第四十一話 それぞれの覚悟 3/6

 その後は功を焦ったスプリガンの一隊が油断しているはずのル=キリアを秘密裏に葬ろうとし、運悪くそれがベックの店にいる時間を狙って作戦行動が開始されたということである。

 目的のためには調達屋の命も巻き添えにしようとしたスプリガンのやり方にベックははらわたが煮えくりかえるほどの怒りを感じていた。

 調達屋は中立なのだ。請われれば情報は金で売るが、それはどちらかに荷担しての行動ではない。調達屋は不可侵、という暗黙の了解がファランドールの各軍にはあるはずだった。つまり、スプリガンはやってはならないことをやってしまったのである。もちろんそれはスプリガンではなく、事情に疎いザワデスの浮き足が踏み外した事なのであるが、ベックはそこまで知るよしもない。


 ベックは九死に一生を得た形になったわけだが、結果論とはいえ、あの場で機転を利かせて自分を助けてくれたル=キリア一行に対しては恩を感じていた。

 そしてそれと同時に、噂では聞いていたシルフィード人の文化に触れたことで、自分の中に変化が生まれたことも自覚していた。デュナンの価値観とは明らかに違う行動様式で自らを律するアプリリアージェ達を見て、強い違和感とそれに相反するあこがれのような感情が入り交っていた。ベックは自分でもそれをもてあましている事にいまだに戸惑いを感じていた。


 ベックはまず、伝説と言ってもいい提督、アプリリアージェ・ユグセルに出会い、「白面」ではない素顔の彼女を知るとともに、今回ル=キリアがシルフィードの国益の為に行動をしているわけではなく、ファランドールという世界全体を見据えた作戦を実行している事を聞かされ、半信半疑に陥った。

 ウーモスはサラマンダの町である。サラマンダやドライアドは国益・私益が第一の文化である。もちろん公益という考え方も存在するが、一国の要人である自分の命をためらうことなく世界の為に差し出そうという人間に彼は物語の中以外で出会ったことは無かった。少なくとも祖国にそんな人間がいるという話しすら聞いたことがなかった。

 アルヴやダーク・アルヴが自らの命を自らの信じるものに喜んで差し出すという信じがたい意識を持つ人種だということは一般的な知識としては知っていた。だがそれは今思えば微妙な嘲笑を含んだ理解でもあった。しかしこうして、短い間であったがル=キリアの一行と過ごした体験が、噂はちっぽけな自分の嘲笑など意に介さぬほど純粋な真実だったと言うことを証明していた。彼はそれを理屈ではなく肌で感じ、そしてその事実を目の当たりにしてめまいにも似た衝撃すら覚えていた。


 ティアナに連れられてル=キリア一行の宿を後にする際、別れ際にアプリリアージェがかけた一言が今でも彼の頭の中に響いている。

 アプリリアージェはまずこう言ってベックを引き留めたのだ。

「あなたはこの後、一つの歴史が動こうとしている事を知るでしょう。それも、とても大きく動こうとしていることを」

 そして、ベックが怪訝な顔をすると、にっこりと笑って送り出した。

 こう続けて。

「そして波が去り、運良くあなたが生き残る事ができていたら、きっと心から私に感謝することになるでしょう」


 スプリガンに一泡吹かせたい、という思いから仲間にしてくれと言い出したのはベックの方だった。もっともル=キリアの噂を知っているだけに、秘密を知ってしまったベックを彼らが歓迎するはずはないと思って先手を打ったつもりだったのだ。

 それはベックとしてみれば賭だった。文字通り、命を賭けた。

 アプリリアージェはベックがそう申し出た時に、まるでその心の中を見透かしたように彼に脅しをかけていた。

「あなたはスプリガンにも狙われていますね。でも、私達も彼ら同様、あなたをこのまま生かして帰す訳にはいかないということはおわかりでしょう」

 そのセリフはあのアプリリアージェの甘く優しい笑顔から出てきたものだ。それだけにベックは恐ろしさが倍増した気持ちがした。

「どちらにしろ『スプリガンに一泡吹かせてやりたい』程度の生ぬるい気持ちでは命がいくらあっても足りませんよ。我々にとってもそんな人間はただのお荷物です」


 白面の悪魔……。

 ベックはアプリリアージェにそう見透かされた時にその名を思い出し(もうダメだ)と一瞬全てをあきらめかけた。

 だが、当然ながら彼はそんなところで理不尽な理由で死にたくはなかった。

 そして、こうアプリリアージェに食い下がったのだ。

「ここで俺を味方にしなかったら、絶対に後悔するぜ。調達屋を舐めてもらっちゃ困る。シルフィードに調達屋はないから想像できないのかもしれないが、俺達の縦と横の繋がりが生み出す力は、ある意味世界を支配できる程のものなんだぜ」

