第四十二話 アキラ・アモウル・エウテルペ 5/6


「実は夕べ、とある家のお嬢様の寝所に出向いた」

 アキラは眉間に皺を寄せた。

「それは驚きだな。お前が伴侶を作るとはな」

 ミリアは両手を顔の前で振ってアキラの言葉を否定した。

「いやいや、そんなつもりは全くないよ」

「では遊びか? お前らしくない気がするが」

「そっちの話題から離れてくれ」

「ふむ。では、いったい誰の家に出向いたんだ? 相手はミュゼの貴族連中の娘か?」

 ミリアはニヤリと意味ありげに笑うと、首を横に振った。

「シルフィードのエッダにあるカラティア家の姫君の寝所さ」

「何だと?」

 アキラはミリアのその一言で、思わず腰を浮かせた。

 ミリアはそのアキラの反応を見て、おかしそうに笑った。

「はははは。少々のことでは驚かないアキラもさすがに『寝所』には驚いたろ?」


(冗談じゃない)

 アキラは心の中では机に拳を叩き付けたい気分になった。

 驚くところは寝所云々という些末な場所の問題ではなく、その行為そのもののはずである。真剣な話、いや、真剣どころの騒ぎではなく内容は即国家間の戦争になってもおかしくはないほどの重大な事柄のはずなのに、ミリアのふざけようはアキラには度し難いものだった。

(いや)

 アキラは考え直す事にした。

 これこそがミリア・ペトルウシュカなのだと。

 当然意味がある行動なのだろう。

(やはり、これほど面白い奴はそうそういないだろう)

 アキラはしてやられた自らを客観的に眺めて見ることにした。そうすると、ミリアに腹を立てるどころか同じようにミリアの行為に「してやった」的なおかしさを感じている自分を見つけ出した。

(考えてもみろ)

 アキラは自問自答する。

(一国の王宮、しかもよりによって王女の寝所に侵入したと、町の男が酒の勢いで夕べの夜這いの自慢話でもするように言ってのける人間がこのファランドールに果たしているだろうか? 酔っぱらった上での冗談にしても、まさかここまでつまらないホラを吹く者はいないだろう。だが、呆れたことにミリアの言うことは冗談でも嘘でも何でもなく、しかもそれをちょっとした笑い話にまで堕とし、この俺を相手にからかいのタネにして楽しんでいるとはな)

 そこまで考えてアキラはふと、以前ミリアと話した会話の記憶からある情景を思い出した。それは今までこみ上げていたおかしさを凍りつかせるのに十分なものだった。


「お前まさか、王女を?」

 アキラは真顔でミリアに問うた。

 そう。アキラは思い出していた。

 以前会った際、ミリアがアキラに言った意味深な言葉を。ミリアはこう言ったはずだ。

「目的のためには手段は選ばない」と。

 ましてやこのミリアにとっては、たとえ一国の王女だろうが王妃だろうが彼の描いた設計図を構成するコマの一つに過ぎないのだ。王女だという理由で彼が遠慮などするはずがない。

「いや、まさかいきなり連れ去ったりはしないさ。今はまだ隠しておける場所もないしね」

 ミリアのその言葉に、アキラはあからさまにほっとして見せた。ミリアなら「うん、さらってきたよ。今上の部屋にいるんだけど」などと言うことを平気で言いかねない。やろうと思えば、ミリアにはそれが出来るのだから。

 だが、安心と同時に緊張も走った。ミリアは言った……「今はまだ」と。

(この男は、いつかやるつもりなのだろうな)


「そう気色ばむなよ。現状把握の為の情報収集の一環としてちょっと話をしてきただけさ。でも、行ってみて良かったよ。いや、よくあのタイミングで行ったものだと思う。風は我に吹けりと思ったね」

「確か、事が動いたと言っていたな?」

 ミリアはうなずいた。

「うん。なにせ風のエレメンタルが既にシルフィードを脱出していることがわかったんだぜ?」

 ミリアはさすがにこの一言だけは声を潜めて見せた。

 アキラは例によってパズルのピースのようなミリアの言葉を使い、彼が語ろうとする話を組み立てるべく脳を最大限に活性化させて解析を試みていた。

「なぜ王宮でエルネスティーネ姫に会っておきながらその姫がシルフィードを離れている事実を知るっていう事態になってるんだ?」

 アキラの問いにミリアはニヤニヤと笑って見せた。

 アキラの高速解析中の脳はその顔を見て一つの仮説をはじき出した。

「そのエッダの王宮にいた姫とは……変わり身か?」

「さすがはアキラだ。このボクが請け合おう。君は絶対に知将として後世に名を残すよ」

 ミリアは上機嫌で軽くウィンクをした。

 アキラは何らかの不満を口にしようとしたが、にべもなくミリアに遮られた。

「前置きはそれくらいで本題に入ろう」

(今の重大な話がただの前置きなのか? )

