第四十一話 それぞれの覚悟 4/6
聞きようによっては「勝手にしろ」と言い放った事になるベックの言葉を、しかしアプリリアージェは即座に受け入れた。
「わかりました。あなたを信用しましょう」
「へ?」
一世一代、いや命をかけたタンカを切ったベックはアプリリアージェのあまりに簡単な、即答とも言える一言で受け入れられたことに対して、いったい何事が起こったのかわからず一瞬思考が停止した。
「私が信用したからには、その信用に値する働きをしてもらいますよ。いいですね?」
アプリリアージェのその言葉は物静かで優しい口調ではあったが、その実その中身は命令への絶対服従を強いるものだと考えてもおかしくないものだった。
「あ、ああ。そりゃ、もちろん」
ペースは明らかにアプリリアージェのものだった。
彼女はベックの薄青色の瞳を緑色の瞳でじっと見つめ、その目に濁りのないことを見て取って満足そうにうなずいた。
「珍しいですね。司令……いやリリアお嬢様があのような者を信用して配下にするなど」
ベックがティアナと部屋を出て行った後、ファルケンハインはそれを待っていたかのようにアプリリアージェに声をかけた。
ファルケンハインがそういう質問をアプリリアージェにする事は珍しい。それは普段はアトラックの役回りだった。
それだけベックの件は異例だったと考えるべきだろう。とは言えファルケンハインが問わなければアトラックが尋ねていた事は間違いない。
「信用できないですか?」
アプリリアージェは静かにそう答えた。
「いえ。私は少なくともリリアお嬢様の決断を信じています」
「ありがとう」
アプリリアージェはそういうとにっこり笑い、そしてその事についてはそれ以上何も言わなかった。ファルケンハインも同様で、ベックの件についてはもう何も尋ねる事はなかった。
アトラックはそのやりとりに関しては大いに欲求不満ではあったが、それ以上突っ込んで聞くことも出来ずに苦笑しながら頭をかいた。
つまり、ファルケンハインはこの件についてアトラックから根掘り葉掘り質問が出るのを避けるために自分から先に質問をし、アプリリアージェもそれを知ってあのような簡単なやりとりでこの件を終わらせたと見ることも出来る。
何にせよ異例の事であった事は間違いなかった。
「お茶が冷めますよ」
シェリルの言葉に、ベックは我に返った。
隣の椅子に座っていたシェリルが怪訝な顔でこちらを見上げていた。
「ふ。怖じ気づいて惚けていたか?」
向かいの白髪の女アルヴ、ティアナが挑発するようにそう声をかけてきた。
「いや、ちょっと考え事をね。店を引き払う事になるんで、その手配とかを考えてただけさ」
ベックはそういうと目の前のカップを持ち上げて、中の赤く透明な液体を流し込んだ。
茶を注ぐ前にカップがしっかり暖められていたのだろう。のどを通るそれはまだ充分な熱さを保っていた。
「うまいな」
今は紅茶の味などわからないのではないかと思っていたが、鼻を抜けるその香りの良さと口に広がる上品な甘さをベックはしっかりと感じていた。
「良かった。お口に合って」
心配そうに見上げていたシェリルは、ベックの感想を聞くと嬉しそうに笑顔を見せた。
「いや、本当にうまいよ。こんなうまいお茶はウーモスじゃ飲んだことがない。これは君が?」
「ええ。シェリルでいいですよ、ガーニーさん」
「ああ、じゃあ俺もベックでいいよ、シェリルさん」
シェリルはベックがそう呼ぶと可笑しそうに笑った。
「さんはいりません。ただのシェリルでいいです。みんなそう呼んでくれます」
「なら、俺もベックでいいよ」
「オホン」
目の前でティアナが咳払いをした。
嫌な予感がしてチラリ、と目をやると、案の定白髪の美人兵士はベックの方を睨んでいた。
「この非常時にたいそう余裕のある様子で何よりだ」
(しまった。少し馴れ馴れしすぎたか)