 ベックの言葉はまんざらハッタリではなかった。

 いや、少なくとも彼は本気でそう思っていたから、その言葉には彼の誇りが生む真実の思いが込められていたのだ。

 アプリリアージェと言えば精一杯の虚勢を張って自分を睨み付ける若い調達屋に悪い感情は持っていなかった。むしろ今まで出会った海千山千の調達屋とは明らかに違うものを感じていた。

 アプリリアージェは啖呵を切ったベックにほほ笑みかけると、静かに問うた。

「では、あなたの覚悟を私達に見せてください」

「覚悟?」

 怪訝な顔をするベックにアプリリアージェはうなずいた。

「私の周りにいる仲間は全員私に文字通り命を預けています。私の命令があればそれこそ何のためらいもなくこのウーモスの町を一夜のうちに灰にして町の住民全員を殺す事など簡単にやってのけますよ。命令とあれば幼い子供だけを選んで惨殺して、その死体を広場に並べてさらしものにすることでさえ、表情一つ変えずにできるのです」

 そう言って今までと全く変わらず微笑むアプリリアージェを見てベックの背筋に改めて冷たいものが流れた。

 彼も世界の情報に関わるものとして「白面の悪魔」の噂は知っていた。

 ある時は自国の商船を襲った海賊を追いかけ、根城とする村の住民全員を彼らが商船に対してやったように、女子供年寄りさえ一人残らず殺し、かつ村を灰になるまで焼き払った。

 またある時は降伏した海賊の長をはじめいわゆる幹部に対し即刻断罪を行い、見せしめの為に彼らの部下の目の前で白面の魔女自らが捕虜達の眼をくり抜き大鎌を振りかざして首をはねて見せた。

 またある時はル=キリアが到着する前に逃げ散った海賊の村全体を周りの畑や桟橋は言うに及ばず入り江さえも再利用出来ないように土砂や瓦礫で地形が変わるほど蹂躙したなどなど、その冷酷さや容赦のない破壊行為についての逸話は多い。

 北の海の海賊達の間で「ル=キリア」というのはかつては憎しみを込めて口の端に上がったものだが、今では口にするのも躊躇われるほどの恐怖の対象となっていた。

 そして誰言うと無くル=キリアを説明する為のこんな台詞が流布していた。

『ル=キリアに交渉は通じない。逃げる事も不可能だ。獲物の選択肢は二つ。惨めに殺されるのを待つか、もしくは自ら死を選ぶかだ』

 ベックはその言葉を思い出すと、いい加減な言い逃れは出来ない事を悟り、唇を噛んで覚悟を決めた。

「わかった。じゃあ俺を信用できないなら今ここで俺を殺せばいい。俺は調達屋だ。調達屋は信用が命だ。それが信じられないなら調達屋である俺を生かしておく事もないだろ?」

 口調は威勢が良かったが、その実唇は青ざめ、声が少し震えているのが自分でもわかった。口の中がからからに乾いていて思ったように喋れないのである。ムリもない。この後に自分の首が胴体とくっついているという保証はないのだ。

 覚悟を見せろと言われてもベックはどうしていいかわからなかった。ただ、自分が思っていることに嘘偽りなどはない。どうせ死ぬなら自分が信じる事をして死にたいと考えたのだ。上手く言葉には出来なかったが、思いは伝えたはずだった。

 ファランドールを守るという事は言っていることが大げさすぎて実のところそれがどういう事かは詳しくはわからない。ただ、ベックは短い間ではあったが会話を交わし触れ合ってみて、この白面の悪魔達が悪人とは思えなかったのだ。ましてや噂にあるただの残虐な虐殺集団とも。

 彼にしてみればむしろそれはスプリガンの方であった。単純な思考ではあったが、スプリガンに対するものとしてのル=キリアの方が好ましいものに思えていた。

 さらにこの先ドライアドとシルフィードが戦争状態になったとき、サラマンダ人のベックはドライアドの支配下にいたくはないという思いも強かった。ドライアドにむしり取られるくらいなら、シルフィードの厳格な社会体制の方がよほどマシだと言えた。

 従って、「ドライアドではなくシルフィードを支持する」思いを「スプリガンではなくル=キリアにつく」と言う気持ちに重ね合わせて自分がスッキリすることには何のためらいもなかったといえた。

 後はベック自身の誇りの問題があった。まだ若くデュナンの気質で血気盛んな年齢でもある。間違っても命乞いをするような真似はしたくなかったのだ。

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