違って俺はもったいぶった言い回しは苦手なんだ」
エイルはいつものくせで頭を掻いて見せた。
「いや。実はオレ、ずっと気になってるんだけどさ」
「うん?」
「リリア姉さんの本当の年齢は知らないけど、オレの見たところなんとなく歳も近そうだし、どっちも独身だし……」
ファルケンハインはエイルの言葉を遮った。
「だから何の話をしている?」
エイルはそんなファルケンハインを見てニヤリと笑うと続けた。
「いや、ファルとリリア姉さんって結婚してもおかしくない間柄じゃないのかな? と思っただけだよ。まあ、立場の問題はあるにせよ、つきあいは長そうだし、だからお互いの事をよく知っているだろうし、客観的に見ると、少なくともつきあっててもおかしくはないような気がしてさ」
ファルケンハインは突然歩みを止めた。
斜め後ろを歩いていたエイルは思わずファルケンハインにぶつかりそうになった。
予想以上の反応にエイルの方が戸惑った。その顔色をうかがう為にファルケンハインを見上げると、エイルはさらに予想外のものを目にすることになった。
立ち止まりはしたが、ファルケンハインはまたすぐに歩き出した。だが、今まで無表情で、言ってみれば涼しい顔で歩いていたはずの額には大粒の汗が浮かんでいたのだ。
「どうしたんだよ?」
エイルの問いにファルケンハインは珍しく返答をしなかった。
「オレ、何か変なこと言ったっけ?」
エイルの二度目の問いに、ファルケンハインは普段よりいっそう低い声で呟いた。
「エイル、お前は……」
「ん?」
「司令の恐ろしさをまだ何も知らないからそんなことを軽く口にできるんだ」
「え?」
「いや、いい。これ以上この話をするとまたいらぬ想像をしてしまう」
「想像って……」
「ともかく俺が言った事の意味を知りたければ、同じ質問を後ろにいるアトルにしてみるんだな」
「アトルに?」
「ただし」
ファルケンハインはエイルの方に顔を向けて、続けた。
「絶対に誰にも聞かれないようにだぞ」
そういうとにじみ出た油汗を手甲でぬぐった。エイルには心なしかその顔が青ざめているように見えた。
「これは善意からの忠告だぞ」
「わ、わかったよ」
エルデとしてはもとより二人が男女の仲であるなどとは思っていなかったのだ。ただ、退屈だったのでエイルをけしかけて少しファルケンハインをからかうつもりだったのだが、まったく思いもしない反応をされてかなり戸惑っていた。
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