ベックはハロウィンとルネ、そしてティアナについてはあらかじめ教えられていたが、シェリルの存在については予備知識を何も貰っていなかった。さらに言えば風呂に入っていたとかで顔を合わせたのはさっきお茶に誘われたのが初めてだったのだ。
服や言葉などからそもそも自分と同じドライアド人、それもデュナン同士ということでシェリルに対しては無防備になっている事は確かだった。
もちろん、それだけではなく別の感情のせいでもあったのだが……。
「お前をがっかりさせるつもりはないのだが、最初に断っておく」
「は?」
「残念ながらシェリルは人妻だ」
「ええ?」
ベックは驚いて思わずシェリルの顔を見た。シェリルはバツが悪そうに目を逸らすと、ティアナに対して批難の声を上げた。
「ティアナ!」
ティアナはシェリルのその行動は予見出来ていたようで、目を伏せたまま片手を上げた。
「すまん。悪気はない」
「もうっ!」
「いや、それは知らなかった……というか、別に俺はそんなつもりじゃ」
「今のは半分冗談だ」
ベックは慌てて言い訳のような物をしようとしたが、皆まで言わさず、ティアナはそれを遮った。
「リリアお嬢様が認めたとはいえ、チャラチャラした事をして貰っては困ると言おうとしただけだ。解ってくれたならもう何も言うまい」
目も合わさずそういうと、ティアナは紅茶の入ったカップを口に運んだ。
ベックはと言えば、そんなティアナから視線を再びシェリルに移した。
シェリルはベックと目を合わすと、バツが悪そうに頬を上気させた。
「すみません、正確に言うと私はまだ人妻ではありません。そんないいものではないのです」
それだけ言うとうつむいた。
「まだ?」
ベックは何が何だか解らないという顔をして、今度は助けを求めるようにこの部屋のもう一人の客であるヒゲ面のアルヴ、ハロウィンの方を見た。
ハロウィンは一連の様子を黙ってみていたが、ベックと目が合うとやれやれという風に肩をすくめた。そしてティアナの方を向くと、おそるおそると言った感じで声をかけた。
「ちょっと今のは、その、シェリルに対して失礼な言い方なんじゃないかな」
「そうですね、確かに言い過ぎました。申し訳ありません。シェリルもごめんなさいね」
「へ?」
ティアナにしては意外とも言えるほどあっさりと折れて謝罪したものだから、ハロウィンは怪訝な顔でシェリルをみやった。もっとも、心のこもった謝罪でないことは明白だったのだが……。
ベックと言えば場の雰囲気が非常に悪くなっていることに耐えられず、そろそろ胃が痛くなりそうだった。
「ル=キリアは命を懸けて作戦を決行しました。我々ももう甘えは許されません。いつまでもめそめそしている場合ではないし、それを甘やかす段階でもないでしょう」
ティアナはやはり、ただ謝ったのではなかった。謝った上で、言いたいことを言うぞ、という事なのだろう。批難は甘んじて受ける。だが、言うことは言う。
つまり、ティアナの本心がここで出るということだ。
「ティアナ……」
「先ほど、この身をもって思い知りました。シルフィードのバードの力量を知る私から見てもエイル・エイミイはどう考えてもまともなルーナーではありません。いや賢者なのですからただのルーナーではないのは当然なのでしょうけれど。つまりそのような人間がつい一年前まで反政府ゲリラのキャンプで暮らしていた少年であるわけがないでしょう?」
「それはそうだが……」
「私がいいたいのはそれだけです。もうこの話題には触れません」
ベックはたまらず立ち上がり、会話に割って入った。
「ちょ、ちょっと待てよ」
ティアナは顔を上げてベックを見た。
「俺にはまったく話が見えないんだが」
「そうか。では教えてやろう」
「待て」
ハロウィンはたまらずティアナの言葉を遮った。
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