 アキラはそう突っ込みかけたが、すぐに思いとどまった。

 未だアキラが全容を測りかねるミリアの描く近未来の設計図にとってはそういう事は重要ではないのだろう。そもそもその設計図にどんな名前が書き込まれているのかもアキラにはわからないのだ。


「本題というのは他でもない。アキラ、君には王宮を出たその本物の姫の監視をして欲しい。もちろんあわよくばこちら側に引き込んでしまえればいいんだけど、それは二次的な問題で、ボクはそもそも彼女の行動の目的や意味や彼女の考えを知っておきたいんだ。いや、彼女の人となりはボクにとってはそれほど重要ではないから、姫が向かおうとしている方向をしっかり掴んでおいてくれ。ボクがやれればいいんだけど、事態が急転した事でちょっといろいろやることが出来て時間がとれそうにないんだ。君のそのアロゲリクの話も少し引っかかるし、それにまだ知らなければならない欠けている部分を見つけないといけないからね」

「見つけろ、ではなく監視をしろということは、すでに居所を知っているということだな?」

「エッダにいる姫君に彼女の当座の行動予定は聞いた。そして今日、幸運にもそれらしい娘さんを見つけたよ。まず間違いはないだろう」

「確かに本人なのか?」

「もちろんさ。何しろエッダのお城でお会いしたエルネスティーネ姫にうり二つなんだから間違えようがないだろう? 案の定、髪型は全く違ったけど、顔までは変わってなかったよ。あとは、そうだな。ちょっと見たところお付きの人間もそれなりに怪しい連中ばかりだしね。そんな連中と一緒に過ごす事は君にとっていい経験になるかもしれないよ。時間さえあれば自分の役目にしたいくらいさ」

 いつもミリアには驚かされるアキラだったが、この時ほど驚かされた事は今までなかった。おそらく世界中で誰も知らない国家的な秘密を、いや、まだ秘密でさえないかもしれない事柄をこの男はあっという間に暴いて見せたのだ。

 風のエレメンタルがシルフィードを離れたと言うこと。

 今現在、宮殿にいるエルネスティーネ姫が変わり身だと言うこと。

 そして隠密で行動する風のエレメンタルの居所をも。

 驚きの為に感情の整理が追いつかないでいるアキラの事情はお構いなしに、ミリアは旨い飯を食わせる店の場所でも教えるようにエルネスティーネ一行の居る場所を宿まで特定して伝えると、二、三の注意と助言とともに後のことを託した。


「それにしても……ユグセル公爵は惜しいことをしたな……」

 話が終わり、テーブルを立ち上がりかけたアキラに向けてミリアはポツンとつぶやいた。ミリアには珍しく妙に寂しそうな声が印象的だった。よほど自らの陣営に欲しい人材だったのだな、とその時アキラはそう思った。


 アキラは目で別れの挨拶をすると、立ち上がってミリアに背中を見せた。

 そのアキラの背中に、思いついたようにミリアが声をかけた。

「あ、ちょっと確認なんだけど」

「なんだ?」

 アキラはミリアを振り返った。こちらを見る眼鏡の奥から金色の目がキラリと光っていた。

「その失敗したル=キリア追討作戦とやらで犠牲になった兵の数は?」

「確か……」

 アキラは記憶を探った。

「五名だったはずだ。それがどうした?」

「そうか。兵の遺体や遺品はすぐに遺族に送り届けられるんだったっけ?」

「それが、相手のルーナーが放つ火炎系の精霊攻撃で全員が灰にされて殺されたそうだ。だから気の毒に遺体も遺品も存在しない。そういう報告からも解るが、ル=キリアに同道していたルーナーはまだ若いのにかなり高位のルーンを使える者だったようだな」

「なるほど」

 アキラの答えに、ミリアは眼鏡をぐいっと上げると、少しだけ唇の端を持ち上げて微笑んだ。

「いや、いいんだ。ありがとう」

 アキラはミリアのその態度をあまり気にもとめずにゆっくりと出口に向かい、扉を押した。だが、扉の取っ手を握った瞬間に、彼の脳にある一つの仮説が稲妻のように駆け抜けた。

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